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「仙台藩第四代伊達綱村公(浄住寺方丈ご寄進)」 三百年遠忌

 

仙台藩第四代伊達綱村公 三百年遠忌

こんにちは。

この週末、仙台へ行ってきました。
「肯山公(伊達綱村公)三百年遠忌シンポジウム」に参加、仙台伊達家十八代当主 伊達泰宗氏のご講演を伺ってきました。
伊達綱村公は浄住寺が1687年に黄檗宗として再興したときに、開山の鐵牛禅師に帰依されていたご縁で当時の仙台藩江戸屋敷(どの江戸屋敷かはわかっていません)をご寄進賜りました。
江戸から海を渡り大坂に着き、淀川を上り桂で荷を下ろし再度組み立てたと伝わります。
本当にありがたいことです。

今日は伊達綱村公についてのお話し。


(参考図版 浮世絵「早苗鳥伊達聞書」 仙台市博物館)

名君 伊達綱村公

宮城県から岩手県南部にかけての地域は、江戸時代には仙台藩によって治められていました。
その仙台藩の四代当主が伊達綱村公です。

綱村公は、万治二年(1659)三月八日に江戸の浜屋敷(現在の東京都港区東新橋)で生まれました。
その名は亀千代。
父は三代藩主伊達綱宗で、側室の三沢初子を母に持ちました。
父綱宗が突如隠居すると、綱村公はわずか二歳で仙台藩主になりました。
寛文九年(1669)、江戸城で元服して成人となり、名を綱基(つなもと)としました。

この頃、仙台藩の政治は、幼かった綱村公を補佐する後見人が行っていましたが、藩内では家臣同士の勢力争いや領地争いが起こっていて、不安定な時期を迎えていました。
そして領地争いをしていた涌谷の伊達安芸宗重が幕府に訴え出たため、大きな騒動になりました。
結局は、幕府の老中が両者の主張を聞いている最中に、原田甲斐宗輔が伊達安芸宗重を切りつけて殺害したことによって審理は中断し、騒動を起こした仙台藩はお取りつぶしの危機を迎えました。
三代綱村の隠居から原田甲斐のこの刃傷事件までは「伊達騒動」と呼ばれています。

仙台藩最大の危機を迎えた綱村公ですが、この時まだ十三歳。
藩主として騒動を収めるのは非常に難しかったと思われますが、幕府の決定は、藩主には責任は及ばず、後見人など家臣の処分で済ませるというものでした。
その後、綱村公は藩主として仙台藩の政治に自ら関わっていくようになりました。
延宝五年(1677)には、名を綱村に改め、老中稲葉正則の娘である仙姫と結婚しました。

綱村公の政治の特色の一つは、伊達家の一家や一族などの上級家臣に代わって、中級家臣を重要な職につけたことです。
「伊達騒動」の時のように、力を持った上級家臣が勢力争いをして、政治が不安定になるのではなく、政治のやり方を改革して、藩主が中心となった安定した政治を行おうとしたのです。

 

学問・文化、信仰にも熱心な綱村公

また、学問・文化についても、とても大切にしました。
儒学については、高名な学者を招いて講義を受け自らも講義を行うなど、深く興味を示しました。
伊達氏や仙台藩に関する歴史についても、学者に詳しく研究させ、「伊達正統世次考(だてせいとうせいじこう)」など多くの歴史書を残しました。
このような歴史書は、伊達氏やふるさと宮城の歴史を研究する上で、今でも大変役立っています。

それに加えて、信仰の熱心な綱村公は、多くの寺院・神社を造営しました。
中国から新たに伝わった黄檗宗に強い関心を示した綱村公は、鐵牛禅師という高僧を招いて大年寺を建て、さらに燕沢の地に臨済宗の善應寺(ぜんのうじ)を建てました。
また亀岡八幡宮を造営し、鹽竃(しおがま)神社を現在の社殿に建て替えました。
これらの寺院・神社は今でも多くの人が訪れて参拝する信仰の重要な場所であると同時に、歴史や文化を今に伝える大切な場所でもあります。
綱村公は遠い未来の私たちのことも考えていたのかもしれません。

綱村公は、享保四年(1719)六月二十日に亡くなられました。
享年六十一歳でした。
大年寺に墓所があります。
(文:「肯山公三百年遠忌記念「お殿様のまちおこし」伊達綱村公と貞享特令」の冊子より)

 

ありがとうございます。

浄住寺の方丈の上の間には武者隠しがあります。
幼少の綱村公のお命も狙われていたのでしょう。
そんな綱村公だからこそ人の鬼神を深くお考えになられ学ばれ、神仏のご加護を大切になれたのでしょう。
江戸屋敷をご寄進いただいてから三百年、やっと墓前にお礼を述べることができました。
それも素敵な方々がご縁をつないでいただき、当代ご当主ともお会いさせていただき、菩提を祀る大年寺の武内住職からもお話を伺うことができました。

これも綱村公三百年遠忌のこの年、呼ばれていたのかもしれません。
偶然ではありません、必然です。
改めてこの二日間の教えを肝に銘じて必要とされていることを進めていきたいと思います。

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
ご縁とは本当に大切なもの、そして自分が感じる感性を大切に導かれる道を進むことが大切なのでは。と思いました。

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