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二條さま 古事記のお話しの2 第六話の4

古今伝授の相伝者

だから、「雲がまるでモクモクするような考えだ」という事で、『アメノトヨクモ』という考え方までは、「お酒」という事なのです。
そして、その下、最後の「ノ」と「ニ」という事なのです。
『お酒「の」効用』という事で言えば、お酒自身を神様にすると、「ノ」なのです。
ところが、我が家はお酒自身を神様にしているわけではないのです。
『お酒という神様「に」何かをする』という事なのです。
『アメノトヨクモニ』というのは、その後に何かがつかなくては、「ニ」という言葉を使えないわけです。

今日は話します。
私は、12月に倒れまして気付きました。
今日、皆さんとお会いして、では次回と言っても、もういないかもしれないのです。
だから、その場で一期一会で行くしかない。
実は私は古今伝授の相伝者なのですが、まだ何も相伝していないのです。
このまま墓に持って行ってしまう事になるのです。
日本に17人しかいない伝授が16人しかいなくなってしまうという事でしょう。
皆さんは、伝授だとかそういうのは秘密が多いと思いがちかもしれませんが、何の秘密もありません。
調べればすぐわかる事ばかりです。
少しは、解釈の問題で秘密化されているような形もあります。
でもそれは解釈の問題で、決して黙っているわけではないのです。
でもこれからは喋ろうと思っているのです。
少しでも話しておいたら、「二條さんがそんな事を言ってたよね。」と集めてくれれば古今伝授になるのじゃないかとね。
今までだって隠していたつもりは毛頭ないけれども、この「ニ」の後の話については、今までは、ここから先はうちは伝授なので、お弟子さんになって下さいという話だったのです。
この先は、そういうのはやめましたので、皆さん聞いて帰って下さい。
でも、聞いて帰ったところで理解が出来るかどうかは別の話です。

ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

 

 

日本の古事記で凄く重要なのは神様が重要と言ってないという事なのです

「ニ」というのは、人間の行動が重要だという事なのです。
神様が重要という事ではないのです。
日本の古事記で凄く重要なのは、神様が重要と言ってないという事なのです。
世界中の宗教は、神様なのです。
でも、日本の神様は、神様が重要だと一言も言ってないのです。
神様が偉いと一言も言ってないのです。
そして、神様がこういう事をしてくれると一言も書いていないのです。
幸せを運んでくれたり、家内安全を証明してくれたり、学業成就で大学に必ず入学させてくれたりとか、日本の神様は、そういう約束を一切しないのです。
古事記には、一切書かれていないのです。
「この神様を拝んだからこんなに幸せになりました」などは、一行もないのです。
神様が歌を歌って結婚するというのはあります。
それだって、歌った先の女の人は「ちょっと1日待って。」と言います。
「翌日来てくれたら結婚してあげます。」とよく言うけれど、その歌を歌ったからといって、結婚に繋がったというのは一切ありません。
むしろ、神様の方が我々よりドロドロしているわけです。
あと奇跡も全く起きません。
起きないのでございます。
むしろ、ドロドロしております。
兄弟喧嘩の先に姉が頭に来て隠れちゃったと、そういう話だってあるでしょう。
あれは神様同士の兄弟喧嘩です。
後で話しますが、その兄弟喧嘩が皆さんに何の益になりますでしょうか?
確かに、太陽が隠れてしまって、様々なまがつ事、悪い事が噴き出して来た。
でも、姉が出て来たらそれが治まったとは、一言も書いていないのです。

『アメノトヨクモノ』とすると、『アメノトヨクモ』の益ないしは、『アメノトヨクモ』の得という事になって、これは我々の願望です。
だから「ノ」にしたかったのですよ。
『アメノトヨクモ』が何かをしてくれるという。
お酒がです。
だから、『アメノトヨクモノ』というのは、のんべえの言い訳だという事なのです。

 

 

お酒は「過ごす」

でも、神様は何もしてくれません。
例えば、私が彼を沢山飲ませます。
そうすると、飲ませている間は、隣にいる彼女は、「宗匠に飲ませて貰っているんだからどんどん行きなさいよ。」
その後、彼が段々酔っ払って泣く。
そうすると彼女は「何酔っ払っちゃってるの。」と頭に来ます。
お酒を飲むから酔っ払うに決まってるじゃないですか。
飲み過ぎている酔っ払いを見ると、酔っ払っていない人間は、「何お酒に飲まれちゃってるの。」と頭に来ちゃう訳です。
でも、お酒はむしろ飲まれるために飲んでいるのですよ。
飲まれないで通常のためにいるのなら、ジュースを飲んだって同じでしょう。
お酒を飲むというのは、ちょいと常の自分と違うものになりたいから、やりたいのです。
ましてや、飲むなんていうのは、下世話な言葉です。
日本語でお酒を飲むことを「過ごす」と言うのです。
飲むのは水。
お酒は「過ごす」。
その言葉には時間がついているのです。
じっくりチョビチョビやって時間をかける事によって自分を別のものに変貌させていく。
あとは言い訳を言う。
その言い訳が、「ノ」なのです。

