1. HOME
  2. 和のすてき
  3. 和の徒然
  4. 「神楽」とは  オリンピックに神楽を

「神楽」とは  オリンピックに神楽を


(写真:岩上神社例大祭「太駄神楽舞」)

 

神楽をオリンピックの開会式で

こんにちは。

みなさま、今日は何の日かご存知ですか。
「ありがとうの日」だそうです。
三と九の語呂をあわせて、サンキュー。

庭のクリスマスローズがせいぞろいして咲いています。
白、うすみどり、あかむらさき、ピンク、清楚で繊細な顔。
「ありがとう」とはずかしそうに下を向いておじぎをしたまま。

古来より、日本人は八百万あらゆるものに感謝の気持ちを込めて「ありがとう」って。

さて、オリンピックの開会式に「この世界がいつも平和でありますように」と日本中の神楽が集まって子供達と一緒に神楽を舞いたいと進めている人たち(日本創生神楽連合会)がいらっしゃいます。
「ありがとう」が世界中にあふれるように。

是非ともみなさまの応援も宜しくお願いしますね。

今日はその神楽についてです。

 


(写真: 松前神楽合同公演会 龍宮神社 (小樽市)

 

神楽は原始的な祭から

神楽は今、神社の祭礼で行われていることがほとんどなので神道の芸能と思われがちですが、それは近代から現代にかけての姿といえます。
江戸時代に始まったことがはっきりと記録に残っている神楽もありますし、明治になってから始められた神楽もたくさんあります。

もっとも古い神楽を想像すると、おそらく縄文以来の自然信仰や祖先信仰、シャマニズムなどを元にした原初的な祭りがあって、その土地ごとの土着の神話があったところに中国から直接、あるいは朝鮮半島を経由して、また北方からも様々な宗教や祭祀文化が流入してきて、それらが複雑に融合してきたと思われます。
中世に大きな役割を果たしてきたのが修験者たちです。
修験者が所属する修験道は、この列島の山岳信仰や民間信仰、神道に、中国から来た陰陽道、道教、仏教、特に密教を取り入れて神楽を編纂してきたと考えられます。

 


(写真:大元神楽式年祭日記

 

神楽と修験道

中世の信仰の姿は両部神道などと呼ばれ、仏教と神道が混ざった神仏習合の姿が主流だったのですが、それは修験道の影響が大きかったのではないでしょうか。

ただ修験道の山中での厳しい修行の中に芸能は見られないので、おそらくは修験の組織の中でその理論を元に祭礼を担った修験者たちが、村落の自治組織の中の社家などと呼ばれる祭りを行う人たちと共に神楽や祭礼をつくってきたのではないでしょうか。
そこには古い猿楽も関係したことでしょう。
それだけでなく、修験者たちだけで村落を作っていたかもしれません。
都などではまた違った形がいろいろ存在していたと思いますが、修験者が伝えたと言われている神楽があまりにも多様なのは、その土地にもとからあった信仰や祭祀をアレンジして布教したからではないでしょうか。
また村落の社家が修験を学んで神楽を作ったこともあるでしょう。
落ち伸びてきた平家や南朝方の伝説を持つ神楽もあります。

 


(写真:江戸の里神楽

 

神楽と吉田神道

その後神道を優位とする吉田神道の唯一神道の思想が力をつけてきて全国の祭礼を掌握するようになりました。
近世には主に神職や社家が神楽を担うことにより、男性だけで行われる神楽が主流となりました。
それでも修験の要素をすべて消すことはできなかったようですし、全国の祭を管理することもなかったようで、現在も神仏混淆(こんこう)の神楽が生き残っているわけです。

そして江戸時代中期に勃興した国学によるナショナリズムの影響も受け、明治維新という近世から近代へと変わる最大の変革期が来ると、神仏分離が行われ、神職が神官となりました。
神官の芸能禁止令によって、神楽の多くは村人やかつての社家の筋の人達などによって担われるようになり、より神道的な解釈や様式を取り入れる神楽も出てきて今に伝わっています。

 


(写真:出雲神楽「ヤマタノオロチ退治」

ありがとうございます。

民間に伝わりいろいろと変化してきた神楽は、宮中の「御神楽」と区別するために「里神楽」と呼ばれます。
実際に里神楽を名乗る神楽はきわめて少なく、逆に民間にも「御神楽」「みかぐら」と呼ばれるものもあります。
実際には世界でも類を見ない多様性を持つ民俗芸能になっています。

仮に今、日本列島に三千の神楽が残っているとして、それを行うのに二十人ずつ必要としますと、それだけで六万人が携わっていることになります。
実際には二十人でできない神楽も多く、祭り全体に関わる人を含めると神楽人口はその何倍にもまるでしょう。
これだけ多くの人が関係していて多様な姿を見せている伝統芸能なのですから、神楽という存在が全体で「世界遺産」になってもおかしくないと思いますが、残念ながら日本を代表する芸能という認識は広まっていないのが現実です。

神楽が残っている地域の人たちにとっては自分たちの村、共同体の神楽が普通であって、多様な神楽の全体像を知る必要はないのかも。
だからある人にとっては神楽は神話の「ヤマタノオロチのスペクタクル劇」であり、ある人にとっては「獅子舞」であり、またある人にとっては「夜を徹しての村の祝祭」なのかもしれませんね。

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。
日本列島に残る里神楽、日本を代表する伝統芸能、このタイミングで一つに集まればいいですね。

 

参考
本:「新 神楽と出会う本」著:三上敏視さん
「神楽」とは  古来より畏敬と感謝を込めてきました
平国創生神楽とは  世を開き、国を整え、心をやわす
和の素敵な人たち 「あめつち&龍神楽所(りゅうじんがくそう)」

関連記事

最近の記事

アーカイブ