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高千穂神社 後藤宮司のお話し4

学びはつきません

こんにちは。
11月2日は、高千穂神社の後藤宮司に何から何までお世話になりました。
そしてすてきなお話しをたくさんいただきました。
最後になりますが、下記のすてきなお話から一緒に学びましょう。
後藤宮司さま、奥さま、ありがとうございました。
高千穂神社 後藤宮司のお話し
高千穂神社 後藤宮司のお話し2
高千穂神社 後藤宮司のお話し3

ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

 

 

日本人は質素

<後藤宮司>
昔インドから偉い方がお見えになる時に、確か、全員女性は着物でおもてなしをしましょうという、実際に行われたかどうかはわかりませんけれど、そういうものがあった事があるようですね。
着物は日本人に似合うように出来ているから良いと思いますね。
江戸時代の終わりに、アメリカのペリーが外交官としてやって来ましたよね。
外交官には必ず書記官がついて色々な事を随行しているんでしょうけど、初めて江戸城で将軍と直接に会う機会があったのだそうです。
ペリーは、天下の将軍ですから、どんな煌びやかな御殿に住んでいるんだろうと、金銀をふんだんに使ったベルサイユ宮殿のような所の印象を持って行ったところ、広いだけで何の飾りもない簡素な所で、将軍がお出ましになって座った所は、ちょっと一段高い所なのですが、火桶も何もない。
けれど自分達の所には火鉢がいくつも置いてあって暖かくしてある。
将軍が謁見する場が、非常に質素であったと。
その時に侍達や役人が色々な用事で廊下ですれ違ったり、部屋に入ったりする、その立ち振る舞いが美しい。
それは、アメリカ人が見てもとても洗練されていたと。
書記官がアメリカに帰って、自叙伝といいますか、その時の模様を記録しているのですね。
その時に、果たしてこの国が欧米諸国の様になって幸せなのだろうかと思ったというのですね。
自分達は「開国しろ。」と言って来ているけれども、本当にこの国民が欧米諸国の様になって幸せなのだろうかと。
渡辺京二さんという著者の「逝きし世の面影」という本があるのですが、それを読みますと、幕末から明治にかけて日本を訪れ、そして帰国してから日本での色んな思い出を自叙伝や旅行記の中に残した人達が結構沢山いると書かれていますね。
それによると、「侍の服装は大体似た様なものだと、殆ど同じようなものを着ているのだけれど、よく見るとなかなか取り合わせがいい」と。
遠くから見るとみんな同じに見えるのだけれど、結構近くから見るとちょっとした所にお洒落な個性があるのだと。
それから、「身分が違うのに、言葉使いとかは違うし、確かに庶民の方が頭は低いのだけれど、ほぼ対等にお話をしている」と。
だから、日本という国は、徳川を中心とした専制君主の国と聞いて来たけれど、全然そんなものはない、ヨーロッパよりよほど民主的だという事を書いていますね。

 

 

日本人はすてき

<葉室>
戦国時代とかでも、武将達が戦いをしても、勝った方は負けた方の上の方の首を斬る事はあったとしても、全部を滅ぼす事はしませんでしょう。
欧米諸国は国ごと全部潰して新しい自分達の国というもの作りをしてきましたね。

<後藤宮司>
奴隷にしますからね。
日本には奴隷制度というものはなかったですからね。

<葉室>
絶対ありえませんよね。

<後藤宮司>
敵ながらあっぱれという言葉がありますけども、日露戦争の乃木将軍とロシアのステッセル将軍の会見でもそうですよね。
対等に礼儀をもって乃木将軍は処遇されたそうですね。
外国の新聞記者達の間で話題になったそうです。
敵将に勲章の佩用と剣の帯刀を許して、普通は負けたに方は降伏の印として全部差し出させます。
それをそのままで、同じような目線で相手を讃えてたんのすね。

<葉室>
明治時期からなのか戦後なのか、日本人が大きく変えられてきてしまって、今に至っています。
先程のお話になりますけど、これからという子供達に日本の素敵な文化を残し伝える、とても難しい事だと思います。
例えば、お辞儀一つをする事も、手を合わせる事も少ないじゃないですか。
でも、やはりお辞儀や手を合わせることは、すごく大切なことだと思います。
今日は、たまたまご神殿で結婚式がありまして、新郎新婦さんのお二人を見せて頂いきました。
その際、こちらの巫女様が御神楽を舞わられて、もの凄く綺麗なお辞儀をされていたのですよ。
お一人での舞も素敵でしたし、お辞儀がまた素晴らしいお辞儀で、「ああ、さすがだな。」と思って見ていました。
ああいうお辞儀が出来る人達は少なくなっていますから、大切なことだなと、やはり神社には学ぶ事がいっぱいあるのだなと改めて思いました。

 

 

神社は歴史の冷蔵庫

<後藤宮司>
そうですか。
梅原猛さんがお元気な頃、3回くらいお見えになったのですね。
あの方が、何かに書いておられたし、私も直接聞いたような気がするのですけど、「神社は歴史の冷蔵庫だ。」と仰っていましたね。
神社の行事とか、文化人類学的に興味のある事が沢山あられたのだと思うのです。

<葉室>
ある意味、だから知らない事だらけじゃないですか。
変な言い方かもしれないですけど、最近、御朱印を戴く事を集める子が増えたじゃないですか。
神社へ行ってお参りをし御朱印を戴く。
でも、御祭神を知らないという方が沢山いらっしゃるとか。
多分、多くの人は御祭神も知らずに神社にお参りされる方もいらっしゃるでしょうね。

<後藤宮司>
多分それは、一神教の世界とか、そういうところから見ると、ちょっとあまりにも伬しいというか、おかしい事だと思うのですね。
いわゆる聖書に書かれたように、神が宇宙の全てを作ったという、神は宇宙からも超越した絶対的なものであるという国にとっては、神の名前というものは必要なんだろうと思うのです。
宇宙はあくまでも宇宙なのです。
でも日本は、広大な大宇宙の中から自然に中心になる神が現れて、そして右と左といいますか、「タカミムスビ」「カミムスビ」に、ものを結ぶ神が生まれて融合と言っていま。
そういう交わりの中から、ドロドロとした海とか色んなものが生まれてきた。
それは説明のしようのない不思議な事だから、みな隠れ身の神、目には見えない神なのですね。
そこに段々形というものが意識されるようになって、「イザナギ」と「イザナミ」という男性的な器量の神と、女性的な器量をもった神が現れる。
それまでは色んなものが結ばれて、色々なものが出来ていたのだけれど、「それを一つの言葉として国を生みなさい」という神の命令を受けて二人が交わった。
そうすると島が生まれ、淡路島をはじめ、九州とか四国とか島がどんどん生まれ、やがて山とか海とか動物とか草花が生まれました。
人間もそこから生まれて来たと。
そういう成り立ちを考えると、私達は一個人であるけど、宇宙の中の一つの生命なんですね。
宇宙の中の動物も草花も、山も川も、みんな宇宙の中の一つの構成をする宇宙の中から派生し生まれて来たものであると。
その、目に見えないけれども、そういう不思議な作用をするその中から、非常にあっと驚くというか、崇高なものがある。
例えば、素晴らしい山であるとか、美しい風景であるとか、見事な野生の馬であるとかですね。
そういうものを、尋常ならざるものを神と呼ぶようになったわけです。
だから、一つ一つの社の神様の名前は知る必要はなくて、「ああ、神様がいらっしゃるんだ」と。
ただ、「ここはこういう神様らしい」とかですね、そういうことで済んでいるので、日本人にとっては、森羅万象、神の命に溢れて、我が身もまたその中の、有難い事にこの世に人として生まれて来たんだという気持ちがある。
だから、決して日本人が宗教心がいい加減だという意味ではなくて、日本人の考える神というのは、外国の神様のように命令したり指示したり、これをやっちゃいかんとか、神は敬えとか、そういう人々を支配する神ではなくて、いわゆるこの天地自然の中の暑い夏が過ぎたらやがて秋がやって来て、そういう自然の中にある神の働きというものがあって、その神の力で色んな現象、秋の風景が生まれ、それがまた冬の風景となるのですね。
そういうものが、日本人にとっては神というものですから、必ずしも何々の神とかいうものを知らなくてもいいのです。
だから、西行が伊勢神宮にお参りした時の、「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」というのは有名な歌ですよね。
「どなた様がお祭りされていらっしゃるかは知らないけれど、ここに来ると、ただありがたい気持ちで涙がこぼれてくる」と。
西行だって、天照大神様が御祭神だという事は知ってるわけですよね、彼は教養のある人ですから。
でも、そんな小さなものじゃないのだと。
何事のことかは知らないけど、なんと有難い場所なんだろうかという歌ですよね。

<葉室>
そうですね。
そういうことですね。

 

 

山にも神様が

<後藤宮司>
高千穂から延岡に行って大分に行く道があるのですが、そこに以前、山岳信仰じゃないですけど、宗教家がある山を御神体として、ある宗派を作られましてね。
そこの息子さんが大学時代の同級生だったのです。
この辺りの人も何人か、そこの山に登ったりお参りに行ったりしておられたのですけど、私は行った事はないのです。
ところが、何度かその方面へ高速道路を使って行く用事がありましてね。
佐伯市という所にあるのですけど、車を運転していると、なにか神々しい、ちょっと普通の山ではない山があるのです。
「ひょっとしたらあれじゃないかな」と思ったらやっぱりそうでした。
誰でも同じ事を感じるのですね。
「ちょっとあの山は違うな」と。
「神様がいるんじゃない」とか、大体そういう所に日本各地、国土面積の80%近くが山ですから、まず山が目につく。
一際その中でも、「あの山ちょっと違うね」っていう所を、「神様がいらっしゃるんだ」ということで、それが富士浅間神社とか、白山神社であるとか、三輪山であるとか、山を御神体とするようになって来たのだろうと思うのです。
いにしえの人は、まだ仏教とかキリスト教とかを全く知らない。
世界中に宗教も発生していない時代、人が死んだらどうなるのだろうかといったら、「やがて魂が離れていって、ふるさとを見下ろす高い山の、普段は雲や霧がかかっているその辺りに魂は移っていって、そして、そこから自分のふるさとを見下ろして見守ってくれるんだ」と。
それを柳田國男先生の民俗学では、『山中他界』「山の中に他の世界がある」と。
他界というのは何かというと、他界したという言葉があるように、死者の世界があるということなのですね。
だから、自分の肉親が亡くなると、もちろん宗教がない時代ですから、お坊さんもお寺もない時代は、皆、山に向かってお参りすることが先祖をお参りすることであったのですね。
万葉集にも、皇位継承争いで殺されてしまう大津皇子という方がいらっしゃいます。
大津皇子が亡くなった時に、大津皇子のお姉様が二上山に埋葬された弟を偲んで「うつそみの人にある我や明日よりは二上山を弟世(いろせ)と我が見む」という歌を詠んだのですね。
「もう弟は死んでしまった。現実に生きている自分は、明日からは二上山を弟と思って拝みましょう。」という歌です。
だから、万葉集時代には、死者の魂はその方の身近な所の神聖な山にまだ生きてくれているのだろうという気持ちがあったから、そういうものが和歌に残っているのだろうと思うのです。
ただ現実問題として、山というのは何かといったら、縄文時代の人にとっては、動物がいる、木の実がなる、食糧の宝庫なんですよね。
縄文時代の日本の人口は、20万~30万人くらいと言われていますから、日本列島山だらけですから、食べ物は結構あったし、東北で今問題になっている熊のように木の実をいっぱい拾って蓄えておけば、冬はそれで過ごせる。
春が来れば、山にも野にも食べられる草はいっぱいありますからね。
食べられていたわけですよ。
つまり、山というのは、死者の魂が移る所であり、同時にそこは沢山の食べ物を供給してくれる所でもある。
しかもそこからは綺麗な水が湧いて、ふるさとを潤してくれるわけですね。

 

 

