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二條さま古事記のお話しの2 第一話の1

神棚

今までは、古事記の中に出てくる神様というのが、我々自身、我々の人の心にどういう風にして「在りよう」としてあったのかというお話をさせて頂いていました。
これからの6回シリーズでは、古事記と神様と、そして「お祀り」というのはどういう風に繋がってるのか、という事をお話しようという事になりました。
簡単なご挙手で結構でございます。
ご自宅に神棚をお持ちの方、手をお挙げ下さいませ。
ご自宅にご自身の神棚があられる方。
「自仏堂」というのと同じように、「自神棚」がある方。
自分だけの神棚がある、ご自宅に神棚のあられる方、半分ぐらいおいででございました。
これは大抵の場合、ご家族でお家に一箇所、例えば玄関を見るその上の方にあったりとか、皆さんが集まる居間に置いてあったりとか、また、本間の仏間の角に置いて頂くとか、色んな方々が沢山集まる所に置いていらっしゃる方々、様々だと思います。
今回のこのシリーズでは、
「自分の神棚を考えよう」という事になります。
最後になると、自分の神棚を作るところまで皆さんをお連れしようと思っています。
それも古事記の話で。

ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

 

 

古事記と日本書紀

古事記という書物を読んでいくと、神棚の在りようがわかるという事なのです。
この神棚の在りようがわかれば、自分がどういう神様と接しているのか、自分はどういう神様とお付き合いしていくのか、また、感謝していくのかという事が、自ずと自ら導いて来れるという風になるように、一生懸命話しますので聞いて頂きたいと思います。
まず、この「神棚をつくる」という、そして、古事記を読んでいくという事。
今日初めての方もいらっしゃいますから、古事記というお話がどういうお話かと言いますと、持統天皇の頃といいますから、中大兄皇子、藤原鎌子が、大化の改新というのをやられた後に作られた書物でございます。
その頃に作られた書物が2つございます。
「古事記」ともう1つ、「日本書紀」という歴史書が両方とも作られる訳ですが、古事記の方は、どちらかというと日本人向けに。
それは何故かというと、書かれている言葉が日本語なのです。
日本書紀は、多くは漢文で書かれていると思って下さい。
ですが当時、既に多様性がしっかりしておりまして、全部は漢字で書かれているのです。
古事記も漢字で書かれてるのですけれども、日本語読みをする。
漢字を使ったので、当時はまだまだそこまで、今で言うところの同時通訳が出来る程の中国語の達者な人が日本にいなかったのです。
ですので、沢山の唐や隋の人が日本の中枢に入って来られて、そしてその制作・成立に関与したという事がわかっています。

 

 

文章というのは、人の傷跡をつけていくのです

なぜそういう風に分かっているかというと、古事記も日本書紀も、読むと・・・。
文章というのは、人の傷跡をつけていくのです。
その人個人の傷跡をつけていくのです。
手紙もそうなのですけれど、例えば、私はたまに大谷先生にお手紙を差し上げる。
そうすると、大谷先生はぱっと見ただけで、「あ、私の手紙だ。」とすぐわかる。
という風に、文章にはその人の傷がちゃんと入っていくのです。
性格みたいなもの、「てにおは」の使い方だとか、そういったもので、ちゃんとその人らしさが出ていくのです。
古事記も日本書紀も、約25人ぐらいの人間によって書かれているのだという事はわかっています。
そのうちの3分の2が、すごく中国語が堪能な人、言ってみれば当時の随や唐の言葉が堪能な人。
中でも7~8人、もう絶対に中国の人、唐の人、随の人とわかるような文体になっている訳です。
ですから、そういう人達に教えを乞いながら文章を作ってきて、『日本の歴史を、日本人向けと、外国人向けに作った』というものが、「古事記」と「日本書紀」なのです。
成立は、古事記の方はあっという間に出来ました。
なのですが、日本書紀は25年ぐらいかかるのです。

 

 

「昭和天皇期」

「昭和天皇期」というものがあります。
昭和天皇が生まれてから亡くなるまでの記録を宮内庁がつけているのですが、昭和天皇が亡くなられて、もう今35年になります。
35年経ってやっと、天皇1代の天皇記の大まかが出来たと言われています。
最も、昭和天皇は、生まれてから死ぬまで毎日が歴史ですので、天皇様の事績は毎日残っています。
昭和天皇が何をなさったか。
例えば大東和戦争の時にどうなさっていたのか。
湯河原に行って疎開されている時にエレベーターに乗られて、そのエレベーターが故障した。
どうなったかというと、紐が切れてしまったのです。
エレベーターに乗られていた時には大河内家が守っていたのだけど、大河内家の人が即座に丸くなられて、陛下を大河内様がお抱きになって、そのままドン。
今のエレベーターみたいに何十階から上がるのではなくて、せいぜい、ここからその下ぐらいのものだから、怪我人も少なく、陛下は少しも怪我をなさらなかった。
大河内家は、ガーッとすぐに円陣になったのだそうです。
そうなる事になったら困ると思って練習していたんだそうです。
以前そういう事件があったと。
だから万が一切れた時、こうなるよと。
すぐに「切れた!」と。
エレベーターなんて、切れたらすぐ落下しますから。
ガーっと三重の円陣を組んで、一番中心の人は前を向いて、その次は外を向いて、最後は前を向いて、こういう風に持って、で大河内様がこう持ち上げて、全員でこう抱く。
そういう歴史までちゃんと残っている訳です。
「何月何日、昭和様がエレベーターで落ちた。」というように。

 

 

アメノミナカヌシは、みんなになった

ですから、歴史というのは、後になればなる程、編纂するのが大変なのです。
そういった意味では、古事記・日本書紀というのは、神様の時代から持統天皇までの時代、
約25代の事で、文字もないですから、そんなには歴史が残っていない。
なのだけど、それでも日本書紀は25年かかった。
古事記は大体5年ぐらいで、太安万侶(オオノヤスマロ)・稗田阿礼(ヒエダノアレ)というお二人が口実し、そして句章を書いて、訳者の人達がそれを写して文章にしているというものです。
最初が神代。
その後が人代ということで、神様の神話の話と、それから神武天皇様から神武、綏靖、安寧、懿徳、孝昭、孝安、孝霊、孝元、開化、崇神までの天皇様、その後の天皇様25代。
という事で3部になって、上・中・下巻になって出来ているというものが、古事記のありようです。
そのありようなのですが、ヒエラルキーによって、読み方がちゃんと変われるように編纂されています。
ヒエラルキーというのは、あの当時、今もそうですけれども、割り方ちゃんとした身分が決まっており、このヒエラルキーによってどのようにして読むか、また、「こういう風に読んで下さい」という風に、ヒエラルキーによって読み方がちゃんと変われるように編纂されています。
神様の話なんていうのは、我々凡俗が古事記をぱっと読むと、一番最初から読むと、それは神話なのです。
口頭無形です。
例えば一番最初、まず、「アメノミナカヌシ」という神様がぼっと出てすぐいなくなられた。
これだけ読むと、「アメノミナカヌシ」という神様は、ポーン、と「ミナカヌシでーす」と言ったらいなくなったという風に読めてしまいます。
大体凡俗がそういう風に、「あ、そういう神さんがいたな。」という、聖書で言うところの、まず「光あれ」と言ってから隠れてしまった。
そういう風に考えればいいのだけれど、我々凡俗だとそういう風に読む。
ところが、ぽっといなくなった。
「いなくなった」というのは、「見えなくなった」。
「見えなくなった」というのは、どういう事かと言うと、「みんなになった」という事なのです。
そういうことではないですか?
森や林という所で木を見ようと思った時に、1本の木を見ていて、パっと後ろに行ったら全部が木だった。という事で、「いなくなった」のではなくて、「見えなくなった」と読む。

 

 

「言霊」ではなく「音霊」

そうやって古事記を読みなさい、という一族があります。
「アメノミナカヌシ」というお名前から、こういう風な言葉には意味があるよね、と。
「アメノミナカヌシ」の「あ」という音、「アメノミナカヌシ」の「め」という音、「み」という音、「ぬ」という音。
日本語は実は「言霊」ではなく「音霊」なのです。
さとこさん。
はい、今、返事しちゃいましたね。
あの人は「さ」「と」「こ」という音に縛られているのです。
これは漢字で、ここで、でも返事はしません。
今、「さとこ」って私、書きました。
だから、言霊ではなく、音で、「さ」と「と」と「こ」という音で縛られてるという事なのです。
要はそれに意味があるのです。
先程、かなをやって頂いて、最初、漢字をやって頂きました。
この事を、『まな』という風に言います。『まな』です。
漢字の事を『まな』というのです。
で、ひらがなの事を『かな』といいます。
『まな』とは、「真実の名前」、
『かな』は「仮の名前」
という事になるのですけれど、この『まな』という音なのですが、『ま』というのは「真っ赤」という意味です。
『な』というのは「実」という意味です。
『ま』というのは「真っ赤」。
『な』というのは「実」。
だから、『まな』とつけると、「りんごのような実」という事なのです。
そうすると、お子さんの名前で『まなちゃん』という名前をつけたら、ちゃんとそういう子になっていくのです。
りんごのような可愛らしい、ちょっと甘酸っぱい子になっていく。
その音が一生を決めていくからです。
という風に、日本語とは「音霊」なわけです。

