二條さま古事記のお話し スサノオ3
スサノオは高天原に産業を残しました
そこで機を織っていたが為に、自分の侍女は自分に抗議して、そしてスサノオを神祓いにしてしまったんだという反省もここにあるのです。
スサノオは、結果的にお姉さんの顔を最後に見ることもなく、高天原から追放されます。
しかし、スサノオは高天原に産業を残して行来ました。
田のあぜを穿ち、水を掘り、井戸を埋め、疫病を流行らせ、毒蛇を巻き、蜘蛛を放った。
こういう事をして来た事によって、それに対応する力を高天原に残して行ったんです。
そして、追放されたスサノオは、一番最初に唐国に行くんです。
朝鮮半島に渡ります。
ここも特異ですね。
日本の神様で、日本から追放されたら、とりあえず一回朝鮮半島に行くんですよ。
朝鮮半島に行くと、すぐさまここは自分の住む所ではないという風に思うんです。
そして、揖斐(いび)川のほとりに辿り着くんです。
朝鮮半島に行ったスサノオが戻ってきた時に上陸した所が、出雲の「日御碕(ひのみさき)神社」という神社で、その奥の摂社にある、唐国神社。
小さなお宮に小さく「唐国神社」と書いてある神社があります。
そこに上陸して戻って来るんです。
これも色々なな説があります。
もしかすると、「高志の国(こしのくに)」に最初に行ったかもしれません。
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スサノオと唐国
スサノオは、向こうで鉄を携えて来ました。
これがその次の神話になっていきます。
唐国で製鉄技術を学んで来るんです。
今でも、朝鮮半島と、朝鮮半島の南部と、そして出雲は、鉄で繋がっているんです。
毎年一回、製鉄の偉い人達が、熊野神社という所に集まるんです。
そこでご祈祷をあげて貰っているんです。
朝鮮半島からも来るらしいです。
玉鋼(たまはがね)という所がそこで出て、非常に純度の高い鉄を精製する技術をスサノオが持って来るんです。
私なんかは、うちの一族のトップのアメノコヤネの策略なんじゃないかと思うけど、スサノオは、唐国に渡ってから、朝鮮半島にあったありとあらゆる技術を持って日本に戻って来ます。
そして、揖斐川のほとりに来ると、お但さんとお婆さんが泣いていたんです。
「手長足長(てながあしなが)」といいますが、手の長いお婆さんと、足の長いお但さん
がオイオイ泣いていた。
「おいババア、どうして泣いているんだ。」と、お婆さんに最初に問いました。
この「ババア」というのは、女の人が聞くとズキンとくるかもしれないけれど、これは侮蔑語ではありません。
ちゃんとしたヒエラルキーがある言葉なんですよ。
上の者が年上に声をかけるときは「ババア」と言ったものなんです。
だから、決して嫌な「ババア」ではないですからね。
何故泣いていたのかと聞くと、
「実は私には7人の子供がいたんですけれども、毎年毎年やって来る怖いやつに毎年食われてしまい、今日が最後の娘を差し出す日なんですよ。」
「それはどういう怖いやつなんだ。」
「まず首が8本あって、尻尾が8本あって、長さは5つの山を渡るぐらいの長さがある。」
「何それ。」
山って、遠くから山の上だけ見ると、龍に見えないですか?
それほどの木(き)という事ですよね。
それほどの火力(かりょく)という事だと思います。
「おー。面白いのがいるね。じゃあ、そいつを僕がたいらげてあげよう。その代わりに、お前達の娘を僕の女房にさせてくれないか。」
とスサノオは言うんです。
目的がコロッと変わっちゃいました。
スサノオは、お母さんの所に行くと言ったんです。
追放されて、お母さんの所に行くと言ったんです。
なのに、朝鮮半島に渡った後、日本に戻って来たら、お母さんの所には行かないで、女房をくれと言ったんです。
生きるつもりですよね、目的が変わっていますから。
でも、手長足長は、こう言ったんです。
「分かりました。娘を助けてくれるのなら、娘を嫁に差し出します。」
手が長い、足が長い。これって、よく働くという事なんです。
よく働く一族をスサノオは手に入れるわけです。
製鉄というのは、大変人が必要なんです。
鞴(ふいごう)を起こさなくてはいけないし、鉄鉱石を掘り出して来なくてはいけないし、今度は鉄鉱石を溶かした後、流して、それを叩いて武器にするまで、もの凄く沢山の技術が必要なわけです。
これをスサノオが手に入れちゃったんです。
「手長足長」はそういうものだと思います。
出雲のちょっと鉄を触っていた民をスサノオは朝鮮半島の新しい技術をもって従えようとしたんです。
その為に娘をくれと言ったんです。
「天叢雲剣」
いよいよ『ヤマタノオロチ』というのが来ます。
ここから先は皆さんよくご存知です。
八つの門にお酒の瓶(かめ)を置いておけと。
醸したいいお酒だったら、ヤマタノオロチが食いつくからと、一晩で作るんです。
お酒を一晩で作るって、ちょっと難しいですよ。
だけど、ドブロクなら可能です。
皇室で毎年新嘗祭というお祭りをしているんです。
私の家でもやっていますが、「白酒・黒酒(しろき・くろき)というお酒を毎年一日で作るんです。
一晩で出来ます。
お酒は、一日で作ろうと思えば出来ます。
