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二條さま古事記のお話し スサノオ

古事記という書物は日本の歴史だった

こんにちは。
本来は、古事記という書物は日本の歴史だったのです。
ところが、大東亜戦争以降、残念ながら文学になってしまいました。
口頭無形なものだという風に思われがちなんですが、千数百年間、「歴史」だと教わって来た事が、単なる口頭無形であるはずがないです。
それから、古事記は天皇陛下から我々凡俗に至るまで、そのヒエラルキーによって読み方が変わる大変複雑な本であることも間違いありません。
ここでは、古事記を読みません。
古事記の話をしているのに、古事記の文章は一回も出て来ません。
一回だけ、『アメノミナカヌシ』という言葉などを出したかもしれませんが、それ以降、古事記の文章を読んだことはありません。
古事記を読まれたことのある方はわかると思いますが、全部漢字で書かれていますよね。
漢字といっても、「まな」ですから、漢文で書かれているのではありません。
読めば日本語なのですけど、「かな」で書かれているんです。
意味は少しわからないかもしれませんが、ただただ読んでいるだけでは、本当に少しおとぎ話のように近い内容です。
しかし、そこに出てくる神様というのは、我々の歴史を神様が物語って下さっているということで、ここでは古事記に登場する神様のお話。
それも、宗教に傾かない。
残念ながら、私の話は、「聞くとありがたいんじゃないか」という風に思われがちなんですけど、全然ありがたい話はしません。
むしろ、人間ががっかりするような話も沢山出て来ます。
けれども、その「ありよう」を見ることによって現代を振り返って頂けるというのが古事記なんです。
古事記が、結果千数百年、読まれ続けていたのは、読む度にその時代に当てはまっていくという、大変不思議な物語だからであります。

ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

 

 

イザナギはイザナミと戦って負けた

ここまで、『アメノミナカヌシ』から始まって、『アメノミナカヌシ』『タカヒムスヒ』『カミムスヒ』、そして『ウマシアシカビヒコジノカミ』。
こういった大切な神様を経て、『イザナギ』『イザナミ』になり、やっと去年、『アマテラス』、『ツキヨミ』までいって、もう終わりが見えてきましたね。
古事記ってその後ものすごく長いのですが、私は神代までしか話したくないのです。
人の世になったらそれはもう人の世の話なので。
前回までは『ツクヨミ』の話になりました。
『アマテラスオオミカミ』が天道。
いわゆる、「お天道様が見ているよ。」
最高至高の神を造った。
これは『イザナギ』が造ったんですね。
『イザナギ』が、『イザナミ』と戦って、そして方々の手で負けて、宮崎県の山奥の方まで逃げていくわけです。
もうめちゃめちゃに負けたんです。
夫婦喧嘩で亭主がめちゃめちゃに負けて、実家に泣いて帰ったんです。
それはもう、各地を全部ぶん取られるぐらい、別れた女房に全部取られた。
そういう状況になって、宮崎県の一部と鹿児島県の一部のほんの小さな国のところにまで逃げ帰るぐらい負けたんです。
負けた王様は、実は用がないんですよ。
用がないんだけれど、これではいけないと思った『イザナギ』が造った神様が、三柱の貴い神、『三貴神』ということになります。
『イザナギ』が、この後、自分の国を建て直すために、『アメノミナカヌシ』『タカムスヒ』『カミムスビ』『ウマシアシカビヒコジノカミ』、そのような大神様たちの経験を踏まえて、これから先、自分の国を長らく、そして大きくさせていく為に何が必要なのかということを考えて作った貴い神が、『三柱の神』です。
『アマテラス』は天道。
『ツクヨミ』は法です。
前回そういう風にお話ししました。
『ツクヨミ』というのは、変わらない。
むしろ、太陽の方は天道であり崇高ですから、我々は熱すぎて傍にも寄れない。
でも、傍にも寄れないけれど、あの人が見ていて下さるから悪いことをしてはいけない。
もしくは、悪いことをしていたら、あの人に見られているから恥ずかしい。
『ツクヨミ』は、刻々と月の形を変えて、スケジューリングしていく。
気がついたら我々は法律で守られている。
『ツクヨミ』がいるから守られているんだけれど、でも、普段、法律が横にあるかわからない。
我々は法に守られているんですよ。
けれども、常日頃、法に守られていると感じたり、法に脅威を感じている人は殆どいないと思います。
勿論、そういう人達もいます。
発言が法にがんじがらめになっているような人達もいますが、私みたいな凡族は何を言っても大丈夫です。
法に守られているということって、気が付きませんが、ここにいる皆さん全員が、日本国の法律と憲法に守られています。
これは『ツクヨミ』に守られているんです。

