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ブッダに学ぶ、とらわれない生き方

肉体よりも心を満足させるべき

こんにちは。
梅雨です、毎日雨です、あたりまえか。
梅雨というのは、中国から日本に伝わった言葉です。
梅の実が熟する頃に降る雨が由来だとする説、この時期は湿度が高く黴(かび)が生えやすいための「黴雨(ばいう)」が転じて「梅雨(ばいう)」になった説などあります。
日本では、雨の「露(つゆ)」と結びつけて「梅雨(つゆ)」と呼ぶようになったのだとか。
さて、今日はブッタの教えの一つをみなさまと。

ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

 

お経には、これはたとえ話だと書いてあります

第一夫人は、つまり私たちの肉体である。
腹が減ったといえば、うまいものをしこたま食わせる。
暑いといえば冷房を強にする。
寒ければ服を着せる。
みんな肉体の要求に応えるために必死で働き、自分の肉体をこよなく愛しているだろう。
だが、死ぬときに、肉体はついてこない。
最初にどこかに行ってしまう。

第二夫人は、私たちの財産やおカネだ。
こちらはさんざん愛したが、むこうは別に愛してくれたわけではない。
もちろん死ぬときはもっていけず、ついてこない。

第三夫人は、友だちだ。
ほどほどの付き合いで、それ以上のことはない。
みんな通夜や葬儀にきて、ビールなんかを飲んで、骨を拾ってくれるが、まぁそこまでだろう。
この第三夫人は、本当の、現実の奥さんだという解釈もあるのですが、野辺送りまでであとはしらんというのはあんまりだから。
ここでは友達としておきましょう。

そして、第四夫人こそが、つまり私たちの心だ。
心はいつも、ああしたい、こうしたいと願っていた。
でもおカネがないだの忙しいだのと、私たちはろくに心を潤させたり、満足させたりしてこなかった。
ところが、死ぬときは、ざんざんこき使った心だけが、最後まで自分についてくるんだという話です。

おもしろい喩えでしょう。
お釈迦さんは、肉体というのはわがままで、どうも困ったものだ、と言っておられるのです。
欲望のままに肉体を甘やかすのは、よくない。
心を大切にしなさい、心が満たされることをもっと重視しなさい、という教えなのです。
本:ブッダに学ぶ とわられない生き方 著:山田法胤さん

 

 

ありがとうございます

諸行無常で、この世に確かなものは何もない。
ということは、「自分のものだ」と言えるものなどないし、自分という永遠不変の実体を前提とすることも間違っています。
これを仏教では「無我(むが)」といいます。
何事も我(自分自身)ではない。
自分のものでもない。
自分の本質でもない—–そんな考え方というか、立場ですね。
にもかかわらず、人間というものは自分にこだわります。
変化するもののなかに、変わらない自分を見つけて、すがろうとする。
変わらない自分を見つけて、すがろうとする。
変わらないことに意味を見出して、幸せを感じようとする。
「これは自分のものだ」と、いつまでもこだわり続ける。
こらが「我執(がしゅう)」です。
我に執着して、自分以外のことは考えない。
だから人生は、人は苦しいのですね。
こだわりを捨てて生きていけないものでしょうか。
一番難しいことかも。
生を受けてしまったから。
我という煩悩と共に生きていくしかないかな・・・。

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
お釈迦さまは、「煩悩」を捨てられないって悟ったとか。

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld

 

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