日本の夏「切り子が大好き」
切り子が大好き
こんにちは。
日本の夏「切り子が大好き」
いつからかな、切り子が大好きなのは。
ずーっと前に鹿児島に行ったとき、お土産にもらってからかな。
真夏のテーブルに、光が煌めく涼しげな切り子の器がとってもお似合い。
夕暮れどきの晩酌のひととき、それから大切なお客様のおもてなし・・・
どんなときでも、繊細なカットガラスが光とあいまって、清涼感と涼しさをかもしだしてくれます。
ありがとうを世界中に
Arigato all over the World
ひと口に切り子といっても、いろいろなものがあります。
本来は、こっくりとした色味で、カラッとした面が平ら。
そして繊細な文様にずれがないことが上質な切り子の条件。
基本的な矢来や格子、麻の葉、菊籠目などの文様をさまざまに組合せ、熟練した職人さんがすべて手作業で掘り込んでいきます。
腕のいい職人さんでも、一日に、ぐい呑みなら3個程度しかつくれないほど作業は緻密で、鉢や花瓶などの大物なら1か月ほどかかることも多いとか。
職人さんがもくもくとつくりあげる・・・というあたりが、心奪われる所以ですね。
ガラスはいつから?
ガラスそのものについては、なんと弥生時代には日本に存在していたようです。
遺跡から勾玉(まがたま)などの装飾品が発見されています。
ただ、この時代のものは、おそらく日本で作られたのではなく、海外からもたらされたものだと考えられています。
その後、2000年ほど前には日本でも作られるようになりましたが、徐々に衰退してしまいます。
再びガラスが広く作られるようになったのは、18世紀の初め。
鏡、メガネ、かんざし、風鈴などが主でしたが、次第に食器類が作られるようになりました。
昔は「瑠璃(るり)」や「玻璃(はり)」と呼ばれていましたが、江戸時代から「ぎやまん」、「びいどろ」と呼ばれるようになり、その後「ガラス」という呼び方が一般的になりました。
江戸いろはかるたの中に、「瑠璃も玻璃も照らせば光る」ということわざがあります。
「本当に優れたものは、他の多くに混じっていても美しく輝く」という意味ですが、ガラスがいかに人々の心を魅了していたかがうかがえますね!
(文:江戸monostyleより)
江戸切子と薩摩切子
現在日本に残る最も古い切子の器は、正倉院の白瑠璃(はくるり)の碗と言われています。
日本史の資料集などで目にしたことがある人も多いかと思います。
この碗は、ササン朝ペルシア(3~7世紀)の後期にメソポタミア地方で作られたもので、シルクロードを伝って渡来したものです。
その後一時途絶えますが、ガラスは16世紀ポルトガル船が種子島に漂着した頃のこと。
その後、宣教師たちが来日するようになり、日本にカットガラスなどが持ち込まれ、ギヤマン、ビイドロと呼ばれて人気を集めました。
その後、長崎でガラス作りが行われるようになり、江戸時代になると、大阪、江戸、薩摩をはじめ、全国で作られるようになっていったのです。
ガラス、切子の詳しいことは「日本工芸堂」のサイトをご覧くださいね。
心を伝える、和の品。
大好きです。
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.
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