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今日は嘉祥の日(お菓子の日)

今日は嘉祥の日

こんにちは。
今日は嘉祥の日。
お菓子の日ですね。
お菓子さん、いつもありがとうございます。

起源は平安中期(848年とも)、仁明天皇(にんみょうてんのう)の時、夏に疫病が流行ったため年号を承和(じょうわ)から嘉祥(かじょう)に改めました。
この年の6月16日に16種の餅やお菓子を神前にお供えして疫病除けや人々の健康を祈願したのが始まりといわれています。
(実際には6月13日に天皇家でお供え祈願され16日に公家諸侯に振舞われたともいわれています)

 

ありがとうを世界中に
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日本のお菓子の始まり 清浄歓喜団と餢飳」

日本のお菓子の最初は何かご存知ですか。
それは清浄歓喜団と餢飳(ぶと)と言われています。

清浄歓喜団とは
略してお団といいます。
遠く奈良時代遣唐使により我国に伝えられた唐菓子の一種で、数多い京菓子の中で千年の歴史を昔の姿そのまま今なお保存されているものの一つです。
唐菓子とは「からくだものと呼ばれ、仏教とともに我が国へ伝わり天台宗・真言宗などの密教のお供えものでした。
当時はとても一般庶民は口にすることが出来ず、貴族のみに与えられたものであります。
七種の香を入れて包み、そのほのかな神秘な香りは仏教でいう「清め」の意であり、八つの結びは八葉の蓮華をあらわし、形は金袋になぞらえ、たぎった上質の胡麻油で揚げてあります。
伝来の当時は中身は栗、柿、あんず等の木の実を、かんぞう、あまづら等の薬草で味つけしたらしく小豆餡を用いるようになったのは徳川中期の後であります。

餢飳とは
遠く奈良時代遣唐使により我国に伝えられた唐菓子に一種で、数多い京菓子の中で千年の歴史を昔の姿のまま、今なお保存されているものの一つであります。
唐菓子とは「からくだもの}と呼ばれており、唐(中国)から、八種(やくさ)の唐菓子と十四種の果餅(かへい)とその製造方法が伝えられました。
餢飳は十四種の果餅の一つで今日まで主に神社の祭礼に供えられる神饌菓で、宮中や貴族の間でも用いられた食べ物です。
米や麦の粉をこねて丸く平らにしたものを二つに折り兜形にして、たぎった上質の胡麻油で揚げてあります。
伝来の当時はかんぞう、あまづら等の薬草で味付けをしておりました。
民の願いとともに祈りの菓子は、神饌菓として受け継がれています。
(ともに、京御菓子司 亀屋清永さんより)

 


京御菓子司 亀屋清永さん

 

 

ありがとうございます

先日、13日、雅鸞洞にて二條さまより嘉祥の祝祀をあげていただきました。
このような時でありますから「皆さまの健康」を祝いながら。
その時に菓祖神(お菓子の神)田道間守(たじまもり)の話も聞きました。
「ときじくのかぐのこのみ」(今の橘)のことも。
聖武天皇が「橘は菓子の長上、人の好むところ」と言われ、古代の菓子が「果物」の意味もあるところから、田道間守は菓祖神となられました。
知らないことばかり。
知っていることってきっと1%もないのでしょうね。
だから今が楽しいです。

二條さま、いつもありがとうございます。
今日もいっぱい、ありがとうございました。

 

追伸
色紙の右から
一、日本根子天璽豊聡慧尊(やまとねこあめしるとよさとのみこと) 第54代仁明天皇(にんみょうてんのう)
一、多遅摩毛理尊 田道間守(たじまもり)
一、活目入彦五十狭茅天皇(いくめいりひこいさちのてんのう) 第11代垂仁天皇(すいにんてんのう)
一、登岐士玖能迦能木実(ときじくのかのこのみ)
一、日葉酢媛命(ひばすひめのみこと) 垂仁天皇の二番目の皇后
一、天児屋根之大神(あめのこやねのおおかみ)

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

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