二條さま 古事記のお話しの2 第六話の質問コーナー
<質問コーナー>
⚫︎初歩的なのですけど、神様名とは、働き100%で捉えたらいいのですか?
→
そうです。
少なくとも、神代と呼ばれる時代の古事記で言うと、上巻、中巻、下巻の中で言えば、上巻は人心で作られた名前だと思っていいと思います。
特に天孫降臨までは全てだと思います。
作用です。
『ウマシアシカビヒコジノカミ』って何?日本語?という名前でしょう。
『アメノミナカヌシ』というのでも、漢字で書かれたからやっとわかるけど、音だけだったら『アメノミナカヌシ』、何それという話ですよね。
『タカムスヒ』『カミムスヒ』は「かみ」とか「たか」というのがあるから、定めし上のものなのだろうとはわかるけど、「ムスヒ」、何それという話ですよね。
音が今と全然違うじゃないですか。
もう作用です。
ありがとうを世界中に
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⚫︎宮中八神殿はどのくらいですか?
→
八神殿の中で一番大切な神様は何だと思いますか?
もうあと5回ぐらい後に出てくる神様なのですが、『オオコトオシオノカミ』というのがいるのですよ。
この神様が、本当は一番重要な神様になってくるのです。
今でも祀られています。
あとは、『タカオカミ』とか『カミオカミ』とかです。
これも、えっ?と思うかもしれませんが、八神の中のお一柱に数えられる神様なのですよ。
その中ではあっても、『オオコトオシオノカミ』。
この後5回後ぐらいに話すのですが、折角ですから少しだけ話しておきますと、「よしやったるか。」という神様なのです。
人心をそのまま行動の中で神名にしたという、典型例なのですね。
けれど、あまり古事記の中では重要視されないし、「八神の中に本当にいらっしゃるの?私の知っている常識ではちょっとその名前はないです。」と思うかもしれません。
むしろ、ありなのですよ。
人心だからこそ、実はそういう神様を入れる。
言っていいのかどうかわからないですけれど、今『オオコトオシオノカミ』が祀られているのは、宮中の神殿と、そして総理大臣官邸の総理大臣の執務室に祀られるという事になるわけですよね。
これも本当に、人心を象徴した神様の一つだと思います。
八神とも人心だと思って下さい。
人心ではない神様を探す方がむしろ難しい。
何故なら考えてみて下さい。
我々が神様にしたもの、何がありますか?
一番重要な神様といったら、まずこれですよね。
太陽でしょう、その次は月でしょう、そしてお水でしょう。
あれを神様だと思っているのは、誰だと思いますか。
猿やライオンや象は、太陽や月や水を神様だと思っていると思いますか?
あれを神様にしているのは、人間だけですよ。
もし、宇宙人が到来したとしましょう。
太陽なんて、割と小さな天体だと思います。
あれは神様でもなんでもない、ただの天体です。
月だってそうです。
でも、あれを神と言っているのは、残念だけど、我々の心でしかないです。
あの天体が、「人間よ、丁度よく暮らさせてやるぜ。」と思っていると思ってますか?
月が、「今日はちょっと引力を強くして、水を引っ張ってやろうか。」と思っていると思いますか?
ないですから。
奴らはただ周ってるだけですから。
あの周りを我々が周っているだけですから。
なので、日本の場合、残念ながら神と呼ばれているもので、人心じゃないものは一つも日本にはいません。
唯心。
いわゆる原理的な神のあり方には「LOVE」というのがあるんです。
「愛」。
これだって、人心ではないでしょうか。
愛のない人間もいるけれど、人心で形のないものです。
だから、神様は、はっきり申し上げましょう。
すべて人心です。
ただそこに、何を神様にするかというのは、これは、eachotherでいいと思います。
togetherではなくて、eachotherでいいと思います。
⚫︎沖縄は基本、自然崇拝で、神様がいないんですよ。
インディアンとかと一緒で、火の神、水の神。
その辺をずっと崇拝しているんですけど、先程の話では、それも人心という事ですか。
→
人心です。
「ニライカナイ」という、向こうからやって来るという神様。
これだって、何がやって来るのだろうか。
例えば、我々でいう南風(ハヤ)、それから、それが運んでくる黒潮、大きな魚たち。
そして、日本の国全体がそうですが、海からやって来る情報。
稀にあるのです。
難破船が大陸から漕ぎ出して行って、たまたま良い潮流に乗ってしまって太平洋に出てしまう大陸の人間がいます。
それが、南風によって日本にやって来る。
春のハリケーンによって海から上がってしまうのです。
そうなった時に、我々と違う人種が来るのです。
例えば肌の白い人種、例えば肌が黒い人種、例えば少し浅黒い人種。
日本は肌が白いと呼ばれている。
自分達は白人だホワイトだと言っていますけれど、日本人には白人は赤く見えたのです。
白いから、血管がよく見えて、顔が赤く見えて、髪の毛はチリチリで少し色が違う。
目の色が違う。背が高い。歯が大きい。
そして、剛毛。
ちょっと鬼に見えたのでしょう。
黒かったら、それは黒い鬼に見えたのでしょう。
インドの人達は、少し青く見えたのでしょう。
そういう事で、鬼というのは多分、外国人なのだと思います。
でも、その人達が持って来る情報というのは、全く違う情報なのです。
全く違うメディカルの考え方を持っていたりとかする。
今までは、縄など、生活用具のために使っていた「葛」という植物が、中国の人が来てくれたおかげで、「その根っこ、ちょっと煎じて飲んでごらん。」と言うのです。
煎じて飲んでみたら、熱が少し出た。
熱が出るとはどういう事かというと、風邪が治るのですよ。
こういう情報を持って来てくれるという風が吹くというのも、沖縄の神様になっているわけです。
島が小さければ小さい程、情報はすごく重要になってくるから、大切な事ですよね。
あとは、例えば、山、川、海洋などの自然、こういったものも神様に見えるという人心。
これは、島国でないと得られない人心なのです。
残念ながら、大陸にこの人心はありません。
哲学はあります。
東洋には、太陽の神、月の神はあります。
でも、それって哲学だから、それは人心ですよね。
したがって、人心だと思います。
「でも、宗匠、恩恵(おんえい)は貰っていますよね。」って、
当たり前です。
我々はこうやって人間として生きているのですから、自然からないしは、この大宇宙から地球上から恩恵を得ていない人は一人もいません。
したがって、それを神様だと思うのは普通です。
これを拒否するのなら、カプセルか何かで生きて頂きたい。
夜も昼もなく働けるのなら、そうして頂きたい。
でも、我々は今のところ、この大自然の恩恵を得ている。
恩恵という事はわかっているのです。
科学でわかりました。
少し前まで、これは科学でわからなかったのですよ。
でも今は、科学でもわかっています。
太陽の光、太陽の活動がどういう活動をしてくれる時に我々に恩恵を得られるか。
活動期になると、実は今あまり恩恵を得られなくなって来た。
それでも、電算機を使っている人が恩恵を得られないだけで、普通に生きていてるのであれば、例えば太陽の黒点の活動が大きくなったところで、我々に影響されるのは少しだったと思います。
ところが、電算機を使ってコンピューターやそういったものを使うようになると、実は太陽の活動が盛んになると、ちょっとまずかったりとかするんでしょう。
でも、そういうのは最近のテクニカルの問題であって、実際は太陽の光で我々は生きているし、月が動いてくれるおかげで満ち引きがあって、月が満ちている時は非常に引力が強いわけですから、人間も水分で出来ていますから、その満ち引きによって引っ張っていかれる。
ちょっと発狂気味になる。
血がどんどん上に持っていかれるわけですから、ある人はすごく発狂的になるから、それは狼みたいに見えるでしょうし、引力が強いから外に水を出そうとする。
これでもう一つの水のものが子宮の中に入っているとしたら、出産が非常に良くなったりとかする。
これは、実は月が持っている力。
今はそれが引力だという事はわかっているけれども、引力だとわからない頃は、見た目で、月が大きいから我々はすごく酒池肉林のような状態になるねというような、その月のおかげになる。
