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二條さま 古事記のお話しの2 第五話の質問コーナー

質問コーナー

2023年11月25日の二條さまの講座、アメトコタチのお話し。
学ぶことがたくさん。
そして質問がいくつかありました。
紹介していきますね。

ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

 

 

⚫︎「『掟』という言葉を最近ずいぶん聞かなくなったなというのを思い返してたんですけど、例えば、僕が小さい頃は、アニメであったヤッターマン、ドロンジョ、あれなんかはある意味掟なのかなと思ったのですが。
ですが、そういうアニメは今やどうなんだろうなという風にも思ったりしました。」

まさに掟でございます。
そういう事でございます。
今はアニメもそういうものはやってはいけないんだそうですね。
押しつけてはいけないらしいです。
そしてやっつけてはいけないらしいから、最後はドロンジョも逃げないで友達になると。
「そうですよね。あれも逃げるのが最後の砦で面白かったんですけどね。つまらなくなりましたね。」

鬼滅の刃は藤の家が出てくるし、鬼滅の刃は掟に縛られてませんですからね。
だから、実は若い子達ってみんな少し掟が欲しいのかもしれないですね。
あれは、鬼も鬼退治する方も、どちらも藤の家なんですよね。
実は鬼も藤という。
実は鬼だらけだったのは藤の家なんですよ。
だから、掟はどどちらにもある。
掟というのは、欲しい時もありますよね。
私は、家の事が大嫌いでした。
ご飯を食べるのがすごく嫌だったんです。
だから、16歳から23歳まで米の飯を一切食べなかったんです。
何故かというと、私の家は、あちこちに行くと、みんな私の箸使いを見るんです。
「二條さんところのぼんは箸使いが」と。
嵐山の中州にある「錦」という料理屋があるんですけど、その先々代の女将が、一番最初に「あらーぼんは箸使い上手やなー」と褒めてくれた事があって、私はそれがすごく自慢だったんですが、ある時、うちの父親か母親から、「お前、どうしてそんな汚い箸使いするんだよ。」と言われた時に、もう箸を使うのが嫌になったんです。
それからずっとパン食になったんです。
「もうご飯は嫌だ。パンにする。」
だからずっとパンだったんです。
今、もう世間をはばかることなく米食いですけどね。
だから、若い人達が一回、掟を捨てるというのは、悪い事じゃないと思います。
それが、親から、ないしは集団からフロンティアする時期、第二次成長期と呼ばれる時期です。
それは、大人達から煽られるんだよ。

今は、煽られるのがゲームみたいなものから煽られるから、ちょっとそれは画一的だなと私は思います。
煽られ方があったんですよ。
例えば、今言ったように、「お前どうして、そんな箸使いが下手なんだよ。」という煽られ方。
「だったら飯食わない。」と宣言した翌日からずっとパン。
固くなすぎて親がびっくりするわけです。
23歳までですよ。
どうして私はお米に戻ったかというと、シュツットガルドという所に放送交響楽団放というNHK交響楽団のようなオーケストラがあったんです。
そこにエキストラで行っている時に、3週間くらい休みがあってミュンヘンに行ったんです。
ミュンヘンに行ったら、雪が降って来て、一人ぼっちで、私はホームシックにかかったわけです。
家なんか大嫌いだったのに。
ミュンヘンにはホテルオークラがあるんですが、そこには日本人の用人が来ると玄関に日の丸が立つんです。
ホームシックにかかっていた時に、ある時、日の丸が立ってたんです。
「あ、日本人が来ている。」と思って行ったら、中に「山里」っていう料理屋があるんです。
そこの松花堂弁当はものすごく高価なんですが、入って松花堂弁当を頼んで、扇形に抜いたご飯を口に入れた時、涙が止まらなくなってしまったんです。
「あ、私は米が好きだったんだわ。」と、あんなにパンだパンだと言ってるのに、米好きだわと言ってからご飯になりました。
それまで、米を拒否する。いわゆる掟を拒否していたんですね。
これは、法律を拒否していた訳でなく、掟を拒否していたんですね。
でも、その掟を拒否して続けて行ったら、ホームシックになった。
それはそうでしょう、親だって、爺さんだって、みんな米で育っているんですから。
殆ど私は米で出来ているようなもんですよ。
それがパン食になって、何年かはパン食になったのに、急にご飯食っべたらそれは戻りますよ。
もうそれは、3倍ぐらい戻って来ます。
それを別にテレビでやられたわけでも、仲間にそそのかされたのでもなく、大人にそそのかされて米が嫌いになりました。
けれど、自分からちゃんとやっぱり米だったんだと発見出来るというフロンティアをしたというか、アドベンチャーしたというか、そういう事だったという風に思います。
たつのこプロの、最後にドクロの煙が出るような、あの番組はもう私は大人でしたけれども、大変面白かったと思います。
掟って面白いですよね。

 

 

⚫︎質問ではなくて感想なんですけど、私も普段、善行だけ積んでいる訳ではないんですけれど、なんか常にお天道様が見ていると思っていて、子供達にも、お天道様が見てるよと言って来たんですが、今日、宗匠の話を聞いて、外国人ってやっぱり日本の文化を誤解しているなと思った事があって、日本文化の第一人者のルース・ベネディクトさんという文化人類学者がいらっしゃいますよね。
あの『菊と刀』という著書を大学のゼミで読んだ時に、日本人は恥の文化だから、悪い事をしてもバレなければ、みんなの目があるから、バレて恥ずかしいとなると反省するけど、そうでないと大丈夫だと。
だけど、西洋人は神様との契約だから、なんならお天道様と見てるみたいな、人が見てる見ていないではなく、神が見てるからとそれが判断基準であると。
それを言われた時、すごく違和感があって、「え、違うんじゃない?」と思ったんです。
人が見てる、見てないではなくて、私達だってお天道様が見てるのにと思っていて、ずーっとモヤモヤしていたのが、今日のお話で、我が意を得たりで「やっぱり!」と思いました。
ありがとうございました。

ありがとうございます。
そうですよね。矜持(教示)を正したり、そしてお天道様が見てるって。
みんな悪い事はしますよ。
少しはするけれども、やっぱりそこに一末の罪悪感や悔悟があるという。
そこで次はやらないようにしようとか、やるんだったらもうちょっと違うやり方でやろうとか、そういう事になる。
それは素晴らしい事だと思います。

 

 

 

⚫︎先程、ただそこにいるという認識だけでいいと仰っていたんですけれど、それが本当の最高の個人主義だというのを聞いて、とっても深いなと感じました。日本って、「和」という言葉があると思うんですけど、つい先日海外に行って外国の方と会った時に、「和」という説明がとても難しくて、変換出来ないというか。

ここに長くいる人達は、あれを和(わ)と読まないんですよ。
「やわらぎ」と読むんです。
和(わ)という言葉は、禾(のぎ)を口にするという字なんです。
のぎへんの禾です。
禾とは、すすきの穂のように、草の穂が出たもの、お米も小麦も穂が出るんです。
あれを口にする万俗という意味なんですよ。
もっとひどい言い方では、最初はこういう字でした。
禾を口にして女を下に引く人という字、これを「倭」だという風に。
大陸のやつらは肉を食べますから、そんな禾のものを口にするような粗末でやひた国だという言い方です。
ですから、実は「和(わ)」という言葉は、日本人を卑下する言葉なんです。
ただ、日本人は、この言葉が入った時に和(わ)と読まずに、和(やわらぎ)と読みました。
和(やわらぎ)とは、すなわちデコボコという意味です。
「和(わ)を以て尊(とうとう)しと為す」と言ったのは、実は朱子学が初めてです。
本来は、「和を(わ)以て尊(とうとう)しと為す」というふうに読まずに、
「和(やわらぎ)を以て尊(たっとう)しと為す」。
「デコボコがある事がいい」という意味なんですね。
和(わ)というのは、外から人を入れない、中から人を出さない。
和(わ)ですから。
だから、和(わ)って、ちっとも多様性がない言葉なんです。
でも、和(やわらぎ)と言ったら、すごく多様性があるし、そもそも「やわらぎ」と読んでたんだという事を鑑みると、「和風」とか「和の文化」とかよく言うけれど、私は今だから言うけど、すごくちゃちい言葉に感じます。
だから、これはやっぱり「和(やわらぎ)」と読むようにしましょう、元に戻しましょう。
あんまり和(わ)という字を使うのはやめましょうと、今一生懸命みんなに言っているんです。
この和(わ)という言葉はお坊さんが好きだからよく使いたがるんです。
でも、悪い言葉ではないと思います。
確かに禾を食べてるんだし、それがアイデンティティだって、さっきからずっと言ってるしですね。
だから、禾を食べている人間であるという事は間違いないです。
肉じゃなくて禾を食べる民族だから。
でも、押し付けられた和(わ)という音はちょっと嫌だな。
和(やわらぎ)と読みましょう。
という事を私は皆さんにお話申し上げております。
是非とも外国に行かれましたら、和(わ)の文化ではなくて、和(やわらぎ)の文化なんだよと、むしろソフトであるという風に言って頂きたいと思います。
「和らぎ」って英語で何て言ったらいいんでしょうか?