それも、非常に香り高いものが出来ます。
特に酒好きの男の人というのは、お酒の香りに弱いのです。
ヤマタノオロチは、その大変に醸されたお酒につられて、酔って寝てしまいます。
そして、首を切られて、尻尾を切られた時に、十拳剣が、また一つ欠けるんです。
「キャン。」と。
「あれ、どうしたんだろう。」と思い、そのオロチの尻尾を切ると、中からあの名刀、「草薙剣」いわゆる「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」というのが出てまいります。
日本で作られた最高技術の剣です。
江戸時代に、伊勢湾台風並みの台風が熱田を襲った事があるんです。
その時に、熱田神宮が壊れて、神官が御本体を逃した時があるんです。
その時に、唐櫃の蓋が開いたんだそうです。
蓋が開いたら、それは見たいでしょう。
どんな事があっても、天皇ですらそれは見た事がないのに、神官は見たんですよ。
で、日記に残しました。
その日記を読むと、なんて書いてあったかというと、
「白かった。」と書いてあるんです。
鉄の錆が腐敗して先に進むと、白くなるんです。
要は、「天叢雲剣」というのは、鉄だったという事が、それで証明されているんです。
その神官が覗いて、記した日記からです。
「天叢雲剣」は、銅ではなくて鉄なのです。
あの時代に鉄の剣があるという事自身が、もう脅威です。
殺傷能力が、銅に比べて拡大に上がった。
これが示すのは、戦い方が日本はもはや、切る、刺すという方向にいく。
銅剣というのは、柔らかいので、切るよりも刺すしかないんです。
切ったとしても、思いきり鉞(まさかり)みたいにして切らないと切れない。
だけど、鉄は薄くて軽くて、切る事が出来る。
殺傷能力があるという事は、どんどん戦って勝っていけるという事です。
スサノオは産業の神様に
スサノオは凄いものを手に入れました。
そして、ここでまたスサノオは変な事をするんです。
その「天叢雲剣」を、お姉さんに献上するんです。
変な話です。
スサノオは追放させられてるんです。
だけど、何も迷わなかった。
「これは素晴らしい宝だから、姉に献上しよう。」と。
姉のアマテラスも、
「それ貰うわ。」
高天原に最高の武器が手に入ってしまった。
日本に、後にも先にもこれ程の名刀はありません。
そしてスサノオは、お嫁さんを貰い、「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」というぐらい、閉じ込めました。
閉じ込めたのは、何を閉じ込めたかというと、これは、鉄を精製する技術を外に出さないという事です。
出雲でしか作れないようにして、どんどん産業を伸ばしていく。
拒否の神様が、産業の神様に転化していきます。
スサノオはツクヨミと
スサノオは、この後面白い事になって来るんです。
出雲で暮らし始め、出雲で沢山の子供を作るんです。
まず作るのは、お正月を作る。
お正月様を作るという事なんです。
これは、姉、もしくは兄かもしれない『ツクヨミ』と結託して、「まず、お正月を作ろう。」
お正月を作るとはどういうことかと言うと、何かの区切りが出来るという事なんです。
今まで王国は食べる事で、稲作で動いていたんだけど、稲作に全く関係ないところでお正月を作っちゃおうとなる。
お正月の神様を作ります。
「大年神(おおとしのかみ)」と言います。
お正月を作ったら、それに12ヶ月のカレンダー。
これも、姉か兄か分からないツクヨミと結託して、カレンダーを作る事によって、規則正しい生活を送れるようになっていく。
それから、住居を作ります。
それまでは、土に穴を掘って、そこに柱を立て、藁をかける竪穴式住居だったのを、「柱を立てて少し高床式にしたらいいんじゃないか、というのを高天原でやっているから我々もそうしちゃおう。」という風になる。
そうして、どんどん産業が伸びていきます。
疫病がバンバン流行るんです。
バンバン流行ったら、たたら場でどんどん働かせるんです。
たたら場で熱が上がるんです。
そうすると、知らない間に病気も治ってしまう。
「あれ、働いた方が病気が治っちゃう。」
温度を上げれば上がる程、実は病気って無くなっていく、という事が、経験則でわかってくるんです。
女の人は強いです。
熱に強い。
ところが、男は熱に弱い。
立ち所にやられてしまう。
そこで、どうするかと言ったら、
「祭りをしよう。」という話になる。
一番風邪をひいて困る時期、夏のもの凄く暑い時期に、男がどんどんお腹が痛くなって死んでいくんです。
この時に男の人を自分の所に集めて、1ヶ月間お祭りをさせるんです。
スサノオのお祭りをやっている所は、大抵、夏に1ヶ月間、男を集めて酒を飲ませてどんちゃん騒ぎをして、お神輿を担がせたり、山車(だし)を引かせて、体温をグッと上げる。
そうすると、死ぬ確率が少なくなる。
スサノオは、こうやって男子の医学にも精通するようになります。
スサノオは頑固オヤジに
さて、今度はスサノオはどうなっていくかというと、頑固オヤジになります。
自分の可愛い娘を、「この娘をください。」と言うスーパーヒーローが現れるんです。
『大国主』というのがやって来るんです。