 

なぜ『スサノオ』は鼻から生まれたか

さて、今日のお話は、『スサノオ』ということになります。
これは、京都の街にはとても大切な神様です。
『スサノオ』という神様は、実は今回一回限りで話し切れない程、大変な神様です。
何が大変な神様でしょうか。
なぜ『スサノオ』が、貴神なのか、「貴い神」なのか。
これを語るのに、一日ではちょっと難しいです。
ということで、一生懸命一日で話そうと努力しますが、話し切れなかった場合、次回と2回に渡りお話しさせて頂きます。
『スサノオ』という神は、『イザナギ』が夫婦別れをして禊をした時の、鼻から生まれてきた神様です。
なぜ、鼻だったのでしょうか。
私は、学生時代にインドに行ったことがあるんです。
丁度、カッタが大洪水で何万人も人が亡くなった3ヶ月後に行ったんです。
実はすごく嫌だったんですが、ヨシハラスミエ先生という先生と、小泉先生という大学の先生に、「インドで打楽器の民族楽器を見に行こうよ。」と言われて、「インドですか?嫌なんですけど…。」って言ったんですが、泊まる所がマハラジャのホテルだと言われて、もう心が決まってしまい、「行きます。」と言って。
インドに着いて、カッタの駅からお迎えが来ます。
「お車になさいますか?象になさいますか?」
と言われて、知らないもんだから、「象で。」と言っちゃったんです。
車だったら5分の所だったのが、象は30分かかるんです。
またがれればいいんですが、上に輿みたいな蓮台がついていて、そこに乗ったら30分揺れっぱなしで物凄く酔ってしまい、それだけでももう吐きそうでした。
そして、カッタの駅で降りたら、えもしれない香りがしたんです。
人間って、危険は何で感じるかと言ったら、目じゃなくて香りですから。
これ食べちゃいけない、というのは、口に含んでというより、むしろ先に匂いでわかりますらね。
だから、トンっとカッタの駅に降りた時に、「あ、いけない所に来ちゃった。」と思いました。
そういう匂いがしたんです。
飛行機で、香港に行くと香港の香りがするし、台湾に行くと台湾の香りがするし、ヨーロッパに行くとヨーロッパの香りがしますよね。
インドに行った時は、まず空港に着いた時にはそうでもなかったんだけれど、駅に着いた時に、町の香りがそうだったんです。
最近、同じ香りを感じたのは、東北の大震災の時にボランティアに行った時に、陸前高田という町に1ヶ月半後に入ったんだけれど、そこと同じ香りがしたんです。
それを30分嗅ぎながらマハラジャのホテルに入りました。
マハラジャのホテルに行ったら、「すみません。エレベーターがちょっと故障なんです。」と言われたんです。
私が泊まる部屋は5階です。
吐き気で嘔吐しているところに、5階の部屋に階段で行って、「お水はここのしか飲んではいけません。」という、そのホールに、ガラスの玉の中にお水が溜まっていて、「ここのお水なら大丈夫ですから。」と言われたんです。
それを、真に受けて飲んでしまったんです。
日本人はインドでお水飲んじゃダメなんだそうですね。
ずっと嘔吐で吐いているから殆ど脱水症状のところに、そのお水を飲んだらもう大変。
私は元々カレーが食べられないんです。
食事は摂れない、水を飲んじゃって水にあたる。
もうボロボロになりながら翌日楽器屋さんに行ったんです。
それが目的ですから。

 

 