でも、これも人心です。
実際は、科学で言うと、月と地球の引力によって引き起こされている力関係だった。
でも、それですらやはり我々は恩恵を得ているという事になります。
だから、人心というのは、その恩恵を人心が良いと思ったために神とした。
もしくは、人心がそれを非常に怖いと思ったから、神にする。
良いと思うだけが神ではないのです。
神様の名前は人心だという、これはトピックだという事なのですよ。
トピックなのです。
新聞で言うところの、「見出し」です。
見出しは良い事だけではありません。
悪い事でも見出しになります。
1月1日、北陸能登で地震があった。
これはトピックです。
このトピックは、神様になるのですよ。
神様にするのです。
そうする事によって、我々は、音で、ないしは神様の名前でトピックを覚えていく。
このトピックが神の名前になっていく。
これは、多分、洋の東西を問わずして起こっていた中で、島国には特に多い。
日本国にまつわる東アジアの島の国々の人達は特に多神教であるというのは、そういう事によって神様の名前としていく。
それが赤道の方に行けば行くほど図像化されていくのです。
形を持つようになってくる。
例えば、火が鳥になっていったりとか、水が蛇になっていったり。
北緯37°を境ぐらいに、それが図像になるのか、言葉になるのかという違いが出て来る。
日本より北の方に行くと、神様はあまり形がなくなっていきます。
南の方へ行けば行くほど、神様は形になっていきます。
見えてるかどうかはわからないけれど、そういう風に見えちゃうのですね。
見えちゃうというか、形にすることによって、わかりやすくしていく。
だから、東南アジアの島々は神様がしっかりした形になる、もしくは立体化してくる。
日本は、立体化する、もしくは図像化する手前ぐらいの位置にある。
立体化する必要がないのです。
物質そのものズバリが見えちゃっているからです。
太陽だって見えちゃうし、月だって見えちゃうし、葉っぱだって見えちゃうし、どんなものだって見えちゃう。
だから、神様は図像化する必要がない。
そういう訳で、あまり日本は図像化されない。
その代わり、トピックを言葉にするという形なのでしょうね。
⚫︎古事記のお話とは関係ないですけど、先程仰っていた17人の古今伝授の方の今のわかっている範囲での平均年齢はどれぐらいになっているのですか?
→
皆さんがよく知ってらっしゃる方で、お一人伝授者がいます。
秋篠宮殿下という方がいらっしゃいますが、あの方は私の二つ下かな。
今、京都にはお一人いらっしゃいます。
これは女性の方なのですけれど、私より13歳上です。
平均でいうと、60歳ぐらいでしょうか。
私が伝授を受けたのは、11歳から17歳の間、7年間で週4日、1日6時間。
そして、17歳の時に皆伝を貰います。
でもね、最近になってわかりました。
皆伝を貰ってから先、ちゃんと自分で噛み締めていかないと理解出来ないのですよね。
ただ言葉だけで来るから。
言葉だけでなら簡単なのだけど、それが、実が伴うというのは、酸いも辛いも甘いも一緒にならないと、「あ、そういうことやったんやわ。」というのがわかったのはこの年ぐらいかなと思います。
50歳を過ぎてから伝授の意味がわかって来ました。
それまで、ただ単なる言葉遊びだったのです。
でも、言葉遊びではないというのがわかったのは、50歳を過ぎてからです。
「やまとうたは人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける」という仮名序の始まりのあの言葉。
まさにその通りなのです。
日本の言葉というのは、一つ一つが葉っぱになって、それが一つの木を形成している。
我々は、落語を聞きます。
江戸時代から語られている落語を聞いて同じところで笑う。
すごく頭に来る。
でもそれは、頭に来るのは、行動が頭に来るのではなくて、結果言葉で頭に来させられちゃっているのですよね。
リール動画でも、すごく悲惨なリール動画を音がなかったら実はちょっと見れちゃう。
ところが、「キャーッ」と言ったり、「助けて」と言葉が入るだけで、見るも悲惨なものになって来るという風にね。
だから、音とか言葉というのが、実は一つ一つの葉っぱが木になって初めて事象になるというのがわかるのが50歳過ぎてかなと思います。
ですから、伝授者は、私も含めて今17人いるのですけれど、平均で60歳くらいだと思います。
けれど多分、私に根気がないので、もう無理じゃないでしょうかね。
伝授は根気が必要です。
でも、考えてみれば、うちの祖父が私に伝授したのは70歳を超えてからだという事を思えば、まだ大丈夫でしょうか。
⚫︎私は外国人ですけれど、日本の神様のお名前は長過ぎて覚えるのは大変だけど、古事記は少しだけ勉強して、それから色々日本を周りました。
今日は講座を聞かせて頂いて、色々理解出来、興味がもっと湧くようになりました。
古事記の物語の理解を深めるには、もし日本の観光として行くならば、例えば、大分県とか和歌山県とか、それから島根県とか、どこが先生のおすすめの場所でしょうか?
