二條さま 古事記のお話しの2 第二話の1
葵祭
こんにちは。
今は京都はお祭りの時期ですが、京都の祭りといえば葵祭りのことなのです。
山といえば富士ではなく比叡山のこと。
祭りといったら葵祭りのことなのです。
丁度この5月の15日に、京都上賀茂下鴨神社でおこなわれますね。
折角なので古事記の話の前に、葵祭りの話を少ししておきましょう。
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秦という一族
京都開闢(かいびゃく?)の時から住んでらっしゃる渡来の方々がいたのです。
これは、もともと大和の朝廷があった頃に中国から沢山の移民というか、難民がいらっしゃったのです。
魏志倭人伝の中には、こう書いてあったのです。
「日本には牛と馬がいない。」
いなかったんだけど、その馬を連れてきた人たちがいるのです。
秦という一族の人たち。
その秦という一族の人たちが日本に沢山の技術と牛と馬を連れてきてくれた訳です。
いなかったと言うと少し違いますが、使役(しえき)できる馬と牛がいなかったという風に思います。
弥生時代ぐらいからどんどん馬と牛を、この秦氏という一族が連れてきたのです。
馬はこの辺に今もいますけれども、盆地の中なのでいくらでも走らせられ、馬がとてもよく育つようになった訳なのです。
だから、今から2000年ぐらい前から1600年ぐらい前までの400年くらいの間に、京都という所は馬の産地だったのです。
そして葵祭はその当時からやっているお祭りなのです。
上賀茂神社の後ろを見ると、上の方に神山(こうやま)という小さな小山があります。
その上には岩だらけの神様が降臨される所があって、そこで秦氏のお祭りが始まるわけです。
この秦という人たち、最初は仲良かったんだけれど、だんだんと地域性が出てくるのです。
京都に住んでらっしゃる方はよくわかるかもしれませんが、京都って平らな街じゃないのです。
実は盆地でも少しだけ、上の方からそーっとゆるやかに坂になっている。
北の方に行けば少し高いし、九条の方に行ったら低い。
だから多分ビー玉を御所の烏丸通りにポコってやると、コロコロコロコロコロと京都駅の方へ転がっていくような感じです。
その京都の上の方にいる人たちが、秦氏の中から「加茂氏」という人たちになります。
そして南の方に行くと、松尾大社を中心に一派を作るようになって、両方ともややはり馬を育てるのです。
特にその加茂の近所、上賀茂神社、下鴨神社の近辺の人たちが馬を育てるのは上手だったのだと思います。
(写真:「そうだ京都、行こう」さまより)
平安遷都以来、皇室直接のお祭り
その後、桓武天皇が奈良のお坊さん達と喧嘩をして、こちらに逃げてくるわけです。
「泣くよ坊さん平安京」と私たちは言ったものです。
急に「鳴くよ鶯」になっているけど、私たち子供の頃は、道鏡(どうきょう)の力から外れるために「泣くよ坊さん」と言ったと思うのです。
「泣くよ坊さん」で桓武天皇が794年、この平安京に都を建てた時に、もうここには加茂氏たち、いわゆる秦の人たちがぎっちりいたわけです。
ここに都を建てさせて頂きますということで、わざわざ下鴨、上賀茂神社、それから南は松尾大社にお参りされて、そしてここに都を建てるという事だったのです。
なので、平安遷都以来は、皇室直接のお祭りということになるわけです。
あそこにいる二つの神様は、実は、皇統、いわゆる天皇家に関わらない神様、言えば渡来の神様だと思ったらよいです。
それを天皇家がお祭りするという形で、現在までお祭りが続いています。
これは、すごく古いお祭りで、我々がすぐうかがい知れるものは、お行列を見ることが出来るのです。
御所から下鴨・上賀茂というところに、天皇のお遣いがお祭りとして行列を組んで行かれる。
これは「路頭の儀(ろうとうのぎ)」という風に言うのです。
源氏物語の葵の段で、車争いの場面、葵の上と六条御息所が御所車で喧嘩するわけですが、あれは本人たちが喧嘩したのじゃなくて、実は下の者が喧嘩したのだけれど、結果的に六条御息所の御所車はめちゃめちゃになり、その後生き霊になって夕霧を恨んで死ぬという、そういう一端があります。
その段でも葵祭りのことが書かれているように、もう千年前には今の形をちゃんと保っている非常に古いお祭りであります。
あの行列も、そこら辺の人たちをアルバイトで集めているのではなくて、代々同じ役をやっている方達なのです。
天皇様のお遣いの代わりになっている人も、明治天皇が東京に行かれて私たちも東京に行ってしまったわけだけど、京都に残っていたお公家さんがそれを代わりにやります。
なのですが、実際は天皇の遣いは今でも、「差遣(さけん)」と言いますけれども、天皇様から差し遣わされて、今でもお祭りに参加しています。
参加している人は、桂の葉っぱと双葉葵をかざして全員がお祭りに参加する。
なぜこの葉っぱがいいかというと、すごく消毒効果があるのです。
桂は、英語でシナモンです。
要はそれだけでも消毒効果があるし、葵は「山」という言葉をつけると「わさび」と読みます。
ドクダミもそうですし、京都の場合は双葉葵という葵があって、京都というのは疫病が流行る国なので、この二つの葉っぱを使ってこの時期消毒をするという意味もあって、かざしをするのですね。
この「かざし」が段々と、「かんざし」という言葉になっていきます。
松尾大社の葵祭
葵祭りというと、上賀茂・下鴨神社のお祭りだと思ってらっしゃるかもしれないけれど、実は、松尾大社でもやっているのです。
同じぐらいの歴史があるのです。
一度は、上賀茂・下鴨のお祭りをご覧になって頂いた後、出来たら是非とも松尾大社のお祭りにも行って頂きたい。
松尾大社のお祭りの方が神秘的なのです。
御神輿が11基だと思うのですが、出るのです。(6基?)
そして「川渡御(かわとぎょ)」(「船渡御」)といって、桂川をお渡りになるのです。
特に見て頂きたいのが、松尾大社の摂社である「月読宮」「月読神社」というのがあるのです。
そこの御神輿を是非とも見て頂きたい。
我々とヨーロッパの繋がりが解ります。
失われたアークが出てきます。
月読宮、月詠の一族というのは、要は壱岐を経由して日本に入って来た。
言ってみれば渡来の人たちで、ケルビムこそ乗っていないけれどもお神輿がアークなのです。
我々は御神輿というと想像するのは、お社が上に乗ってるものだけど、担いでいるのはお社が乗ってない箱だけなのです。
「皆お祭りの時には御神輿があったのだけど川に流されてその部材をただ箱に入れただけ。でも、いつそうなったかはわからないです。」、みたいな言い方をしますが、僕は知ってる限りずっと「長持ち」です。
一回も開けたことがないという事です。
是非とも松尾の葵祭りにも行って頂きたいと思います。
今日皆さんにお配りしているのは、上七軒の老松というお菓子屋さんに無理を言って、御所車をイメージした「きんとん」を作ってくれという風に言いましたら、かくの如く、日本一の職人がきんとんを作ってくれています。
楽しみにどうぞ召し上がって下さい。
ありがとうございます
葵祭りには唐車と言って4人乗り御所車が出ます。
多分、下の黒いやつが車輪で上が藤の花なのかな。
葵祭りは、藤も実は重要なファクターでございまして、やはりこのお祭りは藤に重ねたんだと思います。
藤の一族にやはり重ねられないとならなかったのだと思いますね。
伊勢神宮様にも祭主という天皇家の血のある女子が斎宮(いつきのみや)ということで出仕するわけですが、加茂の神様にも、斎王という、やはりこれまた天皇様のご一族が祭主になられて、明治時代まではお仕えになっていた訳でございます。
22社ある勅祭社(ちょくさいしゃ)の中ではトップでございます。
天皇様のお手紙もこの葵祭りだけはお手紙の紙の色が違うのですよ。
普通は、天皇様のお遣いが持っていくお手紙の色は、ウコンで染めた黄色い紙、ないしは藍で染めた藍紙というものなんだけれど、ここだけは違う色なのです。
これもお祭りに行って見ないとわからない。
昨年、実は葉室様のご縁を使って葵祭りを拝見しに行ったのですけど、すごく見えるところに座っていたのだけど見えなかったですね。
ちなみに奈良の春日神社のお祭り、春日祭の面白いところは天皇様のお遣いが途中で踊りだしちゃう、拝舞(はいぶ)してくれる。
天皇のお遣いはおじいさんなのに、お禄(おろく)と言って、よく来てくれたと言って、天皇様のお遣いに神様が録、ご褒美をくれるのです。
そうすると、あまりに嬉しくてそのご褒美をかざして急に踊り出す。
拝舞(はいぶ)と言うのだけれど、中に入れればなんですが拝舞が見れるのです。
女の人の場合は少なくとも三つ紋の訪問着が必要。
男子はスーツで大丈夫だけど、着物を着ると言ったら、五つ紋の黒紋付きということになります。
女子の場合は着物の方がいいと思いますね。
三つ紋以上の訪問着で。
春日祭を見た後は、今度は石清水です。
そうすると三つ見たことになります。
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
この続きもお楽しみに。
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.
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