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二條さま古事記のお話し スサノオ4

「スサノオ」皆さんが大好きな神様

こんにちは。

スサノオのお話は一度では話切れませんので、2回に分けてお話させて頂いています。
前回のお話を少し、ダイジェストでお話します。
スサノオというのは、皆さんが大好きな神様です。
日本人が大好きな神様のお一柱です。
むしろ、この神様が一番日本人は好きです。
一番有名な神様といえば、天照大神様だけど、天照大神様って、普通の人が拝めなかったんです。
拝めなかったというか、あまり普通の人と関わりがなかったんです。
お天道様なんて、どの道必ず出て来ますしね。
あえて拝む必要もないと、そんな事はないかもしれないけど、天皇様が拝む神様だから我々は遠慮したんです。
月読様は月読様で、あまり縁のない神様というか、我々日本人って、夜のない民族なんです。
日本の占星術って聞いた事ありますか?
深くやっている人は日本の占星術を知っている人は沢山いますけれど、あまり双子座だの水瓶座だみたいなものが日本ではないでしょう。
昔、日本は夜は寝ていたんですよ。
日が沈んだらすぐ寝る。
囲炉裏端の火も、燃料が勿体無いから、火が細くなったら、いわゆる煮炊が終わったら、もう寝たんです。
従って、星をじっくり観察するなんて、男女の営みの時くらいしかない訳です。
星見とか月見という人はちゃんといたんですよ。
そういう役職だった人もあるし、そういう人達もいたんだけれど、どっちかというと、普通の一般人は、お天道さんが沈んだら寝る。
お天道さんが登って来たら起きる。
だから、月にあまり縁がないんです。
せいぜいやって、お百姓をしている人達が季節感として月を見ていたというのは勿論あります。
スサノオは、そういうのとはまた別格なんです。

ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

 

 

お姉ちゃま達は「はーい」

古事記のお話をしているように思われがちですが、ここでは実は、古事記の神様がどういうお役割をもっているか、もしくは古事記の神様が何を語ってくれているのか。
古事記が、どうしてこの約2000年経った今でもベストセラーであり続けられるのか。
という事をお話しさせて頂いているんです。
神様は、人神のかたくという事をキーワードに今回ずっとお話しさせて頂いて、この人神のかたく、人の心を固くするものとして、スサノオほどありがたいものはないんですよ。
ありがたいと言ったら失礼だけど、スサノオほど日本人に愛された神様がいない。
どのくらい愛されるかというと、町内ごとに愛し方が違うんです。
京都で言うと、祇園祭がスサノオの神様のお祭りですが、隣の鉾町の鉾なんかボロクソですよ。
自分のうちの鉾が一番に決まってます。
自分のうちの町内が一番スサノオを愛してる。
鉾を持ってない御神輿の所もそうです。
「鉾なんかスサノオ乗ってませんからね。向こうに行った後乗せているだけで、実際こっちに乗ってますから。」と御神輿の方達は思ってるわけです。
「あんなもの、お祭りじゃないですよ、あんなものは旦那衆が飾り立ててスサノオをあおっているだけの話ですから。」と、御神輿の人達は思っている。
もっと言いますと、川を挟んで町が二つあるとしましょう、こっち側が天皇社、こっち側が祇園社。
両方とも、スサノオを祭る神社なんです。(※ホワイトボード)
祇園神社、天皇神社、両方ともスサノオを祭る神社で、大体ですが、海に近所な神社が天皇社、陸が祇園社と思って下さい。
簡単な分け方ですから、例えば、唐津なんかは目の前が海ですが、祇園社です。
「唐津のおくんち」というのがありますよね。
あれも祇園祭りですし、あとは、祇園山傘といって、福岡のお祭り。
八重垣神社という神社でやっている事ですけど、中ではスサノオが主祭神なんです。
色んな名前があるけれども、隣り合っている神社だから、同じ祭神だから仲良くすればいいのにも関わらず、大抵喧嘩になっている。
祇園祭りというか、スサノオの祭りをやっている所は、殆どが喧嘩祭りです。
それ程、その地域、地域によってスサノオの愛し方が違うんです。
ある時は、自分の父親から命ぜられた「お前は海を統べろよ。」
お姉ちゃま達には、「お前は太陽を。」「お前は月を。」
二人はすぐさま「はーい。」と言った。

 

 

スサノオは拒否をする

スサノオには、「お前、海を治めろ。」と言ったのに、拒否するという。
古事記を通して、上の神様の神勅を拒否したのは、後にも先にもスサノオだけです。
神勅を拒否したり、ある時はお姉ちゃんの所に行って暴れたり、韓国に行ってみたり、日本へ戻ってからは、人の為に役立ったり、最後は頑固親父になったり。
頑固親父と言ったって凄いですからね。
もう、大国主の事をどれだけいじめ抜いたか分からない。
色んな顔を持っているんです。
このスサノオの人神を、我々はどのように捉まえたらいいのかという事が、実は日本の神道を考える上でとても重要なんです。
そして、日本が何回もそれを失敗して来ているという証なんです。
それだけ色んな特性がある。
要は、非常に多彩で、ある意味、生きたダイバーシティです。
多様性といえば、これ程の多様性である人がいないんですよ。
姉に暇乞いをしようと天照大神様の高天原に行き、天上に昇る。
そこで大暴れするんです。
どのぐらい暴れるかというと、これは、大祓詞(おおばらえ)というところに詳しく書いてあります。
まず、田のあぜを放った。
糞尿を撒き散らした。
虫を放った。
馬の皮を剥いだ。
生き物の皮を剥いだ。
これを皆、変な事する人だなって思いがちです。
でも、すごくよく考えると、産業が発達するんですよ。
田のあぜを放つ事によって、土木建築が発達する。
糞尿を撒く事によって、土が肥える。
皮を剥いだ事によって、それまで麻しか来た事のない我々が、皮衣を着る事になる。
実はスサノオは、原初の産業のイノベーションを図ったわけです。
だから、アマテラスはそんな事をされても怒らなかった。
仕事が増えるのですから。
仕事が増えたら、怠惰でダラダラしている神の連中を働かす事が出来るんです。
だから、スサノオは、ある意味だけど、日本の産業にとっては一つの基幹者になっていたと考えるのがいいでしょう。
ただし、今でもそうです。
イノベーションを図ろうとすると、どうしても抵抗勢力がある。
この抵抗勢力の大旗手(だいきしゅ)だったのは、多分、我々藤原家だったんです。
この話にはもう一つ先があります。
ですが、藤原家の話はその次の回にさせて下さい。

