還暦を迎えて 人生とは、使命とは 「ありがとう」を大切に

還暦を迎えて
こんにちは。
今日で60歳、還暦を迎えることができました。
60年前に母と父の愛に包まれながらこの世に生を受け、今日まで無事に過ごすことができました。
改めまして母と父に感謝申し上げます。
本当にありがとうございます。
これからも宜しくお願いしますね、そしていつまでも長生きしてください。
人生とは、使命とは
実は、義弟が17日に亡くなりました。
今日はお通夜です。
私と同じ年、8月31日に還暦を迎えるはずでした。
彼のお父さん、義父も59歳で亡くなり。
彼は還暦までは、できれば生まれたての孫が歩くまでは生きていたいと願ってました。
でも、その願いもむなしくこの世を去りました。
なんなのでしょうね、
人生とは、使命とはなんのでしょか。
人生とは生まれてから死ぬまでの道のり、そして、使命は、その道のりで命を使って行うこと。
彼の分まで私はこれからの命の使い方を改めて考えていかなければ。
60歳、還暦という誕生日に、偶然なのか、いや、偶然なんてないから導きによって考えなければ。
私たちの60年は一番幸せな60年
私はよくこう言います「日本人として私たちの生きてきた60年はどの時代よりも幸せだ」と。
昭和33年生まれ。
このころは「もはや戦前ではない」と言われGNPが戦前を超え、戦後の復興が目覚ましく食料にも困らず経済は安定し,そして発展し始め、笑顔の絶えない家庭生活を送れる時代に生まれました。
もちろん毎月の手取りは少ないので母は内職をしていました。
でも今のように共働きではなくいつも家庭にいて、やさしい笑顔で見守ってくれています。
子どもたちは朝から晩まで外で走り回り、自然と共に遊び、隣近所のおばさんにはおやつをいただき、夕焼けと共に帰ってきて、食卓を囲んで一家団欒。
父は遅くまで働いてましたけど、ひょっこりひょうたん島を見て先にお休みなさいって。
文明の発達も目覚ましく、新しいものが次々と。
白物家電の登場で母は年々楽になっていきます。
車は各家庭に一台の時代となっていきます。
1973年、私が15歳の時には固定相場制から変動相場制へ。
大学生の頃の夏休みはみんなでハワイへ、女の子たちはヴィトンやエルメス、海外のブランド品をお祝いに購入。
欲しいものは次から次にあらわれてきます。
就職も高度経済成長に後押しされ多くの卒業生が希望の就職先へ、でも、女の子たちはほとんど就職せず家事手伝いでしたね。
そして1986年(私は28歳)に始まったバブル。
その後のことはご存知の通りですが日本経済は有頂天でした。
そして現在まで。
本当に素晴らしい60年でした。
これからの人生
これからの人生?改めて自分の使命は?
この数日考えています。
この数年やってきたことは・・・、もちろん無駄なことなどありません。
自分一人で何ができるのだろうか、もちろん自分一人の力なんてちっぽけなもの、だからこそ和の輪を作ろうとしてきたはず。
でも、人間という生き物はやっぱり自我の塊。
そして、悪気がなくても自分に基づいて「いい」か「わるい」を決めてしまう。
もちろん私も。
疲れるな人生って。
さてさて、どうしてものでしょうね。
ありがとうございます。
取り留めのない話でごめんなさい。
還暦を迎えて何かが大きく変わるわけではありませんが、自分が今まで以上にしっかりとしなければとは思います。
決意表明?
今までと何も変わりません。
「ありがとう」が世界を救う、だから日本の古よりの「ありがとう」の心をもっともっと知ってもらい多くの人たちに広がりますように。
そして、自分はもちろん大切にしながら自分と同じようにご両親はもちろん、ご先祖様、ご縁をいただいた人たち、そして自然を大切に、目に見えないものまでにも「ありがとう」の心を持ちながら日々を過ごしていけまうように。
戦後、いや、明治維新後からの文明開化によって失われていった文化を取り戻さなければ。
そして、世界中から争いごとなんてなくなれ。
争いごとだけでなく、自然破壊も終わりにしましょう。
私が、私の、ではなく、みんなで、みんなと、の思いを大切に。
60になって今大切なことは自分だけの欲ではなく、これからの未来、子供たちのために何をしなければならないのか、何ができるのかを改めて考えできることから実行していくことです。
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
こんな私ですが、これからも宜しくお願いいたします。