すべてに神様が

川というのは、山があるから流れて来るわけですから、美しく水が浄化されているのですね。
だから、昔の人達は、山とか川を、父なる山、母なる川として大事にしたわけです。
川の水源地には水神様を祀って、春には沢山の水を使うようになりますから、皆でお参りする。
そして、村の人が皆で共通に使う水ですから、その用水路にあたる所の壊れた所を直したり皆で手入れをする。
それは命を育む、あるいは後には稲や作物を育てる水ですから、これは皆が大事にしなくちゃいけないのです。
ここに、山の神様、川の神様、海の神様、という考え方がまず起きて、それを何万年も、何十万年も日本列島に住んだ人達は、親から子、子から孫へ、生活の対応の中に、事例の中にこれを残して来ました。
それがやっと31代の天皇様の時に仏教が入って来るわけです。
これはこれで珍しい、素晴らしいものです。
ここで物部氏と蘇我氏の争いが起きて来るわけですけども、31代の用明天皇様が、『仏法を信け、神道を尊びたまふ』「自分は仏教を敬い、神を尊ぶ」と。
どちらも大事にすると仰ったものですから、それは良いという事で、諸国の人は皆、神様と仏様を敬うようになったわけですね。
これは外国人から見たら信じられない現象ですよね。
こんな話があります。
スペインのバルセロナオリンピックがあった年に、世界万国博覧会がやはりスペインであったそうです。
集客力ではスペイン館と日本のパビリオンが一番人気があったそうです。
日本のパビリオンに行くと、入り口の右側に神社の神輿が置いてあるのだそうです。
左側には、どこかのお寺のミニチュアの五重塔が置いてある。
外国から来たお客さんが、「これは何だ?」と聞くと、「日本の二大宗教のシンボルです」と。
右側にはお宮の代わりに神道のお神輿を置いて、左側には仏教の御物を置いて。
「ところで日本には神道の人は何人くらいいるんだ?」と聞かれると。
「おおよそ1億人ですね。」
「仏教徒はどのくらいなのか?」
「おおよそ1億人ですね。」
「日本の人口は何人か?」
「おおよそ1億人ですね。」
そうしたら、外国人にとっては理解が出来なかったというのですね。

<葉室>
そうでしょうね。

<後藤宮司>
それはですね、こういう事だと思うのですよ。
仏教も色々な各宗派がございますよね。
仏教というのは、個人が悟る教えですね。
生老病死をどう乗り越えたらいいのかとか、自分が死んだらどういう所に死後の世界はあったらいいのかというのを自分で考える。
その方法論の中に真宗だ、禅宗だ、日蓮宗だと色々あるわけですが、それは山を登る道がいくつもあるのと一緒で、それがあるわけですね。
ところが、神道というのは、私の家は日蓮宗です、うちの家は東で、西の浄土宗だとか言っても、その地域に住んでる人は、その山の恩恵、水の恩恵なしには生きられないのですよ。
何宗といえどもですね。
それが神様なんですよ。
だから、神社は公的な集団的な村に影響のあるものなのです。
だから、お祭りの時に神社のお神輿を担ぐ、あるいは祇園祭の時に山鉾を操作する。
一人一人させたら結構仏教徒があり、宗派も違うと思います。
だけど、どんなに宗派が違っても、これは全体の為に行うお祭りだから、宗派を問わず御神輿を担げるわけですよ。
日本人は、それを太古から息づいて来た自分達の大事な信頼するもの、感じとして捉えるものを神と言って来た。
だけど、教えとして、知識として頭の中で考えるものについては、仏教を勉強したり、儒教を勉強したり、あるいはキリスト教の聖書を勉強したりして来たわけですね。
だから、あらゆる宗教は、川で言えば上の方です。
その底流には神道の、いわゆる宗教がなくなっても、山が残っている、川が残っている、大和三山の風景が残っている。
これがあったら日本人は、心配がないというか、心の安らぎがあるわけですね。
だから、ここに必ずしも神様の名前を知らなくてもいいのだろう。
最近は、携帯があるので家の中でも携帯で話をしますし、私も向こうまで行くのが面倒臭い時は、家内に「お茶を運んでくれない?」とか言いますが、昔はみんな家まで訪ねて行ったりしてましたよね。
そこの家のご主人の名前を言わなくても、「ご主人はいますか?」と言えば、何の何兵衛さんが出て来るわけですよ。
だから、神様というのは、ご主人みたいなもので、具体的に名前は知らなくても、有難い神様がいらっしゃるようだなという事でね。
聞くところによると、縁結びの神様らしいとか、厄除けの神様らしいとかですね。
ただ、これは外国人に通じるかというと、全然通じませんですね。
でも答える時にはそういう風に答えた方がいいと思うのです。
それがアメリカは分からないものですから、日本は戦争の頃になったら急に「神風が吹く」とか神道的になってやったから、この神道を潰さないと、また再び日本は歯向かってくると考えたのですね。
そして『神道指令』というものを出して、神道に対しては厳しい法律を作り、公とは全く切り離した政策を取ったわけですね。

