紫式部と葉室のご先祖さま
来年は紫式部
皆さま、こんにちは。
今年も残すところあと僅か。
皆さまにとってすてきな一年でしたでしょうか。
私はとてもすてきな一年でした。
このありがたい毎日を来年も続けたいと思っています。
そんな私にとって何よりも来年の話題は「紫式部」なのです。
どうしてかというと。
1963年から始まっているNHKの大河ドラマ、来年、2024年、63作目は「光る君へ」。
1000年の時を超えて読み継がれている「源氏物語」の作者、紫式部のお話し。
この紫式部は葉室のご先祖さまの奥さまなのです。
知ってましたか。
知るわけもないですよね。
なので少しだけ皆さまにお話を。
(上の写真は紫式部のwikipediaより)
ありがとうを世界中に
Arigato all over the World
紫式部の旦那さま「藤原宣孝(のぶたか)」
紫式部のことはネットで検索したらたくさん出てくるので改めて書きませんが少しだけ。
紫式部の本名は「香子」(かおりこ/こうし/たかこ)だったとする説があります。
(平安時代の女御の名前はわかっていないことが多いのですね)
藤原為時(藤原北家良門流、中納言)の娘で初めは藤式部とよばれてました。
のちに源氏物語の主人公「紫の上」にちなんで紫式部と呼ばれるようになります。
その紫式部は晩婚。
29歳のころに藤原宣孝と結婚したと言われています。
そして、藤原宣孝は50代前とか。
紫式部と結婚した時の宣孝はすでに多くの妻がおり、子供もたくさんいたようです。
しかもその子供たちの中には20代の子たちもいたとか。
やるなご先祖さま(笑)
そうなんです。
紫式部の旦那さま藤原宣孝は私のご先祖さま。
今日のお話は藤原宣孝なのです。
藤原宣孝と葉室家
葉室家は藤原高藤の後裔で、参議藤原為房の二男・顕隆を家祖とします。
家名は3代光頼が洛西の葉室(今の浄住寺のあるところですね)に営んだ別業(別荘)に因みます。
この為房さんの三代前が宣孝さんなんです。
わかりますか。
我が家に残る家系図では宣孝さんには子供が6人。
その最後の子が紫式部との子、賢子ですね。
藤原宣孝はどんな人だったのでしょうね。
清少納言の随筆「枕草子」に「紫式部の夫って、あのイマイチな男でしょ」というイメージを後世に残した有名な歌があります。
それは、当時、金峰山(きんぷせん)にお詣りに行くときは、どんなに身分が高い人でも地味な服装で詣でるものとされていたのですが、
宣孝は「そんな地味な格好はやめよう。蔵王権現さまに見ていただくには素晴らしい装束で参ろう」と、それはそれは派手な装束で参ったそうです。
きっと周囲の目を気にしたりせず、こうでなきゃいけないなんてどうしてだ!と豪傑で陽気な人だったのでしょうね。大好き(笑)
また、「紫式部と藤綿宣孝」と題して上野辰義さんが論文を書かれているので宜しければ読んでみてください。
ありがとうございます
ありがたいことに我が家には「葉室家略年譜」なるものがありご先祖さまを知ることができます。
今の時代、ネットから紫式部はもちろん、藤原宣孝についていくらでも情報が出てきます。
そんな今という時代だからこそアナログも大切にしたいと思ってます。
いや、私がいい年なのでどんどん進んでいくデジタルについていけないからアナログを大切にしていくのですね。
日本には世界に誇れるすてきな自然、場所、物、事、遊、心がたくさんあります。
まだまだ私も知らないことがたくさん。
来年はそんな日本のすてきをたくさん知りたいと思っています。
そんな時にご縁をいただけたすてきな人たちと日本を紹介できたら、残していけたら、そして楽しみたいと思っています。
これからも宜しくお願いしますね。
いっぱいありがとうございます。
この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.
#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld