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その時、将軍綱吉の決断は!

赤穂浪士の討ち入り

こんにちは。
今日(14日の深夜ですね)は赤穂浪士の討ち入り。
将軍綱吉の決断は!
元禄15(1720)年の12月14日深夜、大石内蔵助以下46人の赤穂浪士が吉良邸に突入、吉良上野介を打ち取って主君・浅野内匠頭の仇を討ったお話はみなさんよく知ってますね。
男たちの忠義の物語「忠臣蔵」は、歌舞伎、講談、時代劇の題材となり、時を超えて語り継がれています。

ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

 

一方、「生類憐みの令」で知られる時の将軍・徳川綱吉はこの事件をどう見ていたのか。
暗君との評価も多いが、実は好学家で「忠義」「忠孝」を重んじた綱吉です。
「赤穂事件」では一世一代の選択を迫られました。
主君の仇打ちを果たした赤穂浪士の行為は忠義の鑑。
しかし、徒党を組んで狼藉を働くのは天下の公法に反する。
赤穂浪士は「義士」か否か。
幕府内部でも、助命論、厳罰論、侃々諤々の議論が巻き起こります。
最終裁決者の将軍綱吉は50日間、悩みに悩み「切腹」という決断を下します。
この選択こそが、奇しくも主君の仇討ちで武士の本懐を遂げる物語=「忠臣蔵」を生む素地となりました。
(写真:赤穂浪士討ち入り(明治31年の「大日本史略図絵」)

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld

 

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