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8月の黎明塾 縄文時代の円の発想が神道の原型

 

こんにちは。

 
八百万、目に見えないものまでにも「ありがとう」と思える和の心が、この星をいつも笑顔あふれる幸せな毎日にすると思っている葉室です。

去年、八月八日の陛下の譲位のお話し(決して退位ではないですよ)より古からの日本とは、天皇とは、と勉強することが大変多くなりました。

先日の八月の黎明塾でも、日本のお話しを頂きましたのでみんなと共有。

 

円の発想

日本の歴史は、神道によってつくられたといっていいでしょう。

「縄文文化」という日本列島独自の文化を共有するびとの流れをひく者が、神道を拠りどころとして古代国家をつくっていったのです。

考古学の成果によって紀元前一万三千年ごろ、同時代の中国や朝鮮半島の文化とは異なる縄文文化が、日本列島に広まっていきました。

日本列島の旧石器文化は、約三万年前(紀元前二万八千円ごろ)にはじまりますが、それは中国やシベリアに出土する同時代の石器に似た遺物をのこした東アジア世界の旧石器文化の一部をなすものにすぎませんでした。

神道の原型となる特有の宗教があらわれたことによって、その思想を表現する文様をつけた縄文土器が日本でつくられるようになりました。

縄文人は、考古学者が「円の発想」と名づけられた、すべての事物をかけがえのない霊魂をもつ平等のものとみる発想をもっていました。

これが八百万の神を祭る神道の核となる日本流の精霊崇拝であります。

縄文人は、円の発想によって円形の広場を中心に住居を設け誰もが平等な世界をつくりました。

縄文時代の集落のまわりにみられる巨大な貝塚は、人々の遺骨をおさめる墓場であるとともに、貝や狩りの獲物になった動物の骨、使えなくなった道具などを納めるところでした。

弥生時代以降に身分制度ができても、日本人の心の中で平等を重んじる円の発想はうけつがれつづきました。

 

天皇家の祖先が神になる

 
大王(七世紀末に大王号にかわり天皇号が用いられるようになります)三輪山の神は、土地の守り神でありました。

そしてその神は、大和朝廷の成立時に国を守る神をあらわす「大和の國魂」とよばれるようになったらしいです。

それからまもなく、「大国主命」の前身にあたる神も出雲地方を守る「出雲の國魂」と呼ばれるようになりました。

そして五世紀末までは、このような形であちらこちらの有力な首長によって、いくつもの「國魂」が祭られてきました。

朝廷で日本神話の体系を整えるときに、そのような國魂の神をすべて大国主命の分身で命と同一の神としました。

これによって大国主命が多くの別名を持つようになりました。

王家は、三輪山の神の祭りをはじめるとともに、自家の祖先たちの霊魂が三輪山の神と同一の神であると主張しました。

古代史家のなかには、首長の祖先を格の高い神として祭るこのような信仰を「首長霊信仰」とよぶ者もいます。

王家は、この首長霊信仰にもとづいて、なくなった大王を祭るための人口の山である古墳づくりをはじめました。

最新の考古学の説は、二二〇年ごろにつくられた纏向遺跡にある桜井市纏向石塚古墳を最古の古墳としています。

大王の祖霊は、古墳と三輪山との間を自由に往来しているとされています。

 

ありがとうございます。

 
和銅5年(712)に書かれた古事記以降は多くの人が文字を書けるようになりましたので史書が残っていますが、やはり知りたいことはその前のこと。

日本人のはじまり、世界との関係・・・知りたいことがいっぱいあり過ぎます。

いづれにしても、日本は自然を大切に共生して過ごしてきました。

だからこそ、ありがとうという、感謝の心がうまれてきたのでしょうね。

大切にしなければ。

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

 

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