「みどりなす黒髪」とは?
緑の黒髪
こんにちは。
今日は「緑の黒髪」というお話し。
何故『緑の黒髪』なんて紛らわしい表現が生まれたのか!?
そもそもここで言う『緑』とは単に色の緑のことではなく、新緑、若葉などが若若しく芽吹く様子のことを指しています。
生まれたばかりの新生児を「みどりご」と呼ぶように、”みどり”という言葉は、若くみずみずしいものの象徴であるらしく、語源は「芽出る」だとも言われています。
したがって、『緑の』という言葉が古来は若々しい、艶やか、という意味で用いられていたんですね。
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「ぬばたま」
黒髪を形容するもうひとつのことば「ぬばたま」。
こちらは夜の闇をイメージする黒。
「みどり」が」艶やかでみずみずしい、どちらかと言えば、光を放つような黒、別の言葉で「からすの濡れ羽色」を言い表わす表現だとしたら、「ぬばたま」は、光をさえ吸収するかのごとき漆黒の闇を表現した言葉です。
黒を形容する相反する言葉があるように、黒と言う色は深い。
闇であり混沌でもある黒は、全ての色を内在させ全ての色を生み出す、豊穣な色なのかも知れない。
特に墨の色がかもし出す玄妙な風情は、その黒がさまざまな色を包含しているからこそ、薔薇色さえ感じさせる薄墨の黒のように、墨色の中に見え隠れする、赤や青を初め、さまざまな色の印象は神秘的でさえある。
黒は「玄(くろ)」とも書くきます。
書家であり画家の篠田桃紅さんが書かれた言葉に
「そして、墨による黒は、真っ黒の一歩手前の色、明るさのある黒で、心を騒がせない色、沈静であって死ではない、
動きを表す色、ということである。
玄というのは、また、一筆の濃墨で書くのではなく、淡い墨を重ねて濃くしていき、真っ黒の一息手前で控えた色、
とまことにむずかしい。
ほんとうの”くろ(玄)”は真っ黒ではない、という考え方が、私にはたいそう気に入る。
一歩手前でやめる、という、
そのあとの一歩に夢幻の働きを残し、それは、わが手のなすところではなく、
天地自然、神、宇宙、とにかく人間のはかり知れない大きな手にゆだねる、そういう考え方がこのましい。
このましいが、一歩手前がまことにむずかしい。
人が書くというしぐさには、祈りに似た孤独のかたちがあるように思う。墨は、そのための道具のように思われる。」
篠田桃紅 「墨いろ」 PHP研究所
(文参考:消えがてのうた・きもの大好きこの指とまれ)
大好き和の言葉。
知れば知るほど、学びがたくさん。
本当に感性が豊かだったのですね。
今日もたくさんありがとうございました。
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.
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