「熊谷直実」 歌舞伎のよこ道あるき♪第17回
「熊谷直実」 歌舞伎のよこ道あるき♪第17回
令和3年 おめでとうございます
本年もどうぞ お願いいたします
昨年は、歌舞伎の観劇も難しい状況が続きましたが
南座での吉例顔見世興行は、無事に行われました。
久しぶりの関西での大歌舞伎を楽しまれた方も多かったのでは、ないでしょうか?
もちろんわたしも、観劇しました~☆
■熊谷陣屋
顔見世第二部では、熊谷陣屋が上演されました。
大好きなお芝居のひとつです。
役者さんの中でも人気のあるお役なんでしょうね。
家々で、いろいろな型があって見比べもおもしろい演目でもあります。
南座がキラキラしてますね~☆
以前、熊谷陣屋ゆかりの地へも訪れました。
よろしければ↓↓↓
歌舞伎の楽しみは観劇だけじゃない! 其の七 お芝居の地へ 熊谷陣屋 | 和のすてき 和の心を感じるメディア (wanosuteki.jp)
物語は…
源氏方の熊谷直実は、息子と同じ年(16歳)の平家の武将敦盛を助けます。
「一枝(いっし)切らば、一指(いっし)切れ」
美しく咲く桜の木の前に立てられた制札。
これは、「敦盛を助けるために自分の子(一子いっし)を身代わりにしろ」
という、義経の命令なのか???
義経の真意がわからないまま
味方(鎌倉)の目を欺き、自分の子を身代わりに殺したけれども
自分の判断は、正しいのか? 間違っているのか?
苦渋の心中の中、突然陣中へ訪れた妻相模(息子が心配で、来ちゃった)。
さらに敦盛の母、藤の方(息子の敵を討つ!)。
梶原景高(鎌倉からの監視)も来ている。
なんで全員、このタイミングなの!?
直実、どう切り抜ける?
「敦盛の首に違いない」
義経の言葉で首実検は、終了。
直実の判断は正しかった。
武士として功は上げたけど、自分の大切な息子は戻らない。
16年は、なんだったのか?
武士とは、人間とは。
生きるとは、死ぬとは。
平家追討の途中に出家を決めた直実。
「16年はひと昔。夢であったなぁ」
仁左衛門さん熱演!
涙、涙の観劇でした。
■熊谷直実ゆかりの地
京都にも直実ゆかりの地があるんです。
黒谷金戒光明寺。
出家後、師と仰いだ法然上人が庵を結んでいた場所です。
ここには直実が兜を脱ぎ、弓の弦を切ったとされる池と
鎧を脱いで掛けたとされる松があります。
兜之池
よろい掛けの松(三代目)
そして、法然の御廟の前には供養塔もあります。
御廟からみて左手(写真奥)に直実。
右手(写真手前)に敦盛。
二人の供養塔が向き合って建てられています。
観劇後に訪れると、舞台の感動がより強く、感慨深く余韻にひたることができます。
史実では、直実が出家したのは平家滅亡(1185年)後の1187~1189年ごろ。
実際は、敦盛を討ったことが直接的な出家の理由でもなさそうです(頼朝への不満爆発か?)。
しかも、法然を師と仰ぐのは、出家して数年後(1193年)。
どうやら鎧を着て、黒谷には訪れていなさそうです。
ただ、かなりの強者の関東武士だったので
出家しても荒々しい気性は、なかなか抜けず
法然との初対面時、
「殺生を重ねてきた自分が極楽へ行けるのか、行けないのか」を訊ね
「行けない」と言われたら、その場で切腹するつもりで刀を持参していたようです。
しかも、念入りに研いで!
さすが、荒武者!!
「念仏を唱えれば、極楽へ行ける」と聞き、
準備していた刀は、無用になったので法然に捧げた
と、記録が残っています。
ということは…、兜之池ではなく刀之池が正しいかもですね。(笑)
歌舞伎は史実をもとに、大胆脚色されているものが多いです。
虚と実。
夢と現。
今年は、どれくらい夢の世界を訪ねることができるでしょうか?
しっかり対策をしながら、厳しい現実から逃避したいですね。
2021(令和三)年 睦月 安積美香
ありがとうを世界中に
Arigato all over the World