「お節の由来」 新年を気持ち良く!正月の豆知識
おせち料理
こんにちは。
正月の食卓を彩る”おせち料理”。
正月をお祝いする料理として、目にも楽しく華やかな食卓を演出してくれます。
せっかく毎年いただくものだから、おせちについて少し学んでみませんか。
歴史や由来など実は奥が深く、知ればさらに楽しくいただけますよ。
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おせちとは?
おせちと言えば、正月に三日間食べるもの。
単純にそう認識している人も多いのではないでしょうか。
本来おせちとは、新年に各家庭を訪れて、それぞれの家庭を1年間守ってくれるとされる「年神様」にお供えするためのお祝いの料理のことを言います。
お供えの意味だけでなく、生ものを使わず作り置きしておけるメニューが多いのは、かまどの神様を休めてあげるという意味もあります。
その他にも、正月にあまり火を使わないようにするという意味もあるようです。
おせちの由来
皆さんはおせち料理を漢字で書くことができますか?
漢字では「御節料理」と書きます。
これは、「節句(1年の節目)に食べる料理」ということを意味します。
日本には、昔から1年間のうち5回の節句があり、これを五節句と呼んできました。
五節句とは、人日、上巳、端午、七夕、重陽です。
人日とは、1月7日の七草粥の日、上巳とは3月3日のひな祭り。
端午は5月5日の子供の日、そして重陽は9月9日で菊の花に長寿を祈る日のことを指します。
重陽は今ではあまり知られていませんが、それ以外は、今もなお生活の中で馴染みがあり、節句としてお祝いをする風習が残っていますよね。
それぞれの節句にお祝いの料理として食べていたものを、昔は「御節料理」と呼んでいました。
おせちはここに由来しているとされています。
しかし、五節句には元旦が含まれていません。
どういうことでしょう。元旦は昔から節句の中でも別格で1年のうちに最も特別な日とされていたからです。
昔は、五節句と元旦に神様に捧げる料理のことを全て「おせち料理」と呼んでいましたが、時代の変遷と共に変化し、今では最も特別な元旦に食べる料理のことだけを「おせち料理」と呼ぶようになったのです。
おせちの歴史
おせちの歴史は諸説ありますが、遡ればなんと弥生時代にまで遡れるそうです。
しかし、これは日本人がお米を食べ始めたから、ということに由来するそうで、直結する時代とすれば江戸時代になります。
江戸時代、徳川幕府が五節句を公式な祝日として定めたところからおせちの歴史は始まります。
幕府は、祝日として定めた上に、幕府の公式行事としました。
初めは幕府内だけの行事だったものが、徐々に庶民にも浸透していき、江戸時代後期には、庶民の生活にも定着していったと言われています。
それと同時に、おせち料理も庶民に広まっていきました。
その後、様々な食文化が生まれ発達していったことで、時代の変遷と共に料理の種類も増えていったとされています。
おせち料理のメニューひとつひとつに意味を込め、大晦日のうちに準備を済ませ、新年に食べるようになったのは江戸時代後期だそうです。
この頃から、今もなお受け継がれてきたおせち料理の歴史の長さに驚きますよね。
ちなみに、この頃庶民の間ではまだ「おせち」とは呼ばれていなかったそうです。
「食積(くいつまみ)」や「蓬菜」と呼んでおり、その後長い時を経て、「おせち」と呼ばれるようになったのは、第二次世界大戦後だと言われています。
ありがとうございます
第二次世界対戦後、さらなる食文化の発達により地域や家庭でメニューにも多様性が生まれてきました。
また、近年ではデパート、コンビニなどあらゆるところで販売し、オリジナリティ溢れるおせち料理を創作しています。
こうした流れもある中で、日本の正月を彩るおせち料理の歴史は、これからもまだまだ新しい道を切り開いていくことでしょう。
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
おせち料理には数々な想いが込められています。いつまでも引き継がれていきますように。
参考
正月事始め 煤払いに松迎え
ぜんざいといえば女正月。
年越しにそばを食べるのはなぜ?〜日本の年末の風物詩、年越しそば〜
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
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