→
日本の神様の中で、特にアマテラスやスサノオがお好きで、中国の北京のご出身という事でいらっしゃいますよね。
まずはスサノオでしょうか。
まず、本当にスサノオを知るのであれば、一回はプサンに行かないと駄目です。
日本ではありません。
韓国です。
スサノオを知ろうと思うと、実は鉄を知ろうと思うことになるのですよ。
そして、アマテラスを知ろうと思ったら、一番簡単なのは、それは伊勢神宮です。
そして伊勢神宮に行くのなら、伊勢神宮をよく知っている人に一緒について行って貰うと、見方が変わって来ます。
ただし、ここにいらっしゃる方も覚えておいて下さい。
伊勢神宮は装置です。
遊園地です。
テーマパークです。
あそこは神様を感得するためのテーマパークなのです。
そのための演出が各所に出来ているので、ディズニーランドに行ってアメリカを知るように、実は伊勢神宮に行ったら、神話の世界を肌で感じる事が出来るような装置になっているのです。
本当の神様を知ろうと思うのであれば、例えばですが、太陽、アマテラスを知ろうと思うなら、観光で行けるという事ことであれば、九州の高千穂に行って、まず神様の名前を知ります。
その後、幣立(へいたて)という山に登るのですよ。
登る時間が決まっています。
その日の朝日が出る時間帯で、前日が雨。
すごく湿気が沢山残っている時の、風のない日、少しだけ雲がかかっている日に、日の出の時間に行くのです。
すると、アマテラスを感得します。
「御来光」と言いますが、太陽が登って来ると、カーッと温度が出て体が暖かくなり、太陽の周りに日輪のような輪がキューッと現れて、それが自然にグイグイグイグイと登っていくのが、少し雲が出ているおかげで直視していられるのです。
これは、雲がないと直視出来ないのです。
そして周りに日輪という輪が出来ないのですよ。
前日は雨だったから丁度水分が凄く残っていて、風がないから雲がたなびいてそのままにあって、太陽の形の周りに日輪が出てグイグイグイグイと上がって行く。
上がれば上がるほど太陽光が当たるので体が暖かくなって来る。
そこで実はアマテラスを感得する事が出来ます。
でも、これは別に日本だけではないと思うのですけれども、幸いにして、日本は湿潤で非常に水分が多いから、日輪が周りにちゃんと綺麗に出るのですよね。
ある人は、プリズム現象で虹色に見えるらしいのですよ。
水と光線が上がって、周りだけ虹色になって出るというね。
私などは虹だなと、プリズム現象だなとしか思えないのですけれど。
でも、そこでちゃんと太陽の形、太陽の動きが神様のように見えるのが、丁度幣立ぐらいがいいと言われてるのですよ。
だから、本来そこで感得するのが一番良いと言われています。
あとは、富士山か、東北だと月山、これも時間が決まっているし、天候状態が決まっている。
あとは、そうですね、これは後に提案しようと思っていたのですが、実は次回の古事記の話。
課外授業をしないかという話です。
糸魚川という所があるのですが、古事記の里なのです。
大国主というスサノオの一族。
その一族が、武力はもう充実した。
ではその後、何に行ったかというと、今度は美しさに行ったのです。
この美しさとは何かというと、貿易です。
海外との貿易に目を向けたのですよ。
その貿易のための商材は何かとなったら、金属はまだ大陸の方が強い。
でも、日本には宝石があったのですよ。
金とか玉とか。
これを貿易の目玉にしようとした。
この神様が、実は糸魚川にいるのです。
『奴奈川姫(ぬなかわひめ)』というのですが、これを感得しに行ってみるべきだなと思いまして、課外授業だと面白いかなと。
古事記にまつわる史跡や、その人心、自然の大いなる力というのが神様になっていくのですよね。
糸魚川には、その大いなる力に科学的なアプローチを出来ていく所があるんですよ。
ホッサマグナミュージアムという所があって、科学をまず見て、それからその隣に遺跡の遺物博物館があるんですけれど、今度は人間の生活になっていき、それが神様化していくんです。
これが隣同士並んでいて、とても分かりやすい。
人心が動いた事がよく分かるんです。
丁度今ブームですし、かつあまり暑い時に行くのはフィールドワークは大変で、5月は蚊もいなくて良い気候だし、観光客の方もゴールデンウィークには動くけど、ゴールデンウィークを外すと丁度良いのかなと思うので、それを提案しようと思っていたんです。
⚫︎神様は人心であるというお話だと思うんですけど、日本では実在した人が結構神様になっているじゃないですか。
例えば、学問の神様に菅原道真公、ヨーロッパなどに行くと、あまりそういうのがないようなイメージで、逆にキリストなど実在したかもわからないような人が神様になっていると思いますが、そういう違いというのは何でしょうか?
→
神の名前は、呼んでいるのは実は日本人だけです。
ユダヤ教やイスラム教で神様の名前を名乗るなんて不敬ですから、神の名前は名乗らないのですよ。
もしくは、神様というのは語ってはいけないのです。
ゴッドなのです。
一人しかいない。
あとは神になり得ない。
聖人になることはあっても。
聖人も、なると拝まれるから向こうでは神様扱いですよね。
でも、聖人様を神様にするかといったら、絶対にしないです。
日本は何でも神にします。
何でもです。
スマホを早く打てたら、「あいつ神だね。」と言います。
神に何でも出来ます。
ここが違います。
ここが、唯一教と多神教の違いで、唯一のいわゆる世界宗教というのは、神様はお一柱しかいない。
他は絶対にいない、あり得ない。
ただ、ジャンヌダルクだって拝んでいる人もいますしね。
日本でも、セントバレンタインといって、バレンタイン坊主を神様みたいに扱うけど、それを喜んでやってるのは日本人だけですよ。
向こうの人達にとっては聖人です。
聖人は神様みたいな事をしてはくれません。
神様みたいな事をした人なんですよね。
そこの違いがあるかもしれませんね。
ちなみに、我々神道では、そういう神様のことを専門用語で「明神」と言います。
「〇〇大明神」などと言いますよね。
神様にしちゃっているのですよね。
「明神」と言います。
<ご挨拶の仕方>
ご挨拶の仕方というのは、実は、口上と礼を持って挨拶と言うんです。
口上は、まず述べる。
例えば、「ありがとうございました。」「おはようございます。」「こんにちは。」というのは、まず目線で言う。
その後、礼をする。
ですから、「ありがとうございました。」「おはようございます。」
言いながらお辞儀をするのは、「ながら礼」といって、実は失礼極まりない形なんです。
ですから、最初に「ありがとうございました。」と、こういう風な口上を言ってから、お互いに頭を下げ合うというのが、日本の挨拶ということになります。
今回も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
次回は第七回、7月13日(土)です。
5月はここにも出てきました糸魚川にみんなで行ってきます。
そのご報告もお楽しみに。
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.
#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld