ときめき☆歌舞伎 第64回
いよいよ、南座が帰ってくる!!!
2016年の2月から耐震工事で閉館中の南座。
工事は、いつまで? いつまでなのーーーっ?
おしえて。おじいさーーーん!!
と、心待ちにしていたのですが
ようやく、発表がありましたね☆
南座発祥400年!
今年の11月、12月 2カ月顔見世興行
だそうです!
華やかに開場しますよ♪
◆南座発祥400年?
えーっと。
南座の何がすごいかというと、
現存する日本最古の劇場(芝居小屋)なのです。
元和(1615~1625)年間に
京都所司代板倉勝重が四條河原の七つの櫓を官許する
という記録がのこっています。
幕府が興行を許すのは四條河原の7つの小屋(櫓)のみ!
と、宣言したもの。
元和年間のいつなのか、よくわからないのですが
2018年の400年前は元和年間なのは、確かです!
(板倉勝重が職についていたのは1620年まで)
江戸は、1624年に「猿若座」の興行が認められました。
大坂は、1652年に道頓堀に3つの小屋が認められています。
けど、どの芝居小屋も残っていません。
歌舞伎座は、今年130年だそうです。
南座は400年間、ずーっと四條河原の南側にいたはるんです。
400年、お芝居をやったはるんです。
やっぱり、南座すごい!!
◆七つの櫓(ろ)?
「櫓(ろ)」とは「やぐら」のことです。
幕府が許可した芝居小屋という証が「櫓」。
その名残で、南座には今も櫓があります!
工事が終わったら、
四条通りをわたって、北側から南座を見上げてみてください。
上のほうに、布で囲われた四角い部分があります。
江戸時代は、ここに太鼓があって朝一番芝居が始まる合図に
櫓太鼓が打たれました。
芝居好きはその音を聞いて、ワクワクしたんでしょうね~!!!
■「南座」は、最初から「南座」じゃなかった!?
四條南側の芝居小屋が「南座」と呼ばれるようになったは、
明治23年ごろからのようです。
意外~~~!!!
じゃぁ、なんて名前だったの?
実は、小屋としての名前がなかったのです。
えっ? どういうこと???
江戸は、座元(興行主)=小屋の持ち主だったのですが
京は、座本と小屋の持ち主が別々でした。
座本が1年契約で小屋を借りていたんですね。
○○座という名前は座本が持っていました。
なので、1年ごとに小屋の名前が変わったんです。
へぇ~~~!!!
「来年、都万太夫座さんは南側西角でしはるらしいわ」
「藤十郎はんやろ?」
「顔見世、楽しみやわぁ~」
こんな、会話があったかな?
7つの芝居小屋は
四条通りの北側に2座
南側に3座
大和大路西側に2座ありました。
火事や経営不振などでひとつ、ひとつ減っていきました。
四条通りの北側にひとつ、南側にひとつになったころから
「北側の芝居」、「南側の芝居」と呼ばれるようになりました。
明治39年、松竹が南座を経営することなり現在に至ります。
時代の波を乗り越えて、400年。
新しい南座の舞台に役者さんたちが戻ってきます。
11月まで待ち遠しいですね~。
ありがとうを世界中に
Arigato all over the World