神嘗祭 日記1
和えの会の代表、内田さんの神嘗祭のレポートより。
10月16日(金)~17日(土)、日本人ことはじめ講座「日本の祭/伊勢の神宮 神嘗祭見学」が実施されました。
わたくし内田自身、過去にこのお祭を見学した際、心の琴線に触れる体験をしました。
ぜひ他の方にもあの感動を味わってほしいと、特別の思い入れをもって臨んだ本見学会。
見学を許可されている人数には限りがある上、神宮への関心の高まりとともに希望者が増えたため、新規の見学枠は事実上ない状態です。
そんな中、神宮の鷹司大宮司とご縁がある「和の素敵」葉室代表(お二人とも藤原家ご出身でもあります)のお力添えにより、和えの会から8名だけ、この貴い機会を得ることができました。
私も一時は企画を断念していたので、これは本当にありがたいこと!それゆえ、和えの会のお得意様を対象とした謝恩企画としました。
第1日目、それぞれの思いを胸に宿泊ホテルに参加者のみなさんが集合。
心なしかウキウキとした様子のメンバーの中で「一週間、酒絶ちしてから来ました」という立派な心がけの方も!
懇親を兼ねて全員で夕食をとったのち、おはらい町にある元伊勢市観光協会会長の山中隆雄先生のご自宅に伺いました。
通されたお部屋にあった本棚を見ると、奈良春日大社に奉職されていた、故 葉室頼昭宮司の本がずらり。宮司は葉室代表の伯父様にあたります。山中先生と宮司は生前ご親交があったそうです。
先生には、神嘗祭がどんな意義のあるお祭りなのか、古事記と天皇の関係から紐解いていただきました。
古事記は日本誕生の物語であり、日本人の魂の源泉ともいえるものです。
ちなみに今回のメンバーの中には、古事記の紙芝居アプリ普及に尽力されている「一般社団法人さざれ石ジャパン」北川理事長もいらっしゃり、花を添えてくださいました。
古事記によれば、天照大御神が瓊々杵尊(ニニギノミコト)に一把の稲穂を持たせ地上に遣わせます。
その稲が「今年も立派に実りました。また一年、民が飢えずに幸せに過ごせます」とミコトの子孫にあたる天皇が、感謝を込めて大御神の御前に新米を奉られるご神事、それが神嘗祭(かんなめさい)です。
山中先生を囲んで。
このお祭りに象徴されるように、「祈りの存在」たる天皇がどれだけ国民の幸せを思い、衷心より神に祈願してくださっているか、初めて知ったという方、とても心に響いたという方、それぞれの感想をお持ちのようでした。知っているのと知らないのとでは、お祭りに臨む気持ちも違ってくるでしょう。
先生のご自宅を辞去したあとは、人通りのなくなったおはらい町を抜けて内宮へ。
宇治橋前には、お祭りを心待ちにする人々が。
受付をする葉室代表。
私達は、参入許可の1番目!!なんだかめでたい気分♪
午後9時、いよいよ宇治橋を渡って内宮へ入りました。(*撮影禁止のためお祭りの写真はありません)
見学者一同、静寂の中でお祭りの開始を待ちます。ときおり暗がりの中に神職の白装束がぼうっと浮かび上がります。
午後9時45分、ポン、ポンと太鼓が鳴り響き、お祭りの始まりが告げられました。たいまつの明りとともに一列に並んだ神職たちがざっざっざっと玉砂利を踏みしめつつ見学者の前を通ります。
この清らかな白い連なりをみるたびに静かな感動を覚えます。
残念なことに、今回は皇族の女性が務める、祭主のお姿が見当たりませんでした。
「今年は池田厚子さん(今上陛下のお姉さま)かな、黒田清子さん(同ご長女)かな」と楽しみにしていたのですが。
祭主がいなくてもお祭りは決行されるのだと知りました。
忌火屋殿の前ではいい位置に立てたので、焚火の中に浮かび上がる神事の様子を、みなさん息を詰めてご覧になっていました。
からひつに入ったご神饌を祓い清めたあとは、場所を移してそれらを調理(架空のあわびを切る等の所作があります)します。
ご神饌を捧げ持った神官たちは正宮へ続く階段を昇り、そのまま真っ直ぐに御垣内へと進みます。
ほどなくして雅楽の調べが聞こえてきました。神さまがご神饌を召し上がっている間、雅楽が奏でられるそうです。
ご正宮での神事が終わったあと神職は荒祭宮に移りました。
人工的な明かりが一切ない中、月明かりを頼りに、別宮として最初の神事が行われる様子を目を凝らして拝見しました。
全て終わったのは午後11時過ぎ。
みなさん、どんな感想を抱かれたでしょうか。厳かな余韻に浸りつつ内宮をあとにしました。
17日のレポートはまた後日、お送りします。