 

 

『アメノトヨクモニ』

お酒を飲むから翌日頑張れるという言い訳、これは、お酒が何かをしてくれるということ。
だから、のんべえの言い訳を言いたい時には、「ノ」と言えばいいのです。
ところが、『アメノトヨクモニ』となったら、お酒のために何かをするという事になる。
「お酒を飲むために働きなさい」という事なのです。
『アメノトヨクモニ』をつくるために働けということなのです。
働いたりとか、気持ちをどちらかに寄せていく方が重要なのだということです。
そうすると、あの薬を得られる。
薬ですよね、お酒って。
養老の伝説にもあるように、お酒というのは適量であれば薬なのです。
まあ、薬になっていない人も、むしろやり過ぎで毒なのじゃないかと思う人も沢山いますけれどね。
でも、適量であれば、薬なのです。
それは、働かないと得られないのです。
働くとはどういう事かというと、セックスするという事です。
もしくは、狩りに出る。
もしくは、人に何かの情報を伝える、もしくは、作物を育てる。
これしかありません。
こうすると、『アメノトヨクモ』を得られるという事なのです。
だから、『アメノトヨクモ』に捧げる何かをしなさい。
これを神様にするという方法なわけであります。
方向なのであります。
「ノ」はのんべえの言い訳。
「ニ」は、それを得るための行動。
という事に大きく変わってくるのです。

 

 

神様がいるとしたら、それは人心

『アメノトヨクモノカミ』というのは、お酒自身がその神様であり、これがとても尊いものであるという風に持ち上げた時に、『アメノトヨクモノ』という名前にします。
しかし、神様自身は日本ではちっとも偉くないのです。
それから、どこにもいない。
この中で神様を見たことがあるという問いかけに対して手を挙げたのは、一人だけいましたが、私ですら見たことはないです。
大抵は見られないです。
だから、神様は実はいないのです。
神道をやっている私ですら言います。
神様はいません。
神様がいるとしたら、それは人心。
人心が、物事や心の動きを「神様」と呼ぶのです。
「いやいや、そんなことないですよ。あそこに存在があったりとか。」と言われる方もいます。
それは、共感する事が難しい。
その人が、いるというのは、それはいいのです。
その人には、そこに見える事もあるかもしれない。
感じる事があるかもしれない。
でも、共感を得る事が難しい。
そうではないでしょうか。
神様が見えたりとか、「あの隅に誰かが座ってますよ。」など言う人は私の周りにも結構いますが、でも、それは共感してあげる事がなかなか難しいのです。
残念だけれど、私には見えないですもの。
ですから、ただ怖がらせるんじゃないよという話です。
思っていたら口に出さないでおいて、いるんだなと思って、「こんにちは。」と言っていたらいいのです。
「あそこにいますよ。」と言われたら怖いですよね。
そんな事で共感させるのではなく、これは人心の動きでしかないわけです。
この人心でしか神様を感得する事が出来ない。
神様を感得するのは、人の心でしか出来ないのです。
熊さんや猿さんや蟻さんや蝶々やライオンやゾウさんに神様を拝みなさいと言っても、訓練すれば手を合わせる事はするかもしれないけれど、彼らに神様は拝めないのです。
哲学がある我々でしか、神様を感得する事が出来ない。
この哲学というのは、人の心なのです。
この人心でしか感得出来ないもので唯一、共感力を引っ張っていく当時の最大の薬が、『アメノトヨクモ』なのです。
そうすると、どこか雲っぽいと思いませんか?
ワクワクして、同じ神様を拝む事を良しとする人達が集まれるための薬。

 

 

地域が変わると味も変わる

最近は、日本中のお酒を等しく皆さんがお過ごしになる事が出来る。
ところが、私の子供の頃はそうではなかったですね。
例えば、まだ私が小学校2年生の時ですが、叔父がパスポートを持って沖縄に行ったのです。
私の祖父は、「泡盛というお酒があるらしいから買って来い。」と言いました。
今は、心あるデパートに行けばどこでも買えますが、あの当時は絶対に買えなかったのです。
でも、沖縄から3日くらい経って本土に持って来ると、全く違う香りになっているのだそうです。
どうなるかというと、泡盛というのは、臭いのです。
沖縄で飲んだら全然臭くないし、むしろ、その臭みも良いわけです。
ところが、寒い地方で泡盛を飲むと、やっぱり少し臭いねという話になる。
だから、共感力を得られないお酒なのです。
常に戴きたいお酒ではなく、「変わったお酒」となる。
どぶろくというお酒がありますが、貰うのは作って3日後ぐらいです。
3日も経つと、酸っぱくてもう飲めないですよね。
ところが、作りたては香りも良ければ、甘酒のようにお米の甘みもある。
つい先日も、ピンク色の美味しいどぶろくを頂戴して、お雛様ではないけれど、白酒のようにグイグイと飲んでしまいました。
ですが、蓋を開けると、どんどん酸っぱくなっていくのです。
地方に持って行くと、臭くて飲めないのです。
だから、どぶろくというお酒は、三増酒で臭いお酒というイメージがついてしまった。
でも、作りたては凄く美味しい。
作りたてが飲める範囲の人が、実はチームという事で、隣のチームではそれが美味しいと思うかどうか別のものなのです。
醸し物というのは、みんなそうです。

私は、2ヶ月に一度、福岡や対馬でも、かな書のお稽古をしています。
皆が言うのです。
「2ヶ月に1回、福岡や対馬においでになられて、さぞかし美味しいものを召し上がっているのでしょうね。」と。
美味しいものは一切食べに行きません。
ホテルに行って弟子に焼きそばなどを買って来て貰うか、コンビニに行ってお弁当を買って食べています。
なぜだと思いますか?
お醤油が合わないのです。
甘過ぎて食べられないのです。
お刺身にお砂糖の入っているお醤油なんかつけられない。
私達は、お醤油といえば野田の醤油で、キリッとしたしょっぱいお醤油しか食べられないのです。
お醤油も醸し物です。
お酒と同じです。
地域が変わると、実は発酵の状態も変わるから、そこで飲んでいたものではないものなので共感が得られないのです。

 

 

「クモ」というのは「その良さがちょうど伝わる範囲のもの」

先程から説明しているように、『トヨクモニ』は、自分が良いと思う人の範囲を広げていく事だという風に説明しました。
でも、良いと思う範囲というのが、実は、醸して出来た物がその体に馴染むかどうか、という事なのです。
皆さんは、お醤油が違うというのはあまり想像出来ないでしょうか。
私は本当にダメなのです。
味噌も、手前味噌と言うのですが、内弟子がお味噌を作ってくれるのです。
新嘗祭になると、お味噌もあがってくるのですが、体が受け付けないお味噌汁があります。
醸し物というのは、そういうものなのです。

「クモ」というのは、「その良さがちょうど伝わる範囲のもの」という意味になります。
「メノトヨ」。
「メノト」「ヨ」。
「めのと」は、すなわち相棒という事ですよね。
「めのと」というのは、奥さんの事や、母乳を出せる人。
母親代わり、乳母の事も「めのと」と言います。
どこもそうなのですが、母親が母乳が出ないと、母乳が出る人に子供を預け、母乳を吸わせる。
母乳は実は、母親の血なのです。
血ですから、取って1日置くと真っ赤になります。
血が血で出来るから「ちち」と言うのです。
「血を頂戴する」という事なのです。
そうすると、香りがその人になっていくのです。

 

 

ありがとうございます

私は、ハワイがすごく好きで、若い頃から、家族の絆はハワイで、ハワイに集合しました。
集合して特に何をするわけではなく、その日に集合してご飯を食べて帰るだけです。
いつも同じホテルに泊まって、エレベーターに乗ってプールに行きます。
プールに行く格好ですから、パンツにガウンを羽織っているだけです。
言ってみれば、着の身着のままです。
それでエレベーターに乗ります。
1階に降りてエレベーターのドアが開くと、白人の人達が前にいます。
そうすると、その白人の人達は、私が入った後のエレベーターには乗りません。
日本人って、お醤油臭いらしいです。
そのお醤油臭さは、白人の人にはちょっと耐えられないらしいのです。
私、臭くないんですよ。
シャワーだって浴びますし、ホテルのシャンプーを使っていますから、体中が香水臭いはずなのに、白人達にはわかるらしいのです。
結果的に言うと、東洋人差別に繋がっていくのかもしれませんが、私などに言わせると、白人達の香水臭さは許せないですよ。
どうしてそんな臭い体でお香を聞きに来るんだと思いますよ。
という風に、実は食べ物、醸し物というのは、体の体臭にも影響してくるのです。
それは、一つの仲間を形成するためのフェロモンにも繋がっていく。
『アメノトヨクモニ』というのは、フェロモンに対するアプローチという事にもなって来るという事なのです。

 

今日も『アメノトヨクモニ』のお話を最後まで聞いていただきましてありがとうございました。
次は七月になります。
お楽しみに。
(写真は古事記のお話しの次の日の「カナ書」教室での写真です)

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld

 

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