日本の七十二候「霜止出苗」
日本の七十二候「霜止出苗」(しもやみてなえいずる)
こんにちは。
今日は、日本の七十二候「霜止出苗」。
日本の田園風景は素敵ですね!
霜も降らなくなり、稲の苗が成長する時期です。
霜は作物にとって大敵。
ようやくひと安心といったところでしょう。
とはいえ、「八十八夜の忘れ霜」といって、立春から八十八日目の五月二日ころ、最後の遅霜が降りることもあるといいます。
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昔々の稲は?
「日本書紀」には、天孫降臨に際して天照大神が「高天原にある斎庭(ゆにわ)の稲穂をわが子に与えなさい」と命じられた、と書いてあります。
天孫降臨はわが国の稲作の始まりとされています。
というのは神話の世界のお話し。
では、本当はどこからきたのでしょうか?
稲はもともと自然にはえていました。
つまり野生の稲です。
野生の稲が変化して、栽培(さいばい)できる今の稲になったのです。
今アジアで作られている稲が生まれた所は、
①インドの北東部からラオスの西部にかけての、中国雲南省の南西部より南の地方(この地域からは3,800年前の「モミがら」の化石が見つかりました。)
②揚子江の中流から下流の地域(この地域には、50ぐらいの遺跡が発見されていて、今から、9,000年前~8,000年前に、お米を作っていたことがわかりました。イネの「モミ」や「くき」の化石が出てきたからです。現在発見されている栽培種で最も古いものです。)
の2つの説が考えられています。
どちらが正しいのかはわかりませんが、どちらにしても、水辺の地域で、最初は、水辺に生えている野生の稲を集めて食べていたものと考えられています。
米作りは、野生の稲のタネを取って集めた後に、モミを住んでいる場所の近くにわざとばらまいたりして(=タネまき)、大きくなってモミが実ったら取って集める(=収穫)ことから始まったと伝えられています。
このようにして、それまで狩猟に明け暮れていた原始の人たちは、人をじゅうぶんに養えるだけの食べ物を安定して手に入れるために、原野をきりひらいて農耕や牧畜を始めました。
(文:「お米の歴史を教えてください」より)
稲の歴史
日本の中では、一番古い田んぼは、縄文時代の終わりころ(2,500年くらい前)のものが発見されています。
(ただし、イネの化石で一番古いのは、岡山県の遺跡から、3,500年前のものが見つかっていて、当時は田んぼでなく畑でイネを作っていたのではないかという説があります。)
今から2,500年前の縄文時代に「水田での米作り」の技術が伝わり、田んぼでイネを作り始めたことが、縄文時代を終わらせて弥生時代に変わるきっかけになったといわれています。
弥生文化は、田んぼでの米作りが基礎になっている農耕文化で、縄文文化とは明らかに違っています。
日本でも邪馬台国(やまたいこく)をささえていたものの1つが、米作り・お米であったことはまちがいないといわれています。このころすでに、お米は主食のこくもつになっていました。
お米作りが始まる前の日本の人口は、20万人くらいだったのが、奈良時代には600万人、江戸時代の後半には3,000万人に、最近は1億2,000万人以上に増えました。
日本列島でこれだけの人口を養ってこれたのは、イネがほかの作物に比べて、日本の気候に合って、たくさんとれたからなのです。
この、お米のすばらしさに気づいた昔の人々は、いっしょうけんめいに田んぼでイネを作り始め、お米をとるようになっていったのです。
(文:「お米の歴史を教えてください」より)
ありがとうございます
日本の米の生産量をご存知ですか。
年間8600万トンぐらい生産されています。
お米だけの自給率をみると100%とのことです。(本当かな?)
でも、田んぼは休田のところもたくさん。
何よりもお米の消費が減っているのも現状です。
私は休田も稲作をしていただき、もっともっとお米をたくさん食べてもらいたいです!
大切な大切なお米だから。
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.
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