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「祈年祭」 五穀豊穣を祈るお祭り

今日は「祈年祭」

こんにちは。
今日は祈年祭、ご存知ですか。
祈年祭は春の耕作始めにあたり、五穀豊穣を祈るお祭りです。
「としごいのまつり」とも呼ばれます。
「とし」とは稲の美称であり、「こい」は祈りや願いで、お米を始めとする五穀の豊かな実りを祈ることを意味しています。
古来より、稲の育成周期が日本人の一年といえました。
今日はHauʻoli Me Ka MālieさんのFBより。
(写真:江戸時代の熱田神宮 祈年祭夕供御

ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

 


(写真:「オマツリジャパン」さんのHPより)

 

「とし」は稲の実りを意味します

宮中や伊勢神宮をはじめ神道において最も重要な祭りとして丁重に執り行われています。
改暦前は旧暦2月4日に行われ明治の改暦後は2月17日に行われることが多く、地域によっては3月や4月の春祭りと併せて斎行する神社もあるようです。
「きねんさい」または「としごいのまつり」とも呼ばれ、「とし」は稲の実りを意味します。
その起源は律令以前にさかのぼる春の予祝儀礼にあると思われる。
それは当時祈年祭にあたって御年皇神(みとしのすめがみ)に【白馬・白猪・白雞】を献ずるのが例であったが、その理由について《古語拾遺》がきわめて呪術的な起源説話を載せているところから推察できる。
しかし、祈年祭それ自体は古来の伝統的祭祀をふまえて律令制確立とともに始まったと見てよい。
と あります。

 

農耕儀礼が8世紀ごろから

年の初めにその年の穀物の豊穣を祈る宮中の祭。
春に田の神を山から迎え、秋に再び山へ送る、という農耕儀礼が8世紀ごろから。
宮廷儀礼としても行われるようになったもの。
古来より日本は、稲作中心の農耕を基盤としていたため五穀の実りを神祗に願う信仰が律令国家の確立とともに儀式化し、いつしか農作業が始まるこの時期に田の神を山から迎えその年の五穀豊穣を願う祭祀として11月の新嘗祭(にいなめさい)と対を成す形で神祇官・国司の庁で執り行われるようになりました。

当初は全国の3132座。
2861社すべての神社が祈願の対象だったそうです。
その後、豊作祈願のほか産業の発展や国家の平安、国民の繁栄を願う祭りとして
全国の神社へ普及していきました。
戦前までは、国家的祭祀としての意味合いが強く戦後に国家神道が解体されると通常の祭祀として行われるようになりました。
また、現在では祈年祭と併せて旧初午祭と御分霊祭が執り行う神社も多いようです。

 

 

ありがとうございます

「日本書紀」に天照大御神が斎庭(ゆにわ)の稲穂を天孫瓊瓊杵尊に授けられたとありります。
そこに日本の始まりが位置づけられることは大きな意味を持ちます。
春には豊作を祈り、秋には収穫に感謝する稲作を中心とした営みを、日本人は2000年以上繰り返してきました。
天皇陛下から国民に至るまで神を祀ることは日本の大切な文化です。

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
Hauʻoli Me Ka Mālieさん素敵なお話しありがとうございます。

参考:神宮HPより

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld

 

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