二條さま古事記のお話し 第一話の1 の前のお話し
私どもの家の先祖は、「アメノコヤネノミコト」
こんにちは。
これから古事記のお話をさせていただく二條でございます。
何卒、宜しくお願いいたします。
まず、皆さんに古事記をお聞かせする前に、なぜ私が古事記をお話するのか、かな書を皆さんに書いて頂いたのか、そしてお香を利いて頂いたのかという事を、自己紹介がてら聞いて頂いて、その後に古事記の話をさせて下さい。
ありがとうを世界中に
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私は、そこから数えて127代目
私どもの家の先祖は、「アメノコヤネノミコト」と申します。
古事記の中に出てくる神様がございます。
(講座会場に祀られてるお宮を指さして)あそこにお宮がございます。
あのお宮は、春日造りといって春日大社を小さくしたような形の神棚になっております。
あの中には、アメノコヤネノミコト様が入っていらっしゃいます。
私は、そこから数えて127代目となります。
そもそもは、中臣という名字を名乗っておりました。
645年、大化の改新、私どもでは乙巳の変(おっきのへん)と申しますが、中大兄皇子と中臣鎌子、後の藤原鎌足が政変を起こしまして以来、私どもの一族は、天皇様のお家をお守りするために、月影にずっと政治や歴史に関わってまいりました。
平安時代の途中から、5つの家に分かれまして、私どもの家は、歴史を俯瞰(ふかん)(広い視野で物事を見たり考えたりすること)するという家で、近衞さんの家は軍事、九条さんの家は年中行事、というように、その家業を守りながらやってまいりました。
私の家は歴史を俯瞰する家、どちらかに偏ることなく歴史を刻んでいくというのを家業にしながら、合わせ、和歌を守り伝えるという風に言われて、ずっと和歌をやってまいりました。
和歌をやる中で、和歌に付随する遊び。
例えば、お香やお茶やお花なども合わせてさせて頂き、お香で私で16代を数えます。
そして、先ほど申し上げた通り、アメノミコト様という神様をおうたいして、ずっと我が家でその神様をお守りしてきております。
そういった意味で、古事記も我が家に伝わる古事記というのがございまして、このように古事記の話をさせて頂いております。
シャキシャキの江戸っ子
また、和歌とお香をする中では、どうしても「カナ」をやらなくてはなりません。
3歳の時から、祖父と祖母、曽祖父、それから曽祖母に、かなを教わってまいりました。
ですので、私はどこかの書道会に所属してきた訳ではなく、お家流という手のあり方で、カナを皆さんにお伝えするようにしてきました。
そのカナを今まで教えてきたというつもりはなかったのですが、皆さんが「二條のカナは、いい」と言って下さるものですから、一昨年、「青海光」という名前で書家デビューさせて頂き、また教室を設けてかなを教えさせて頂いております。
先程、私ども二條という家は歴史を俯瞰すると申しましたが、いつも体制側についているという家でございまして、例えば、源頼朝が鎌倉に幕府を開きますと、鎌倉幕府について、足利が室町に幕府を開いたら室町幕府につき、織田信長が天下布武を唱えたら、織田信長に領寺を与え宮中へ入れ、また、豊臣秀吉公が太閤になるための力添えをしたり、徳川家康が江戸に幕府を開く時には、徳川について尽力するというような形で、歴史を変えるトピックに関わってまいりました。
残念ながら、明治の御一新の時には徳川方についていたものですから、明治様と一緒に東京に上る事が出来ず、翌年の明治2年に明治天皇が、「そろそろ、東京へおいでよ」と言われて、他のお家に遅れること一年、東京に行ったということでごさいます。
東京に行ってから私で5代目でございますから、もう京都の片鱗もございません。
シャキシャキの江戸っ子でございます。
私には後継ぎはおりません
そういう歴史を俯瞰する中で、私どもの家には、様々な書物を私どもの読み方で読むという方法をとってまいりました。
それはどういうやり方かというと、祖父や祖母、曽祖父や曽祖母が、私が寝る時に、寝物語で古事記や日本書紀、源氏物語、伊勢物語を読み聞かせ、もしくは話してくれたものです。
ですので、私がここでお話しするお話は、学者が研究してお話するような古事記ではなく、そういった年寄り達が私に聞かせてくれた、言ってみれば、子供の戯言のような話でございます。
ですが、その中に、我が家として憶えていかなくてはならない古事記の読み方みたいなものが伝わっているということになります。
残念ながら私には後継ぎはおりませんので、このまま行きますと、寝物語で聞いたこの話が、私が棺桶に入って終わりという事になってしまい、折角1600年、話し伝えたものがなくなってしまうのも勿体無いと、ある時、色々な所で古事記を話し始めたら、人気者になってしまい、あちこちで古事記を話すようになりました。
本当は香道の家元なのですが、古事記を語れる人という風になってしまいました。
古事記というのは、本を買って来てめくりますと、漢字の羅列でございます。
実は、あまり読み方が本当はわかっていないものなのです。
その当時、どうやって読まれていたのか、どういう風に読まれていて、それを漢字にしたのかわかっていないのです。
例えばですが、古事記の中によく出てくる文字でございますけれども、「天」。
何と読みますか?