 

 

400年も前に我が国は多様性を考えた

スサノオという人は、とても頭のいい人だったんです。
そして、人心に多様性という事を見出すために、イザナギが行った国作りに失敗して疲弊していた我が国の行き先は多様性しかないという風に考えたのがスサノオなんです。
今から2400年も前に、我が国は多様性を考えたのです。
そして、何度もずっとスサノオが出てくるというのは、何度も多様性を考えようとした時期があるという事なのです。
これはお祭りに書かれています。
祇園社のお祭りがあって、山鉾の巡行が行われたその頃、武士が台頭していって、にっちもさっちもいかなくなっている。
何ににっちもさっちもいかなくなっているかというと、政治と経済がチグハグになったんです。
その時に起こったのは、あの山鉾巡行です。
「我々は政府とは関係ない。お金を使わせて貰いますよ。」と言って、山鉾を廻す。
そして、「しめ縄を切ってやらせて貰います。」
貴公が多様性を。
お金があれば、室町幕府みたいな窮屈な政府。
あの当時は、応仁の乱というのがあって、武士逹は自分達の権力争いで一生懸命で、割を食ったのが平民、我々凡族の人達です。
最初は高見の見物を決めていたお公家さんも、そういう訳にはいかなくなり巻き込まれ、
応仁の乱で京都は滅茶苦茶になったのです。
けれど、応仁の乱で滅茶苦茶になっても、ちゃんと財を貯めいてた人達がいたんです。
そういう人達が、「もうお前逹に任しておいてもこの京都はダメだ。」と、下京の人達が考えたんです。
「上京は上京でやっとけよ、下京は下京でやります。」という宣言のもとに、昔からあった祇園祭りをもっと進化させました。
それに何の文句も出なかった。
ただ、その後また、大いなる戦乱が始まって失敗し、「そんなのやってはいけない」という考えに、また巴投げのようにして返される。
博多の「祇園山笠」も、唐津の「くんち」も、日本中にある夏祭りの殆どが、祇園祭りですけれども、大抵の場合は、多様性を考えた庶民逹が為政者に多様性を突きつけるという祭りなのです。
そして、それの起首(きしゅ)がスサノオなのです。

 

 

和(やわらぎ)をもって

もっと古いことを言いましょう。
推古天皇の時代、厩戸皇子(聖徳太子)が摂政になった時に「十七条の憲法」というものを組むんです。
この一番最初の条文「和以て尊しと為す」
これを十七条の憲法の一番最初に据えたんです。
厩戸皇子(聖徳太子)は、その当時どう読んだかというと、「和(やわ)らぎをもって尊(たっと)うしとなす」という風に読ませたんです。
だけど、あの聖徳太子ですら、このダイバーシティ化に失敗しました。
どうしてかというと、今国民は全員これを「和(わ)をもって尊(とうとう)しとなす」と読んでいるからです。
何度も日本人はスサノオの考えた多様性というものにトライしているんです。
ですが、その度に失敗する。
なぜ失敗するかといったら、「同調」というのが日本人は強くて、何かそっちの方向に向かえさせられていると、私が言うところのベクトルを一方向に向けてしまうと、全部そのベクトルに向いていってしまうという傾向があるからです。
不思議でしょう?
多様性が大好きな国民性なのに、ひと度ベクトルを示されると、そっちに行きたくなってしまう。
そして、何度も失敗するんです。
「和(わ)をもって尊(とうとう)しとなす」という言葉と、「和(やわらぎ)をもって尊(たっとう)しとなす」という言葉は、ベクトルとして真反対です。
「和(わ)をもって尊(とうとう)しとなす」というのは、「がっちり手を繋いでまんまるにして、中から外に出さない。外から中に入れない。」ということなんです。
だから、和の文化とかいうものって、多様性を拒否する言葉なんです。
「和」というのは、あの当時から「やわらぎ」と読んでいたんです。
「和(わ)」と読んでいたのは、中国の人達というか、大陸の人達が「倭国」と言ったんです。
だから、音読みで「わ」と読むのです。
訓読みでは、「やわらぎ」と読むのです。
そうすると、「やわらぎをもって」と言った段階で、まんまるじゃなくて、もう凸凹だということ。
凸凹が「とおとい」のではなく、「たっとい」。
「たっとい」というのは、手が下に向いているのです。
「とおとい」というのは、手が上に向いているのです。
「たっとい」とは、「同じ目線」という意味です。
「とおとい」は、は目線が上です。
厩戸皇子(聖徳太子)のあの時代から、もう日本には色々な国の人達が来ていて、あの当時の奈良というのは、今と同じようにもの凄い国際都市だったと思います。

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld

 

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