 

 

ソーシアルな神社

例えば、戦後は公民館というものが、色んな地域に出来たのですね。
一つの共同体が一緒に話し合ったりする公民館という家ですね。
でも神社の境内に作った公民館には、政府の予算は下りないのです。
もう徹底的に分離しなさいと。
こういう話があるのですよ。
明治時代になって、外国の思想を一生懸命勉強しなくてはいけない。
もう本当に手探りで英語とかフランス語とかドイツ語を勉強して、ご苦労があったと思いますが、日本の留学生が行って学ぶわけですよ。
立派な辞書もないような時代に、大変だったと思います。
その時に、フランスなんかでは「ソーシアル」という言葉があります。
「これは何と訳したらいいんだろうか?」と集まって一生懸命話していた時に、その「ソーシアル」という言葉を使っている箇所を見ると、「一定のコミュニティというか集合体があって、そこで皆がその地域の共通の事を話したり、決まり事を話し合ったりしている」とある。
それが「ソーシアル」という言葉だと。
集まっている人の中に福沢諭吉もいて、彼が、「それは私達の国だったら神社じゃないですか。」と。
春祭りの時には、皆が集まってお祭りの後に一年間の村の計画を話し合う。
そして秋祭りの時には、それが上手いったかとか反省会をする。
だから、「神社、社で会うこと。」
それで、「社会」という訳語にするわけですよ。
いかに神社が地域共通体にとって大事なものだったかという事です。
ある時、「ヘブライイズムとシントウイズム」という学術のシンポジウムの会議がありまして、私は神道側の発言者の一人で参加したのです。
私は専門的な学者の勉強をしていないから、私の様な人間が入ると、言いたい事を言いますものでね、返って面白いのですね。
その時に、京都大学の名誉教師をしておられた園田先生という先生が「自由」という言葉を使われたのです。
すると、ヘブライ大学の先生が、「園田先生、あなたは今、自由という言葉を使われたけど、どんな意味で使っているのですか?」と言うのですよ。
さすがの園田先生も、「いや自由は自由だろう。」という感じで、それで少し会議が中断したのです。
私は運の良い事に、数日前に新聞で面白い記事を読んでたのですね。
明治時代になって、自由民権運動とか自由主義という言葉が盛んに入って来た。
しかし、日本の有名な国語学者、漢学者が、「今まで自由というのは、勝手放題とか悪い事に使われる場合が多かった」と。
板垣退助が『板垣死すとも自由は死せず』という言葉を残していますよね。
「自由というのは一体何だ」と。
それで、そのお弟子さん達が西洋の文物を調べたりしてやって来て、「『フリーダム』とか『リバティ』という言葉の意味は、こういう風に使ってますよ。」という事を聞いて、「それだったら『自由』というのは、『フリーダム』とか『リバティ』という言葉は、『道理』と訳すべきだ。」と言ったという事が新聞記事に書かれていたのですね。
それで、ああいう時に黙っておったらいけませんので、手を挙げました。
そして、「新聞記事で読んだんだけど、こういう風に書いてありました。」と言ったのです。
そしたら、また向こうの学者が、「後藤先生、それは漢学者の言う事でしょう。あなたは神道人でしょう。」と言うのですよ。
日本人には漢学者も神道人もないのですけどね、向こうから見たら、どういうセクトに属しているかが問題なもでしょうね。
「神道では、『自由』はどういう風に説明するのですか?」と言うのですよ。
そしたら丁度その時に休憩時間になりましてね、肩の力が抜けて私も自由な気分になったのかもしれませんけど、向こうの一番偉い方が、「ベン=アミー・シロニー」という『天皇陛下の経済学』という本を昔書かれた事がある方だったのですね。

 

 

