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神宮を創建されたのは倭姫命

倭姫命の最終話

こんにちは。
倭姫命(ヤマトヒメノミコト)はもうご存知ですよね。
私が一緒に旅をしたかった素敵な命です。
天照大御神を祀る伊勢の神宮を創建されたというのが倭姫命です。
今日は倭姫命の最終話です。
お楽しみくださいね。

ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

 

美しい国 伊勢

大神がご鎮座を願われた美しき伊勢の地。
次々にめくれあがる波濤、群れをなしてたなびく雲。
空と海の白さが呼び合うような光景は、自然のダイナミズムを感じさせます。
光りに満ちた大淀(おいず)の浜辺に立つと、「この神風の伊勢の国は、常世の浪の重浪帰(しきなみよ)する国なり」 という「紀」の一節を目のあたりにしているかのようです。
天照大御神が倭姫命へ下されたこのご神託のなかで、大神は「可怜し国(うましくに)」(美しい国)伊勢に鎮座することを願われました。
伊勢湾に面した多気郡明和村の大淀には、倭姫命が飯野高宮から舟で川を下って遷幸された「佐々牟江宮(ささむえのみや)ゆかりの竹佐々夫江神社があります。
一面に田が広がるこの周辺は、「懸税(かけちから)」発祥の地として知られています。
懸税とは、毎年十月に伊勢の神宮で行われる神嘗祭で、ご正殿の内玉垣に掛けられる稲束のこと。
「世記」によれば、五十鈴の川上に神宮が創建された翌々年の秋、一羽の真名鶴が神宮に向かって天翔けり、日夜止まずに翔け鳴いた。
倭姫命が使いをやると、鶴は佐々牟江宮の葦原へ還り、根は一株で先は八百穂に茂った稲を示したので、倭姫命はその稲を大神の御前に懸け奉られたといいます。

 

 

神宮神田

「世記」によると、その後「矢田宮」、次いで「家田田上宮(やたのたのうえのみや)」の還幸された倭姫命は、大神が朝夕にお召し上がりになる御饌(お食事)のための田を定められました。
これがすなわち、伊勢市楠部町にある神宮神田だといいます。
清らかな五十鈴川の水を引いた約三万平方メートルの神田では、いまでも神宮で一年間の行われる祭祀にお供えする御料米が大切に育てられています。
神田の周辺には倭姫命が還幸された宮跡と目される場所が複数存在してます。
倭姫命が神宮を定める直前に遷幸された宮として「世記」に登場するのが「奈尾之根宮」です。
倭姫命がこの宮にいらしたとき、猿田彦神の末裔である大田命が参上したので、良い宮処はあるかと問うと「宇治の五十鈴川の川上は、日本の国の中でもすぐれた霊地です。そこにまだ見知らぬ霊物があり、照り輝くことは太陽や月のようです」と言いました。
倭姫命がその場所へ行ってご覧になると、昔、大神が美しい宮処ありと見定められ、天上から投げ下ろされた天の逆太刀・逆鉾・金鈴などがそこにあったので、非常に喜ばれてお言葉を述べられました。
かくして、倭姫命の一行は天照大御神をお遷し奉り、ついに五十鈴川の川上に神宮を創建して留まることになりました。
都を出られて三十四年の長きにわたる旅が終わったのです。
倭姫命は、神田のほか、御園地(畑)や御塩山(塩田)を定め、大神の神宝を調え、大神の御衣を織らせる機殿を造り、神宮の祭祀や規律を定められました。
神のご意志を具体的に示された女性、それが倭姫命だったのです。
伝承の真偽よりも二千年も前の伝承が今日につながっていること自体が重要ですね。

 

 

ありがとうございます

先日、伊勢神宮に行ってまいりました。
五十鈴川の清らかな流れ、木漏れ日差す神域に満ちる爽やかな空気。
日本屈指の聖地であり続ける伊勢の神宮を訪れれば、創始から二千年も経た今も、倭姫命の伝説の世界にふれることができます。

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
(参考:神話のおへそ)

 

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

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