人は亡くなるとすぐ腐る

「もう僕、象は結構ですから。」と言うと、先生が、「歩いて10分くらいの所だから行こうよ。」と言うので、歩くのならと歩いて行きました。
最初は何も見ないように、ただただ真っ直ぐ歩いて行って、その帰り、お但さんが私と同じペースで歩いてたんです。
すると、そのお但さんが、だんだん歩みが遅くなって、見ちゃいけないと思うけど、「どうしたんだろう。」とパッと見たら、その場でバタッと倒れたんです。
そうしたら、人がワーッと来て、お但さんの着ているものをバーっとて持って行ってしまったんです。
素っ裸になったお但さんは、ピクリとも動かないんです。
行き倒れで、もう亡くなっているんです。
すると、ものすごく恰幅のある人が来て、そのお但さんの手をピャッと持ってズルズル引っ張って行くんです。
そうしたら、前方に黒い山があったんです。
そこまで引っ張って行くと、お但さんの手を持ったままビューンと放り投げ、お但さんが山の中腹にボーンとぶつかり、よく見るとそれは全部人でした。
人は亡くなって時が経つと真っ黒になっていくんです。
インドは、ガンジス川に人を流すと言いますが、お金のある人は火葬して貰うんです。
ガンジス川に流されたり、火葬して貰うのは、本当は裕福な人達ばかりで、他は放っておかれるんです。
カッタの洪水で、沢山亡くなっているから、その山のような人、そこからもの凄い臭いがしていました。
自殺した人や、独居老人が孤独死とかをすると、何故わかるかというと、臭いですからね。
すぐ腐るんです。
だから、本当はあの臭いを消す為にお線香を炊くんです。
もうそれでびっくりしてしまい、翌日、「先生、申し訳ありません。僕はここにいられませんから、ヨーロッパにいます。」と言ってパリに逃げちゃいました。
ああいう無情感が好きな人は、ずっとインドにいられるのでしょうか。
だけど私は、その臭いと、その無情感に耐えられなかったです。
実は京都という街は、「化野(あだしの)」という所があって、「あだし野念仏寺」というのがあったりとか、閻魔堂(えんまどう)※六道珍皇寺(りくどうちんのうじ)の先、の辺りというのは、人を捨てに行った所ですから、ああいう臭いが京都は昔はしていたんだと思います。

 

「腐りもの」から貴い神が生まれた

『イザナギ』というのは、黄泉の国に行って、その臭いにやっつけられてしまうんです。
あれは、どうして「ギャー」と言ったかというと、『イザナミ』が腐っていたんです。
その臭いを嗅いでしまったからです。
臭いって、脂ですからね。
鼻の中に付いてしまった。
その「死臭」を感じてしまった。
私が、奇しくもインドや東北の陸前高田で感じたような香り。
これは、鼻の中に全部入ってしまっているわけです。
だから鼻うがいをせざるを得ない腐ったものなんです。
『スサノオ』は、腐った香りから出て来たんです。
ということになります。
私は、実は日本書紀は海外宛てに書かれているので、そう語るのは、海外の事情も考えなくてはいけないから、難しいので語らないのですが、日本書紀の中には、『スサノオ』も『アマテラス』も『ツクヨミ』も、『イザナギ』と『イザナミ』の子供だという風に書いてある「一書に曰く(いっしょにいわく)」もあるんです。
要は、『イザナミ』の子供だという風に、そこでは書いてあります。
現に、この後、『スサノオ』は「お母さんの所に行きたい。」と言って泣くんです。
でも、「いや、お前、お母さんいないけど。」となります。
本当のことを言えば、『スサノオ』って、お母さんいないでしょう。
何故なら、『イザナギ』から生まれてるんですから。
なのだけど、「お母さんの所に帰りたい。」と言うんです。
これは何故かと言うと、お母さんの死臭から生まれているからなんです。
腐った臭いから生まれているんです。
だから、この人は元々が「お腐りもの」なんです。
鼻をうがいして出来上がったのが、『スサノオ』です。
お母さんの腐った香り、黄泉の国の腐った香りの、その「腐りもの」から貴い神が生まれたということなんです。
そして、その後どうしたかという話なんです。

 

 

上の神様に拒否をしたのはスサノオだけ

『スサノオ』という神は、生まれたらすぐ泣き始める。
三貴神って、生まれたらすぐ『イザナギ』が神勅でこう言うんです。
「アマテラス、お前は日の世界を治めなさい。ツクヨミ、あなたは夜の食の世界を治めなさい。」
そして、『スサノオ』にはこう言うんです。
「君は海の世界を治めなさい。」
上のお二人ともの兄弟姉妹は、すぐさま、「わかりました。お父さん。」
と言って、一人は太陽に、一人は夜の国に行ったのですが、『スサノオ』は、そこで大泣きをし始めます。
「僕は嫌です。」と言うんです。
古事記の長い話の中で、上の神様に拒否をしたのは、この人だけです。
『スサノオ』という神は、『イザナギ』の神勅を拒否したんです。
大神である『イザナギ』の命令に、「いや、僕、行けないから。」と拒否したんです。
ただ拒否しただけではありません。
「僕は母親の所に行きたい。」という風にして大泣きするんです。
それでも何回も説得したんだと思います。
「いやいやそうだけどね、姉は天上、姉だか弟だかわからないレインボーも天上。だけど君はね、陸地じゃなくて海っていったら宝の山だよ、あそこを治めたら凄いよ。」
と皆に説得されているはずなんだけど、もう全然聞かない。
「嫌だ。」と言うんですよ。
「嫌だ。」と言う神様ですよ。
だけど貴神ですよ。
貴い神ですよ。
貴い神なのに、拒否した神なんです。

