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日本人にとって「しきたり」とは何なのか?

 

歴史にはぐぐまれた日本人のしきたり

 

こんにちは。

日本には年中行事を中心とする行事・儀礼と、それに付随する「しきたり」が数多く存在します。

それらの「しきたり」はどのよにしてまれてきたのでしょうね。

下記のように、祖先と自然を大切にしてきた文化の積み重ねによって生まれてきたのでしょうね。

さあ、今日も学んでみましょう。

祖先への感謝と末永い繁栄の祈り

 ↓

人生の節目に行事を行なう

 ↓

伝統的儀礼やしきたりが生まれる

恵まれた自然の中で農耕生活

自然に感謝し、生活の安泰を祈願する

年中行事を行うようになる

 

しきたりは生活に根ざして生まれる

どこの国も、どんな民族も独自のしきたりをもっています。

しきたりとは、それまで行いつづけてきた習わしや習慣のこと。

民族が暮らす土地の気候風土に根ざし、歴史が培ったものですね。

ただ、ヨーロッパのように一つの大陸で数多くの民族が生活している場合、陸続きの交流から民族の集合離散が起こり、それぞれのしきたりが入り混じって淘汰されていくことがあります。

また、征服と略奪が繰り返された結果、民族独自のしきたりが侵略民族のしきたりに飲み込まれて消えてしまうこともあります。

現在のアメリカが、その例としてあげられます。

新参者として移住してきたヨーロッパ系民族の色に染まり、もともとその地に暮らしていたネイティブアメリカンの風習やしきたりはほとんど見られなくなってしまいました。

 

日本の文化とは

 

日本の場合、四方を海に囲まれていたために、多民族やその文化との交雑が少なく、独自性の強いしきたりが育ちました。

もちろん、交流がまったくなかったわけではありません。

有史以前から海を越えて、朝鮮半島、中国大陸との往来がありました。

農耕民族として文明を発展させることになった稲作も、海を渡ってやってきたものです。

日本人は四季のある恵まれた自然のなかで、歴史を重ねていきます。

春に種をまき、秋に収穫するという農耕生活は、自然の大切さを大いに実感させます。

飛ぶ鳥、咲く花、吹く風、遠く望む山の姿の変化など、すべては農作業の手がかりとなりました。

その結果、自然と共存する、自然に感謝するという気持ちが生まれ育ったのです。

しかし一方で、自然はいつも人間の味方をするとは限りません。

そこで種まきの前には太陽の恵みを祈り、雨が少なければ雨乞いをし、豊かな収穫が得られなければ自然に感謝を捧げました。

 

農耕民族と暦

 

こうした自然崇拝の風習が根づいた頃、中国から暦が伝わってきます。

これには、日本と同じように四季をもつ国で編み出されたものならではの便利さがありました。

もともとは一年の期間を定めた普通の暦法でしたが、季節を区切って定められた二十四節気が、ちょうどいい農耕の目安になったからです。

啓蟄で春の到来を知って田の代かきを始め、穀雨で田植えの季節がきたことを知る。

不安定だった農作業が、毎年周期的に行えるようになります。

それに合わせて、決まった日に自然崇拝の儀式を行うという風習も根づいていきました。

日常で用いる暦法は、明治時代に太陰暦から太陽暦に変わりましたが、春分の日、秋分の日などはいまも国民の祝日に指定され、やすらぎのひとときとなっています。

こういったことは、農耕民族として歩んできた歴史の証といえるでしょう。

 

 

人生をより豊かにする通過儀礼や儀式

自然に感謝し祈りを捧げるのは、そこに対象物としての神を見出そうという意図があるからです。

日本では八百万の神というように、万物に神が宿るという信仰心が、自然崇拝のなかから生まれました。

諸外国の宗教が万物の創生主としての神々を崇拝したのに対し、日本人は田の神、水の神、あるいは農作物にとって害にもなりかねない風や雷まで神に仕立てました。

歌い、祈ることで加護を授けてくれる神は、自分たちの先人まで対象で、地域を護る氏神信仰のほか、祖先崇拝も行われるようになりました。

 

神の加護と仏の加護

 

こうした流れに大きく影響を与えたのが、仏教の伝来です。

仏教は稲作同様に海を越えて伝わってきた異文化の、もう一つの大きな要素といえるでしょう。

ところがそれは、神の加護に変わって仏の加護を得ようというするものにほかならなかったのです。

万物に神が宿ると信じていた日本人にとって、仏もまた「加護」を得るために敬い、祈る対象物となりました。

こうして神仏を混交させた日本のさまざまな行事は、さらに豊かな彩りを放つようになっていきました。

農耕生活にかかわる行事ばかりでなく、人生の節目節目で行う通過儀礼のなかには、この神仏混交の影響で生まれたものも少なくありません。

儀礼のしきたり、儀式の作法のなかに、その姿を見ることができます。

 

習慣や習俗を文化にまで高める

やがて日本人は、神仏の加護を「福」という言葉であらわし始め、福を招く、福をよぶというのが儀礼・儀式の目的の一つになっていきます。

加護が得られない場合が「厄」であり、厄落としという儀式が、やはりしきたりとなりました。

儀式や儀礼が生活に密接に結びつく時代になると、そこに作法が生まれました。

儀式を行う手順、必要な道具、祈りの捧げ方…、それらすべてに格調をもたせることで、折がさらに強く通じ、福も得やすいと考えたからでしょう。

儀式から生まれた作法は、やがて儀式の場だけでなく、日常生活の場にまで広がり、作法に反するものは禁忌とされるようになっていきました。

何をするにも縁起がいいとか悪いなどといって行動の基準にするのも、神仏の加護から見放されるという発想からで、立ち居振る舞いに作法が生まれたのも、この儀式の作法が踏襲されたからです。

これは、日本民族の習俗といった範疇を超えて、独自の文化ともよばれそうな域に達しています。

しきたりは、まさに文化なのですね。

参考:日本のしきたりがよくわかる本(文末修正)

 

 

ありがとうございます。

 

日本には古来からの「しきたり」が数多くあります。

しかし最近は、そんな古来よりの伝統が忘れつつあります。

ライフスタイルが欧米化し、核家族が増えるなど、社会環境の変化が一因とされています。

洋室の方が使い勝手がよいと感じ、和室を敬遠したり。

そのたま、「畳の縁を踏んではいけない」という作法は知らないでしょうね。

「しきたり」は親から子へ、子から孫へと伝えられるもの。

核家族化によって年長者と暮らすことも少なくなりました。

これから「しきたり」はどこへ行ってしまうのでしょうね。

大切にしなければ!と思うのは私だけですか?

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

この国に続く「しきたり」を大切に、いつまでも伝え残していきましょう。

 

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