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なぜ座席の端に座りたがるのか?

 

端に控える日本人のたしなみ

こんにちは。

梅雨の合間の五月晴れ、何となくのんびりと。

浄住寺のモリアオガエルはお昼寝かな。

鶯は気持ち良さそうに、「ほーほけきょ」。

昨日の浄住寺は、葵太夫にお越しいただき、「灯の宴」を行いました。

文明の明かりはなく、和ろうそくの灯の中、このお話は改めて後日。

さて、今日は、「何故?日本人は端に座るの?」です。

お楽しみください。

 

 

あなたは端に座りますか?

朝夕の通勤ラッシュ時ではない時間帯の空いている電車に乗ると、車内の長い座席、いわゆるロングシートに三々五々、乗客が座っているありふれた光景を目にします。

しかし、よく見るとそのほとんどの乗客がシートのそれぞれの端に座っているのです。

かくいうわたしも空いている電車にのると無意識にシートの端を選んで座ってしまいます。

読者の皆さんはどうですか、シートの真ん中に座りますか?それともやはり端に座りますか?

何気ない車内の光景ですが、よく見ると、日本人はこぞって端を選んで座っているのです。

真ん中に座っていても端が空くと、わざわざ移動して座りなおす人もいます。

今度、空いている電車に乗るときには是非座る前に車内を観察してみて下さい。

 

どうして端に?

 

「なぜシートの端を選んで座るのですか?」と問いかけると、一様に「落ち着くから」と答えます。

では、なぜ落ち着くのか、と聞くと、「端っこだから」と堂々巡りの答えになって返ってきます。

「真ん中だと、左右に気を配らねばならない、端だとその点、一方ですむから」とか、「端なら肘掛けや、体を預ける部分があるので楽だから」と答える人もいます。

外国の通勤電車も日本と同じようにシートの端に座る人が多いのでしょうか?

在日の中国人に聞いてみると、日本の習慣に慣れた若者は端に座るが、年配者は真ん中に座るという回答。

さすが中華思想のお国柄です。

真ん中がいいのです。

韓国、東南アジア、欧米はどうかは今後調べてみなければなりません。

 

 

 

遠慮して端に

 

公共の乗り物なので、たしなみ深い日本人は遠慮して端に座るのでしょうか?

そういえば、サミットと呼ばれる毎年開催される世界首脳会議でも、初期の頃、各国首脳との集合写真を見ると、日本の総理大臣は遠慮がちに隅の方に立っています。

中曽根康弘さんあたりから少しずつ中央へにじり寄っていったようです。

歴代のサミット集合写真を検証してみると面白いでしょう。

自己紹介でも、謙虚な人は自分は取るに足りない存在だが、一応その部類に属していると謙遜して、たとえば、「サムライの端くれ」などと表現することがあります。

自分はその世界の中心にデンと鎮座まします人物だ、とはけっして言わないのです。

端に控えているのが日本人のたしなみであるというのが、そういう「〇〇の端くれ」という謙遜語を産んだとするならば、その意識が乗客をシートの端に向かわせるのでしょうか。

「端」と同じ部分を指すことばに「隅」がありますが、思いがけない才能がある人、侮りがたい人を「隅に置けない人」を表現するのも、やはり謙虚に隅にいることが当りませ」になっていることから来た慣用句でしょう。

とにかく車内で端の席を占めるのと同じように、自分の立場も謙虚に所属する世界の端に位置付けるのです。

もっとも最近は優先座席であろうとなかろうと、お構いなしにふんぞり返って鎮座まします若者を車内のそこかしこに見かけますので、日本人のたしなみなどというのはもうはかない幻想になってしまったのかもしれません。

 

「ハシ」は異界へつながる神聖な境界

では端・ハシとはなんでしょう? 

端=中心から離れた外界に近い所、あるいは先端。

「へり」とも「ふち」とも言います。

こちら側の世界と向こうの世界をつなぐ装置が橋であり、食物と口をつなぐ道具が箸。

そして上の世界と下の世界を垂直につなぐのが梯(はしご)であり、斜めにつなぐのが階(きざはし)なのです。

橋・箸・梯・階――これらは漢字こそ違え、意味はすべて端・ハシから発しています。

そうなると鳥の嘴(くちばし)も鳥の体の先端、えさなどがある外界と体をつなぐ部位なので、くちばし、古語では嘴(はし)と呼んだのでしょう。

とにかく日本人は端、境界を気にし、そこをきちんと押さえておかなければならないという意識が強いことは事実でしょう。

ところが「竹島」や「尖閣諸島」、「北方領土」などの現実的な領土問題・国境問題などになると、すこぶるあいまいな対応になってしまうのが現在の日本政府です。

端や境界を意識する日本人の心が反映した代表として、わたしたち国民がこの問題を政府に任せっぱなしにしていいのか、そろそろ再考しなければならない時期が来ているのではないかとも言えます。

政治問題はいったんここで隅に追いやって、こんな実験をしてみてはどうでしょう。

日本人と欧米人が半分ずついる会場で、一枚ずつ紙を渡し、この紙を半分に折ってくださいと頼んでみます。

そしてその折り方に注目してみる。

欧米人の多くはおよその見込みをつけて紙を真ん中から一気に折る。

一方、日本人はまず紙の両端を揃えてから丁寧にふたつに折ることが見て取れるでしょう。

日本人は端がきちんと揃っていないと上手に折れたことにはならないのです。

こんな指先のことにまで日本人は端を揃えることに気を配るのです。

箸の上げ下ろし、箸の使い方など、その作法をうるさく言うのも、やはり端を揃える意識から来ているのかもしれません。

それこそ、「はしたない」ふるまいになってはいけないのです。

 

 

橋もそうです。

 

『平家物語』の「橋合戦」など、古代から日本の合戦が橋の上で行われてきたことが歴史上に多く語られていますが、「橋を壊した者に勝利者はいない」という言い伝えが昔からあり、攻守ともども、たとえ作戦上の必要があっても、橋を壊すことはタブーとされて橋は守られてきたのです。

橋はあちらとこちらをつなぐ交通上の単なる建造物ではなく、「橋守」などが置かれたり、架橋工事の折に人柱まで立てられる神聖なる境界であり、一方、異界への通路であるため、橋姫などの話や妖怪変化のものが橋の上に出現したりする橋の伝説が多く語られているのも、橋=端を神聖視し、その空間を守ろうとする意識から来ているのです。

参考:知っているようで知らない日本人の謎20 著:大森 亮尚さん

 

ありうがとうございます。

「端」、なるほど。

橋・箸・梯・階――これらは漢字こそ違え、意味はすべて端・ハシから発しています。

「ハシ」の「ハ」一文字も、端であって、とても大切なものと叔父がよく話していました。

葉、歯、波、羽、これらも漢字は違えど端であって、始まりかもしれませんね。

古来、日本人がまだまだ文字を持たないころ、同じ意味合いのことを同じ発音、言葉で語っていたのかもしれません。

今の当たり前にとらわれることなく、もっと以前、昔はどうだたのかな?と思いながら紐解いていくと面白い発見があるかもしれませんね。

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

今の文明がなかった、大昔、そこから日本人の和の心の始まりがあるのでしょうね。

 

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