古事記の魅力⑥ 君が代
民から惟喬親王への親愛の歌
こんにちは。
不思議なご縁があり、君が代の歌を詠った方のご子孫(藤原重行さん)を訪問しました。
長年、君が代は「詠み人知らず」とされていましたが、近年の研究で「藤原定勝」という方の歌だということがわかりました。
それに伴い、どのようなストーリーの中で「君が代」が詠まれたのかもわかるようになりました。
ありがとうを世界中に
Arigato all over the World
岐阜県の春日町
844年、惟喬親王(これたかしんのう)は仁明天皇(にんみょうてんのう)の長男として誕生されました。
しかし朝廷内の政権争いに巻き込まれ、都を離れることになります。
その際、ご身辺警護に任命されたうちの一人が藤原定勝です。
惟喬親王ご一行は、険しい修験道を歩きながら、八田峠につきます。
そこで杣人(きこり)たちと出会いました。
杣人たちは親王のために住居をきれいに整え、忠誠を誓いました。
また親王はそんな杣人たちを大変大切にされました。
当時、杣人たちは木を伐り、時間をかけて器を作り、それを交換することで生計を立てていました。
親王は杣人たちの質素な暮らしをご覧になり、もっと効率よく器を作れないかということで、苦心の末、手引きろくろを開発されました。
その後、より多くの民の生活を豊かにすべく、親王は良質な木を求められ、岐阜県の春日町に至りました。
そしてこの地で、藤原定勝は谷の真ん中に堂々とたたずむ神秘的な岩に出会うのです。
そこで詠んだ歌が「わが君は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」。
国歌「君が代」の元となった歌です。
このように君が代は、惟喬親王と民のこころの繋がりから詠まれた歌でした。
ありがとうございます
ご子孫の藤原さんは、この話を日本人に知ってもらいたいということで、長年一人で研究を続けてこられました。
今回不思議なご縁で、私たちがこの話を知る事なりましたので、大切に大切に共有させて頂こうと思います。
私たちの国歌が、こんなにもあたたかい歌だなんて、誇らしく思いませんか。
これからもずっと大切に歌っていきたいです。
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.
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