それに徹底的に抵抗するんです。
その抵抗の仕方も、その後、抵抗の仕方を覚えていた国民は、毒に、虫に、そして頑固オヤジに、「こういう風に対応すればいい」という、その先人になります。
ここまで語ったスサノオは、色んな事をしてくれます。
アマテラスが、そんな沢山色んな事をしたというような話は聞いた事がないと思います。
ツクヨミに至っては、1回しか出て来ないし、三貴神の中でスサノオだけが色んな事をする、色んな面があるんです。
凄く多面的なんです。
そして、同じスサノオのくせに、川を隔てると、全く違うスサノオになるんです。
信じるスサノオが沢山出て来るんです。
京都には、祇園祭というのがあります。
祇園祭に出て来る山鉾は、本当は京都で一個でいいんです。
長刀鉾さえあればいいのです。
なのに長刀鉾だけでは許されないんです。
この時期に京都に行くと、町々でおはやしを聞く事が出来ますが、一つとして同じおはやしはありません。
これは何故かというと、「うちのおはやしの方がいい」と思っているわけです。
「うちのスサノオの方がいい」という事なんです。
隣同士でスサノオが違うのです。
もはや日本人は、スサノオを受け入れた時に、多様性を見出したんです。
スサノオと多様性
この多様性というのは、有り無しを判断するのではなくて、隣にあるものを視認、認識するという事です。
それが多様性なのです。
多様性を拒否する事も、多様性の一つなんです。
「拒否」というのは、多様性の一番の多様性なんです。
なのだけど、「それを拒否された」という事を認識する。
拒否されたら、「なんで拒否したんだよ」と喧嘩するのは、多様性がない。
「ああ、あの人、拒否したな。」
拒否も、それも、その中にあっては、「当然としてあるべき選択」という事が理解されるのが多様性なのです。
これは、「多様性がないと拒否を理解出来ない」という事です。
拒否を理解する事は、多様性に繋がらないんじゃないか、と思うかもしれませんが、反対なんです。
拒否を理解する事が実は、多様性なのです。
「あの人は、マスクをしたくないと言う。」
「ああ、拒否をしているんだな。」という事とを理解しておくこと。
これが多様性なんです。
「なんで、マスクしないんだ。一緒にいられない。」
というのは、これは多様性ではないです。
スサノオが一番最初に、「海の神になりたくない。」と言って、それを拒否した。
ここから日本の多様性は始まったのです。
残念ながら、神様において多様性を認めたのに、日本では未だかって多様性に成功した事がありません。
何故かというと、「拒否は多様性でない」と思っているからなんです。
スサノオが示しています。
拒否こそが、多様性の一番のシンボルなんです。
なのですが、拒否したら拒否した事を拒否するのではなくて、拒否した人を認識するという。
「あの人はあの人、僕は僕。」これが重要なのです。
ありがとうございます
これを、江戸時代の一番最初に、朱子学というものを日本に取り入れた時に、「和(わ)を以って貴し(とうとう)と為す」
という言葉にしてしまったことで、多様性がなくなりました。
本来は、「和(やわ)らぎを以て尊(たっと)うしと為す」
デコボコした事がこのフィールドの中にあって然るべきなのです。
「和をもって貴しとなす」というのは、
「手を繋いで真っ直ぐまんまるになったものは、外からも入れない、中からも出さない。これが貴い。」
そんな事を聖徳太子は十七条の憲法で言ったのではなく、
「デコボコしている事が、世の中のフィールドとして、アリなんだ。」という意味なのです。
「和らぎを以て尊うしと為す」
しかし、残念ながら日本は和の国から抜け出せない。
従って、まだダイバーシティには程遠い、というのが今まででした。
お天道さんが見ていて、法律で守られていて、拒否が出来る、という、この神様の考え方って、2000年賞味期限があったんですよ。
今は、お天道さんなんか見てたってどうでもいいし、法律なんていらないし、拒否?最初から親の事なんか当然に拒否して来たし、という子達が沢山出て来ました。
今の時代というのは、もはや三貴神などいらない時代に入り始めました。
次のステップに入り始めたんです。
これが良いか悪いかは別です。
これは、我々が判断すべき問題ではありません。
次の歴史が判断する事ですから。
なのだけど、面白い事になって来ましたね。
唯一残ったのは、スサノオなんだと思います。
「多様性」という言葉。
ですが、凄く良い話だと思ったら大間違いで、多様性とは、そしてそれを認めるという事は、とても深い闇を持つという事に他ならないのです。
スサノオを自分達の主神にするという事は、それだけ責任を負う事にもなります。
スサノオというのは、非常に難しい話なんです。
皆さんが思っているスサノオと合致しましたでしょうか?
次回は、スサノオの多様性の闇、多様性の世界というのはどういう闇があるかという事をお話ししたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.
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