月は時の象徴 中秋の名月は9月24日
今宵は月をめでながら
こんにちは。
今日は満月、旧暦で7月16日。
次の満月は中秋の名月、9月24日、この一ヵ月、月と共に秋の気配を楽しませんか。
処暑(しょしょ)に入り、厚さが幾分収まり朝夕に秋の気配を感じられるようになりましたね。
蜩(ひぐらし)の「カーナカナカナ」という哀愁の声が最もふさわしく思えるのは晩夏を過ぎてからの今ごろかもしれません。
でも、最近聞こえてきませんね・・・。
蜩といえば葉室麟さんの時代小説「蜩の記」、人の歩く道は多々あれますが、人の生きる道はないに等しい昨今、正に”生きる道”を教示してやまないすばらしい作品でした。
葉室麟さんの早すぎる死を惜しみます。
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月は時の象徴
月の光が人にさまざまな思いを広げさせ、月の満ち欠けによって時の移り変わりを察知したのは、おそらく人間の生活が始まったころからだろうと考えられています。
そして、月によって生活やしきたりを定め、季節の移り変わりと年中行事が自然に生まれてきたのでしょう。
月が時節の象徴であったことは、ひと月の初めをついたち(月が立つ)といい、ひと月の終わりをつごもり(月が隠れる)という言葉を生んだ感覚からも理解できます。
旧暦八月十五日の中秋観月の宴は大陸から入ってきた行事でありますが、日本古来の情緒と合致して、独特の「風流」という概念を育てました。
また「御水尾院年中行事」には、「芋、茄子を供えて、清涼殿の廂から月をご覧になる。その茄子の穴からご覧になって願いをかける。これは世俗に流布のことであるが、禁中にはいつから始まったことか・・・」とあります。
月を神秘的なものとみる信仰から芋や茄子を供えて祭りました。
そして、それは収穫への感謝の心も込められていたのです。
同時に「月見の宴」は、「月を転(あそ)ぶ事」であり、レジャーの効用をかねていました。
「日本歳時記」によれば、唐人は月餅や西瓜を食べながら十五夜の月をめで楽しんだとあります。
それに習って、平安貴族たちは「みやび」の粋に酔ったのでしょう。
月をめでる舞台装置、前栽合(ぜんざいあわ)せ
八月十五日(旧暦)の夜、中秋の名月の宴は盛大でした。
宴を催し、詩歌を作り、歌合せを行い、供えものをするほか、月をめでる舞台装置である前栽合せも行われました。
「栄花物語」によりますと、「清涼殿の前に、左右に分けて前栽を植えさせる。どちらも劣るまいと挑みあって、絵所(えどころ)は州浜を絵に書いてさまざまな花を生きているより美しく書いてある。遣水(やりみず)(川の水を庭園に引き込んだ流れ水)、岩、みんな書いて、白金を垣の形にして、すべての虫を住まわせる。造物所は、美しい州浜を選んで潮が満ちた様子を作り、いろいろな造花を植え、松竹などを付けてたいそう興味深い・・・」とあり、左右とも風流のかぎりをつくして競ったさまが描かれています。
(参考:本「平安時代大全」著:山中裕)
ありがとうございます
なんと平安貴族は優雅なことを。
いや、贅沢なことを!ですね。
風流とは本来、自然そのままをめでて楽しむことかと思っていたのですが、コトバンクにはこのように載っていました
「趣向を凝らした作り物に発し,祭礼でのさまざまに飾り立てた作り物,これに伴う音楽,舞踊などをいう。「風流」の文字は古く「みやび」と訓じ,みやびやかなもの,風情に富んだものを意味したが,平安時代には和歌や物語を意匠化した作り物をさすようになり,祭礼の際の傘,山,鉾などが風流と呼ばれ,これに付随した仮装の練り物,囃子,踊りまでが含まれるようになった。延年に大風流,小風流の演目があり,能楽にも狂言方の演じる狂言風流がある。特に田楽や疫病神の祭に伴う風流が流行してからは,山や鉾を飾り立て,囃子をはやし練歩く祭礼の風流が盛んとなり,室町時代末から近世初期にかけては小歌をうたって踊る群舞が各地で流行した。それらは今日まで特色ある民俗芸能として全国に伝承されている」
風流ってそういうことなのですね。
まだまだ知らないこと、間違って思ってたことがいっぱい。
だから楽しいですね。(間違ってて恥ずかしいですが)
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
今宵は満月と風流にお楽しみください。
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.
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