 

拒否の神『スサノオ』

『イザナギ』が、この後の時代に絶対に必要な神様として造った神。
『アマテラス』、『ツクヨミ』、そのもう一つが『スサノオ』で、絶対に必要だという神様が拒否したんです。
でも、その後の『スサノオ』のスーパーマン振りといったらないんです。
まずは、聞かん坊になり、スーパーマンになって、凄くかっこいい亭主になり、最後の方では頑固じじいになり、時代が経っては怨霊になり、スーパーマン振り華々しいんです。
その神様の素性は、腐りもので、拒否した神様です。
拒否の神『スサノオ』。
ある意味『イザナギ』の神勅なんですよ。
『イザナギ』という大神様が、
「お前さんはお天道様になりなさい。お前さんは月になりなさい。」
という、もう絶対的な命令なのに、それを拒否したんです。
後にも先にも、古事記で拒否した神様というのは、この人しかいないんです。
そんな事はあってはいけないから、皆びっくりします。
だけど、彼はやり込んだのです。
どのくらいやり込んだかと言うと、爪は伸び放題、髪の毛はとどろき、周りの木を枯らし、泣いた水はしょっぱかったから海がしょっぱくなるぐらいに拒否したんです。
それで『イザナギ』はどうしたかと言うと、
「もう分かった。もういいわ、お前は母の所に行けよ。」
そう言ったんです。
父親というのは大体そんなもので、子供に泣かれたら仕方がない。
子供のダダというものは、もうどうにもならない。
そして、この子供のダダを通す事になるんです、
父親に諦められて、
「もう分かった。お前の好きなようにしろ。」
と言われたその直後、ピタンと泣くのをやめてしまうんです。
「本当?いいの?じゃあ、さようなら。」
そういう時の子供って早いからびっくりしますね。
父親は呆れ返って、でも、ただで行かせる訳にはいかないから、
「これは俺の刀だけど、お前にやるよ。」
といって、「十拳剣(とつかのつるぎ)」という、その当時の大名刀です。
「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」というのが、この後にスサノオが見つけてくる刀で、これは「三種の神器」といって、今でも熱田神宮に祀られ、レプリカは天皇陛下がお持ちになっている剣があるわけだけれども、これに匹敵する程の剣が、「十拳剣(とつかのつるぎ)」という剣なんですが、この剣を惜しげも無く息子に与えるんです。
「これでもうお母さんの所に行きなさい。」
「分かった。ありがとう。」
その時のスサノオの変わり身というのはないです。
草は枯らす、海はしょっぱくする、毛はボウボウ、人々から虫は出て来る、害虫は出て来るという、そういう泣き方をしたのに、「行っていいよ。」と言うと途端に泣きやんでしまい、
「分かりました。ではお父さん、さようなら。」

 

 

余談

息子って結構そういう風なところあるらしいですよ。
私も父親と大喧嘩した時に、割り方あっさりとしていました。
それで父親ががっかりするという。
「こんなに大切に育てて、どうして俺ばっかり。母親にはあんなに話したりとかなんとかするのに、俺の所には、何か拒否か、何か物を請う時にしか来ないで、自分の我を通したらもういらないっていう、そんな存在。」
でもまあ、父親というのは、そんな存在ですよね。
「拒否」というこの言葉、王権にあってはあり得ない事なんです。
あってはいけないことなのに、私たち日本人は、ここで初めて、神様が拒否したという事実を得る事が出来るようになります。
「神様が拒否した」という事は、どういう事かというと、「我々も拒否が出来る」という事なんです。
神様が拒否しているんですから。
古今東西、拒否した神様なんて、そうそういないのです。
隠れて逃げてしまうとか、隠れて色んな物を盗んでしまうとか、そういう神様は沢山います。
大手を振って自分の上司に「いや、出来ません。やりません。」
と言った神様は、おそらくスサノオが初めてで、それ以降も出て来ないのです。
私達はコミュニティの中で、お天道様が見ているから、矜持(きょうじ)をもって生きていく。
そして、知らない間に法律で守られている。
もう一つ勝ち得たのは、「拒否する」という事なんです。
「拒否」というのは、早々出来る事ではないけれど、最後の最後で拒否する力を持つとい事は、自分を守る事になる。
これが、国の礎の元になる、という事なんです。
「拒否」という文化は、そういう文化なのです。
我々日本人が、奇しくも2000年も前に、「拒否」という考え方を得るんです。

この続きは次回に。
しばらくお待ちくださいね。
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld

 

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