「仕来り」(しきたり) 親から子へ 子から孫へと伝えられるもの
叩いた手も傷ついている
こんにちは。
先日テレビで、親が子供を叩いていいのか?と討論してました。
学校教育現場やクラブ活動、相撲部屋など家庭だけでなくいろいろな所で問題となっています。
叩いていいのか?と問われると、叩くのは良くないと多くの方は答えると思います。
でも、時には叩くことが必要な時があるかもしれません。
叩いて問題になるのは、その叩いた手に本当の愛情があるかないかではないでしょうか。
叩かれた方はもちろん痛いし傷つくでしょう、でも、愛を持った手で叩いた方はもしかしたらもっと傷ついているのかもしれません。
心が。
いずれにしても昨今、昔からあった「仕来たり」がなくなり。
私の考えが全てになっている世の中になってしまっているのではないでしょうか。
私の考えなどたかだか数十年、しきたりはきっと千年の時を超えて教え継がれてきているのではないでしょか。
今だからこそ、あらためて「仕来たり」を大切にしたいですね。
今日はHauʻoli Me Ka Mālieさんのお話から
ありがとうを世界中に
Arigato all over the World
しきたり「仕来り」
昔からのならわし。
慣例。
「ーーーに従う」
日本にも年中行事を中心とする行事・儀礼とそれに付随する古来からの「しきたり」が数多くあります。
しかし最近はそんな古来よりの伝統が忘れつつあります。
ライフスタイルが欧米化、核家族が増えるなど社会環境の変化が一因とされています。
洋間、板の間が増え、畳の部屋がなかったりするので「畳の縁を踏んではいけない」という作法はどこまで 残っているのでしょうか。
「しきたり」は親から子へ、子から孫へと伝えられるもの。
核家族化によって年長者と暮らすことも少なくなりました。
大切にしたいですね。
それらの「しきたり」はどのよにして生まれてきたのでしょう。
「しきたり」は生活に根ざす
しきたりは生活に根ざして生まれる。
どこの国もどんな民族も独自のしきたりをもっています。
しきたりとはそれまで行いつづけてきた習わしや習慣のこと。
民族が暮らす土地の気候風土に根ざし歴史が培ったものなんですねっ。
ただ、ヨーロッパのように一つの大陸で数多くの民族が生活している場合、陸続きの交流から民族の集合離散が起こり、それぞれのしきたりが入り混じって淘汰されていくことがあります。
また、征服と略奪が繰り返された結果、民族独自のしきたりが侵略民族のしきたりに飲み込まれて消えてしまうこともあります。
現在のアメリカがその例としてあげられます。
新参者として移住してきたヨーロッパ系民族の色に染まり、もともとその地に暮らしていたネイティブアメリカンの風習やしきたりはほとんど見られなくなってしまったそうです。
日本の文化は
日本の場合、四方を海に囲まれていたために多民族やその文化との交雑が少なく独自性の強いしきたりが育ちました。
もちろん交流がまったくなかったわけではありません。
有史以前から海を越えて、朝鮮半島、中国大陸との往来がありました。
農耕民族として、文明を発展させることになった稲作も海を渡ってやってきたものです。日本人は、四季のある恵まれた自然のなかで歴史を重ねていきます。
春に種をまき、秋に収穫するという農耕生活は、自然の大切さを大いに実感させます。
飛ぶ鳥
咲く花
吹く風
遠く望む山の姿の変化など
すべては農作業の手がかりとなりました。
その結果
自然と共存する、自然に感謝するという気持ちが生まれ育ったのです。
しかし一方で、自然はいつも人間の味方をするとは限りません。
そこで種まきの前には太陽の恵みを祈り、雨が少なければ雨乞いをし、豊かな収穫が得られなければ自然に感謝を捧げました。
自然への感謝
こうした自然崇拝の風習が根づいた頃、中国から 暦が伝わってきます。
これには日本と同じように四季をもつ国で編み出されたものならではの便利さがありました。
もともとは一年の期間を定めた普通の暦法でしたが、季節を区切って定められた二十四節気がちょうどいい農耕の目安になったからです。
啓蟄で春の到来を知って田の代かきを始め穀雨で田植えの季節がきたことを知る。
不安定だった農作業が毎年周期的に行えるようになります。
それに合わせて決まった日に自然崇拝の儀式を行うという風習も根づいていきました。
日常で用いる暦法は明治時代に太陰暦から太陽暦に変わりましたが、春分の日、秋分の日などはいまも国民の祝日に指定されやすらぎのひとときとなっています。
こういったことは農耕民族として歩んできた歴史の証といえるようです。
こののように、祖先と自然を大切にしてきた文化の積み重ねによって生まれてきたのでしょう。
人生をより豊かにする通過儀礼や儀式
自然に感謝し祈りを捧げるのはそこに対象物としての神を見出そうという意図があるからです。
日本では八百万の神というように万物に神が宿るという信仰心が自然崇拝のなかから生まれました。
諸外国の宗教が万物の創生主としての神々を崇拝したのに対し日本人は田の神、水の神、あるいは農作物にとって害にもなりかねない風や雷まで神に仕立てました。
これは Hawaii 神話でもkahiko として 伝承されていますよねっ。
歌い
祈ることで加護を授けてくれる神は
自分たちの先人まで対象で
地域を護る氏神信仰のほか
祖先崇拝も行われるようになりました。
習慣や習俗を文化にまで高める
やがて日本人は神仏の加護を「福」という言葉であらわし始め、福を招く、福をよぶというのが儀礼・儀式の目的の一つになっていきます。
加護が得られない場合が「厄」であり厄落としという儀式がやはりしきたりとなりました。
儀式や儀礼が生活に密接に結びつく時代になると、そこに作法が生まれました。
儀式を行う手順、必要な道具、祈りの捧げ方。
それらすべてに格調をもたせることで折がさらに強く通じ、福も得やすいと考えたからでしょう。
儀式から生まれた作法はやがて儀式の場だけでなく、日常生活の場にまで広がり作法に反するものは禁忌とされるようになっていきました。
何をするにも縁起がいいとか悪いなどといって行動の基準にするのも神仏の加護から見放されるという発想からで
立ち居振る舞いに作法が生まれたのもこの儀式の作法が踏襲されたからです。
これは、日本民族の習俗といった範疇を超えて独自の文化ともよばれそうな域に達しています。
「冠婚葬祭」その土地固有のものが多く存在しますよね。
「門松」は歳徳神に降臨していただく依り代となり、この家は神様を迎える準備ができているか目印になるという言われがあるそうです。
昔からのしきたりにはそれなりの理由がありますね。
しきたりはまさに 文化なのですね。
ありがとうございます
Hulaさんのお話し、いつも大好きです。
全てのことに、ものに感謝しようと教えてくれます。
日本的にいうと八百万の神に感謝でしょうか。
今では多神教は日本だけみたいですが、古代四大文明が出来る以前は世界中が多神教、多神教といういいかたもおかしいかな、全てのことに感謝していたと思います。
現にハワイの先住民も、アメリカもインディアンも、オーストラリアのアボリジニも、アフリカも南アメリカの人たちも。
もしかしたら先進国の一神教より多いのかも。
みんなみんな、あらゆることに感謝しながら毎日を暮らしています。
それはあらゆることが恐ろしいことも知っているからです。
何でもいいことばかりではないことを知っているからです。
すべてのことには陰陽、裏表があり、いつも暗い夜ばかりでないことを知っているから。
なのに!
現代の先進国(何を先進というのでしょうか?)の人たちは過去の仕来たりをどんどん捨てていき、新しい今に大切(と思って勘違いですが)と思ったことだけが正しいと思ってしまっています。
困ったな。
Hauʻoli Me Ka Mālieのような素敵な人になりますように!
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
ゆっくりハワイに行って癒してきたいです。
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.
#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld