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「神社と神道の歴史」第1回 著:白山芳太郎

「神社と神道の歴史」第1回

 

各国々で、その国の文化を育てた要因として、一般に「風土」と「民族」があげられる。

まず「風土」すなわち、地理的条件と気象的条件の集合体であるが、日本人のように周りを海で囲まれた島国に住む者と、大陸で暮らす人とではものの考え方が異なる。
ユーラシア沿岸の島々で構成されるこの列島(Japanese archipelago
)は、幾多の造山活動期、氷河期を経て15万年前(洪積世)に原型ができた。
ユーラシアと地続きであり、日本海は湖であった。
アフリカで誕生し、定住を行わない人類は、ユーラシアから獲物を求めてシベリア経由(北回り)と東南アジア経由(南回り)でこの地に到着した。
日本各地で2
万年前~1万年前にかけての人骨が出ている。
港川人(2万年前)や三ケ日人、浜北人(1万年前)などである。
洪積世から沖積世までの間に、上記の湖が日本海となって、大陸から分離し、島国となる。
島国であるとともに、山がちであるため、地域が細かく分かれる。
そのようなところでは、どうしても孤立的な文化が起こりやすい。

そして気象的条件であるが、われわれのように温帯で暮らす者と、熱帯、もしくは寒帯で暮らす人びととでは、考え方が違ってくる。

 

次に「民族」があげられる。
日本人は、永く日本人だけの一人暮らしできた。
これはむしろマイノリティーである。
同時に、そのマイノリティーは、古くから、独特の神話を伝えた。
もちろん、アフリカからの移動途上で、アジア中央部やインド、あるいはインドシナなどで生まれた神話の記憶も、日本神話の中に混在するため、比較神話学上、類似の神話が各地にある。

日本神話でイザナギノミコトが黄泉(よみ)国(のくに)へ行ってしまったイザナミノミコトのもとを訪ねる神話と、ギリシア神話でのオルフェウスの神話が類似している。
これは、ギリシア神話が日本に伝わったのではなく、人類がユーラシアに到着しユーラシア中央部あたりで誕生した神話が、そこで左折した人類がギリシアへと運び、右折した人類とともに日本へと運んだためであって、中央アジアの木管の縦笛が西進して2枚リードのリード楽器(オーボエ)となり、東進して同じく2枚リードのリード楽器(篳篥(ひちりき))となり、中央アジアの横笛が西進してフルートとなり東進して竜笛(りゅうてき)となったように、古い記憶の中に中央アジアでの神話が残ったのである。

 

神話を登載した日本文学に『古事記』と『日本書紀』がある。
文学は、それを鑑賞する人びとの心の糧(かて)となるものであり、どの国の人も自分たちの国の文学を愛してきた。
イギリス人で言えば『ハムレット』であり、イタリア人で言えば『神曲』である。
ところが『古事記』や『日本書紀』は、日本文学として、それほど愛されていない。
これらの書を、特定の宗教を支援するとみて、小中高の教員が避けるからである。
また江戸時代には、漢学が最高の学であるとしていたため『古事記』のすぐ後に生まれる『日本書紀』と比較して、『古事記』は漢文の書き方が下手であることから、低くみられていた。
漢文、つまり一種の外国語訳が上手であることが、文学としての価値ではない。
そのような諸問題はあるが、いずれにしても、古代の史料はその絶対量が乏しい。
そこで、両者を読み比べながら考えていきたい。

両書は、全巻を通じて、いたるところで神と人とのまじわりを語っている。
原始の時代、この列島に住む人々は、政治をはじめ、裁判や戦争から日々の生活にいたるまで、すべて神の意をうけ、神の導きによって生活していた。
そのため『古事記』と『日本書紀』の話題の中心は、神々への信仰をもとに語り継がれてきた古伝承となった。
そのような神話で表現された神々を祀る場、それが神社である。
そのような神社と神社への信仰的営みがどのようにおこなわれたか、つまり「神社と神道の歴史」を、以下、考察してみたい。

 

『古事記』や『日本書紀』ならびに祭祀遺跡の考古学的研究をもとに考えると、 古代の自然と深い関係にあった日本人の生活の中で、 具体的に接した自然物や自然現象のうちで、人々の力を上回る威力、 呪力、神聖性を感じるものに対して、 それを 「神」 として敬った信仰がうかがわれる。
これは縄文期からのものなのであろうか、あるいは弥生期からのものなのであろうか。

列島の各地に、縄文式土器が出土する遺跡がある。
そこでは、縄文時代の「竪穴式住居」(地面を数十センチ掘り下げた面を床とする半地下構造の家)だけでなく、祭祀のための構造物とされる「大型掘立柱群」が出土している。
しかもその「大型掘立柱群」は、それぞれの遺跡の中核的存在として出土している。
この時代は、狩猟採集生活の時代であり、人類の歴史を100
万年とみると、そのうち「農耕」が始まるのは、諸説あるが、普通には、終末期旧石器時代のユーフラテス川流域(テル・アブ・フレイラ遺跡)における1万3000年前の「遺(い)丘(きゅう)」(「遺丘」とは、ある場所に繰り返し集落の形成・放棄・整地がくりかえされることによって丘になる)での麦栽培からとされている。
人類の歴史の99%は狩猟採集生活なのである。
しかも、狩猟採集生活時代は土器を必要としなかった。生(なま)で食べるか、焼いて食べるかだからである。

土器をもつ狩猟採集生活というのは、 世界では珍しい。
農耕というのは、いわば「必要は生みの母」であり、狩猟採集生活によって食材を採りつくした場所から始まる。
しかし、この列島の人びとは採りつくさなかった。
それほど自然が豊かだったのである。
また、その多くは、住居を放置し、しばらくの間、別の場所へ移動し、自然による復元力を待って、もとの場所に戻る。
しかも、食材をとりつくせないほど豊かなところでは「定住」した。
かつては、この1
万年の縄文時代は定住しない時代であると言われていた。
しかし後述の三内丸山(青森県)や真脇(石川県)では、定住する縄文時代だったのである。
つまり、弥生時代は定住、縄文時代は移動生活というかつての説は間違いだったのである。

 

第2回に続く

 

白山芳太郎 プロフィール

昭和25年2月生まれ。
文学博士。皇学館大学助教授、教授、四天王寺大学講師、国学院大学講師、東北大学講師、東北大学大学院講師などを経て、現在、皇学館大学名誉教授。

おもな著書に『北畠親房の研究』『日本哲学思想辞典』『日本思想史辞典』『日本思想史概説』『日本人のこころ』『日本神さま事典』『仏教と出会った日本』『王権と神祇』などがある。

 

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