すべてが自然の中で

私、学生時代に買って読んだ事があるのですけど、まさかその人がベン=アミー・シロニー先生とは知らずにですね、お会いした時に、「私は昔、『天皇陛下の経済学』というイスラエルの方が書かれた本を読んだ事があるんです。」と言うと、「あれ、私ですよ。」と仰られたのですよ。
「ベン=アミー・シロニー」というのは、東洋学ではヘブライ大学の最高権威の人なのです。
その人と会った時に、日本語がお上手なので、「先生、神道では自然という言葉があって、『じねん』とも読みます。『おのずから』という意味があるのです。古の昔々の日本人がその言葉を理解するとしたら、『おのずから』という言葉が当てはまるのではないでしょうか。」と言ったら喜ばれました。
つまり、誰かが意識的にどうこうしたりしなくたって、床下の植物は自然に誰に言われなくても太陽の出る方向に伸びていくし、神社の木も向こうから太陽がこう来て、向こうはちょっと木が茂っているから枝はみんなこっちに向くのですよ。
自ずから、木はそのように自然の中でなっていっているわけですね。
それで、その先生が喜ばれましたので「じゃあ先生、ユダヤ人は『自由』という言葉をどのように理解しているんですか?」と聞いたら、「それは旧約聖書の中で古代のユダヤ人がエジプトに捕虜として使われていって、みんな捕虜の生活をしていた。エジプトは繁栄した国で、捕虜生活も食事は渡るし、いつの間にかその生活に慣れていたところ、モーゼが現れて、「お前達は捕虜に甘んじてはいけない。ユダヤ人というのは神に選ばれた民なんだ。神が約束した良い土地があるからそこに行こう。」と言うのですね。
モーゼの『十戒』という映画が昔ありましたよね。
そして行ったその途中に、ユダヤ教のルールを破った人達、偶像崇拝を拝んだとか、エジプトも畜産なんかもやってたのでしょう。
子牛の彫刻を神様だと拝みお参りしたと、そういうものを捨てきれないユダヤ人は全部滅んでいくわけですね。
神様の言う通りにした人だけが、モーゼと一緒に約束の地カナンに行って、後にイスラエルという国が出来るわけです。
だから、「神様の摂理、仰ることに従う事は重要だ」と。
日本の場合には、一つも神様の言うことなんか聞かないのですよ。
キリスト教も読んでみたり、論語も読んでみたり、たまには万葉集とか古事記を読んでみたり。
自由に自分で選んで、自ずから自分の生き方、価値観というものを日本人は養っている。
だから、年の暮れになると一応クリスマスイブに参加してクリスマスの付近も気分も味
わってみて、年の暮れには、お寺で打つ除夜の鐘を聞いてしんみりとして煩悩を払ってですね、そして夜が明けたら、明治神宮やら八坂神社に行って神様を拝んで。
こんな自由な国はないです。
かといって悪い事はしませんし、宗教間で戦争する事もないしですね。
そういう事を言った思い出があるのですよ。
だから、神社というのは、地域社会が協力しなければいけない、それは、やっぱり山とか川とか、そういう自然の脅威から身を守る為に、皆でどう協力しようとか、神様や水神様に感謝のお祭りをしようとか、そういうのが神社に残って来たんだろうと思うのですね。

 

 

ありがとうございます

<葉室>
今の自由のお話し、すばらしいです。

<後藤宮司>
最近読んだ本では、もっと詳しくそういう事が書いてあって、それもちょっと、否定ではないけど、やはり自由というのは勝手放題というような、自由気ままとか、そういう風に使われてきた事が多いようで、本当は日本人の自由というのは、道理でもなくて、ちょっと違う良い言葉で表してましたね。
今はイスラム教が多いのでしょうけど、アフリカの人達は昔は上ってくる太陽が神だったそうですね。
あとは頂点に移って、沈んでいく太陽には無関心。
要するに上ってくる太陽を、柏手を打ったかは分かりませんけど、黒人は拝んでたらしいのですよ。
日本の場合は、朝東の空から上って来る太陽が神様ですから、御来光を仰ぐという事で、年の初めも、山に登って上って来る朝日を仰ぐ。
そして、御来光と同じように日が沈む時にも手を合わせますね。
そう、すべてのことに「ありがとうございます」ですね。
とても大切な日本人の心です。

今日は長い時間ご一緒させていただきまして、本当にありがとうございました。
このすてきなお話しを多くの方にも聞いていいただきますね。
次回はぜひとも京都でお会いできますように。

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld

 

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