 

 

日本語の因数分解

どうでしょう?あなた方が、例えば神社に来ました。
祝詞をよまれます。
何を言っているかわからない。
わからないんだけれど、神主さんの音だけで涙を流す人もいる、意味なんかわからなくたって。
これは日本語の音霊が我々の心に影響していると思ったらいいです。
スピリチュアルな事は一切言いません。
でも音には意味があるのです。
例えば、『つ』。
『つ』というのは、「エッジ」の事を言います。
だから『つ』の言葉をつけたものというのは、必ずエッジがある。
『対馬』。
あそこは日本のエッジです。
『鶴』。
尖っています。
という風に、音には全て意味があるのです。
これを私は、「日本語の因数分解」と言っています。
『桜』という言葉があります。
『さ』は、「魂」という意味、
『く』というのは、「永遠」という意味。
『ら』というのは、「大きい」という意味。
『さ』というのは、「神様の魂」。
『くら』というのは、「永遠で大きい神様が存在している」という意味。
『さくら』というと、「そこには大きな魂が宿っている」という意味なのです。
だから、あそこに行くとちょっと怖い時がある。綺麗だけど、ちょっと怪しい時がある。
「あそこには変な魂がいるんだよ」と思うわけです。
日本語は因数分解していくと、そういう風になっていくのです。
古事記も、実は因数分解出来るのです。
因数分解する事によって、例えば、天皇様は天皇様の読み方を、二條には二條の読み方を、九条には九条の読み方を、近衛には近衛の読み方を、藤原家に
は藤原家の読み方を、菅原家には菅原家の読み方をさせるように出来ています。
そのような事で、今回やる「古事記と祭祀」というのは、古事記を読んでいると、お祀りがわかって、お祀りがわかったら、自分の神棚を持つ事が出来る、という事になります。

 

 

自分の神棚がつくれます

「今まで家族がずっとここに神棚を置いてくれていたから、神棚にしておく」とか、「家を建てたから、とりあえず神棚でも作っておくか」と神棚を用意する。
これも日本人がやっている事ですから、必ず理に適っているんだけれど、その理を今日、今回からやろうという、こういうお話です。
6回まとめて全部来て下さると、自分の神棚がつくれます。
そして、自分でお祀りが出来る。
自分でお祀り、と言うと因数分解として少ないですね。
助詞の使い方で、「を」と「で」では全然違いますが、「自分で自分のお祀りをする事が出来る」。
例えば旅行に行って、お友達からお守りを貰った、もしくは御札を貰った。
困りますよね、どうしたらいいんだろう。
お祀りしてやればいいのです。
封じてやればいいんです。
封じるという言い方で、平安時代だと、「奉じて」やればいい。
「奉ずる」という。
同じ『ほう』という音だったら、こういう字もあります。
奉じてやればいいのです。
例えば、御札を貰ったが家族には何にも関係ないから家族の神棚に置いておく訳にはいかない。
結果的に言うと、自分の本棚の上にポコンと置いてしまう、というのが関の山。
もしくはスーベニアだから、はっきり申し上げますけれど、御札にも、お守りにも、そこに神様はいません。
スーベニアです、あれは。
神社で買ってくる御札はスーベニア、「お土産」です。
神様は目の前にいない。
横におわす。
従って、名前が書いてあるだけだから、「あそこに行った」という「印」なんです。
伊勢神宮の伊勢神宮と書いてある、そうですね、この辺でしたら、うちの神様の春日大社に行ったら春日大社と書いてある御札を貰って来る。
それはありがたがるのではなくて、あれは「お土産」です。
「春日大社に行って来たんだ~。」というもの。
ただし、貰った側は、わざわざ春日様まで行って千円を収めて私のために買って来て下さったんだと、そこに意味合いが出来てしまうのです。
ですので、これをないがしろにする訳にはいかない、すぐさまゴミ箱に捨てられる方いらっしゃいますか?
私ですらちょっと無理です。
ではどうするかと言うと、
神棚があれば、ちょっと置いておく事が可能なんですよね。
で、ある時どこかのタイミングで、
「そうそう、これ、去年のこの日に戴いた物なんだけど、そろそろ有効期限があるからちょっと断捨離したい。」
持って来なさい。
私が燃やしてあげますから。うちは御焚き上げを年に2回やっていますから。
そこで、どーんと燃やして差し上げます。
でも、それまでどうやって奉ずるか、この奉じ方をこの6回にかけてやろうという事な訳です。
勿論、1回ずつでも勉強出来ます。

ありがとうございます。

 

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld

 

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