「てん」もしくは、「あめの」。
これを、「あめの」という風に読み始めたのは、多分なのですが、江戸時代ぐらいなのです。
本当は、奈良時代にこれを「あめの」と読んだかどうか、わからないのです。
ただ、確かなことがあるのは、口伝えで古事記を伝えている人達がいるのです。
書物に残すよりも、「口伝」といい、口で伝えることが実は一番的確にものが伝わるのです。
800年生きている尼さん
私が家を継ぐ時なのですが、ある時、父親が、「高野山の金剛峯寺に行ってこい。」と言いまして、金剛峯寺まで行きました。
すると、高野山の金剛峯寺の当時の貫主(かんす)の方が、「あ、よう来たな、ぼん。もう用意してある。」と言うのです。
そして、金剛峯寺の奥の方にもう一つあるお部屋に連れていかれ、そこに一人のお婆さんがいらっしゃいました。
そのお婆さん、実は800年生きているのです。
金剛峯寺には、800年もの歴史を語る尼さんがいるのです。
実は、2千数百年生きてる人がいます。
釈迦という人です。
釈迦は、不老不死を求めて修行し始めた人で、超人になるために残したお経が法華経です。
それを実践して本当になったら、「解脱」といって、人間の世界から別の方へ行けるというものです。
現に、皆様お釈様の教えを守って手を合わせて仏様に拝まれます。
「教え」という形で今も生きているのです。
歴史もそうなのです。
書かれたものではなく、尼さんが、ずっと口伝えで次の尼さんに言って、また次の尼さんに言って…という風に行くので、その尼さんの事を「八百比丘尼(やおびくに)」というのです。
ですから、800年生きている様なことになる訳です。
実は八百比丘尼はまだいるのです。
その尼さんに会わせて頂いたという事です。
ありがとうございます
普通は金剛峯寺に行って、「八百比丘山に会わせて下さい」と言っても会わせてはくれないですが、私が行くというので来て下さったそうなのです。
そして、ちゃんとうち(二條家)の家の歴史を話して下さったのですが、その尼さんの凄いところは、どなたのうちと言ったら、そのうちの歴史をちゃんと話せてしまうのです。
私は一週間かけて聞いてしまいました。
もちろん、私はそんなに頭のいいものではございませんので、所々忘れてしまうのですが、おそらくその時に何か変わったお香を聞かせられたようで、クラクラしながら聞いていたのです。
それは、その時代、その時代に生きてきたような感じがするような、歴史の話でございました。
というように、古事記は実は、口伝で話されてきた日本の歴史がそこに書かれているのです。
残念ながら、大東亜戦争以降、小学校教育や、言ってみれば、学校教育で古事記をやることがタブーになってしまいました。
やってはいけないとは一言も書いてはいないです。
教育基本法に、古事記、日本書紀は教えてはいけないなどは一言も書いてはいないのだけれども、日本ではどういう訳か知りませんが、古事記や日本書紀を「文学」とするようにして、今や学校教育でも、歴史の教科書では、奈良時代の文化遺跡の中で古事記と日本書紀が成立した、という様なお話になっているの
ではないでしょうか。
「書かれていることが口頭無形だから」と言うのです。
しかし、読み方が違うのです。
古事記はヒエラルキーによって読み方が違います。
天皇家は天皇家、皇族には皇族、近衞さんには近衞さん、九条さんには九条さん、一条さんには一条さん。
その読み方で読んでいくと、古事記はちゃんと読めるのです。
ということで、我が家に伝わった古事記があるという事なのです。
ただ、私は歴代のうちの家の人間と違い、ネジがちょっと違うところに入っているのか、なかなか納得出来ませんでした。
口頭無形なのですから。
八岐大蛇などいるはずないですもの。
青大将はいるかもしれないけど、八岐大蛇がいると思いますか。
いないですよ。
ですから、「それはいないだろう。」などとぶつけていくのですが、うちの祖父と曽祖父は、学者だったのです。
ですから、ものすごく科学的に話してくれるのです。
納得せざるを得ないのです。
そういう話も皆さんにお聞かせしながら、古事記の話を進めていきたいと思います。
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.
#ありがとうを世界中に
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