『令和』という言葉は、「ビューティフルハーモニー」と訳したりしますよね。

ハーモニー!あー素晴らしい!
ハーモニーね、なるほど、それはいい言葉かもしれないです。
ビューティフルハーモニー、調和という整った禾を食べる人。
そういう事ですね。
ありがとうございます。

 

 

⚫︎「聖徳太子は、和(わ)ではなくて、和(やわらぎ)と読んでいたんですか?」

「和(やわらぎ)」と読んでいたと思います。
史実の中では聖徳太子が一番最初に多様性を考えた人なんだと思います。
日本の歴史の中で初めて、厩戸という人が多様性を唱えた。
その当時、奈良という所には、今以上に外国人の方がどっと来ていたし、それから、秦、中国からの難民も、ものすごく入っていた。
京都にそれを全部入れて、京都の中に入る事によって、そこから新しい技術を入れようとして、秦(はた)という人達を京都に入れた。
当時、馬牛が日本にいなかったんです。
あの人達は、、馬牛を連れて来たんですよ。
それはすごく有り難かったわけです。
では、その人達と我々はどういう風にして国づくりをしていったらいいか。
「あ、凸凹がいい」と考えたんだと思います。
それで「和(やわらぎ)」と言ったんだと思います。
それも、「尊い(とおとい)」のではなくて。
「尊い(とおとい)」というのは、決して庶民の言葉ではありません。
こういう(手のひらを上に向けて)意味です。
でも、「尊い(たっとい)」といって、手が下に向いて、こういう意味です。「尊(とおと)い」「尊(たっと)い」といって、字は同じ「尊い」と書くけど、「尊(とおと)い」と読んだら、「目の上」という事になります。
「尊(たっと)い」は、「目の下の広がり」という意味があるから、そうなると、私は、聖徳太子様、厩戸様は、『和(やわらぎ)をもって尊(たっとう)しとなす』という言い方の方に考えておられて、そこに色んな人がテーブルの上に座って、色んな意見が出て、中庸を引き出していく。
その当時、中庸はもう入って来ていました。
もう大が入っている訳だから、中庸はあったと思うんですけれども、色んな人の意見を出して中庸をとる。
中庸とは、真ん中という意味ではなくて、全員がそこだったらとりあえず納得出来るというところを見出す。
天秤が真ん中にあるのではないのかもしれないという事なんですよ。
もしかしたら、中央ではない所で釣り合うのかもしれない。
もしかしたら、ここで釣り合うかもしれない。
最近は、中央ではない所で釣り合っている感じがしますよね。
声の大きいマイノリティと、声の小さいマジョリティがこれだけいて、ここを中庸、みたいに感じているところがあるかもしれないけれど、沢山の意見が出る事によって、「じゃあここだったら納得出来る」という所を見出していく。
その為には、議論に議論を重ねようというのが、『和(やわらぎ)を以て尊(たっとう)しと為す』という、そういう意味なんだと思います。

議論はするべきです。
それが認識に繋がっていくからです。
例えば、私はゲイであるという事をこれだけ言います。
これで、「あの人ゲイなんですって。どういうセックスするのかしら。どういう彼氏かしら。」というのがいっぱい出て初めて認識される。
私はセックスを語りません。
語らなくても、「ゲイであるという事はわかりました」という事がみんなに認識される。
でもこれは、黙っていると、「あの人ゲイらしいけど、どうなのかしら、ちょっと聞いてみてくれない?」という話になっちゃう訳です。
「議論を尽くす」という事が重要です。
これは、理解させる事ではなくて、認識して貰う事が重要なんです。
私の方も、理解して貰う為に話している訳ではない。
ここの古事記も、皆さんに理解して貰う為に話している訳ではなくて、うちの考えとしてはこういう事だよ、という事を皆さんが認識して下さればいいだけです。

「私が教わった古事記は違うんですけど、先生、これどう違うんですか?」という質問がよくあります。
その古事記も正しい。
小学校で教わる古事記も正しい。
でも、うちの古事記もこうだよ。
二條さんのところの古事記はこういう認識なんです、という話。
だから、議論を尽くしなさいという事に繋がっていきます。
宜しいでしょうか。

 

☆法律を話す人間は、やはりクレバーでなくてはいけない。
クレバーというのは、少し嫌なイメージがあるけれど、クレバーでなくてはならないと私は思っているんですね。
ですが私はクレバーではないから、すごく皆さんにわかり辛い話かもしれませんが、お天道様が見ているという一点では共通出来ると思うんですね。
そして、お天道様が見ているから悪い事をしてはいけない、のではない。
生きていく為には、どうしたって悪い事をしなくてはならない時だってある。
でも、それを悔悟なさって下さい。
次はそうならないように、違う方法を使って下さいという事だと思います。
これは法律だったら一発アウトです。
でも、法律ではないから次がある。
次があります。
必ずリトライ出来るという事です。
これは日本の良いところです。

 

 

⚫︎「幼き頃、僕らの時代は、『日本人は語らない。多くを語るな、語らない方が日本の美』だというイメージを今でも持っているんですけれども、いかがですか。」

これが多様性を何回も失敗させて来た要因の一つです。
何回も我々は多様性について考えてきました。
一番最初は、まず聖徳太子様が「日本を多様性のある国にしよう」と。
ところが、その後、『蘇我』という一族が来て、「語らないようにしましょう」と。
その後、うちの藤原の一族が出て来て、「もっと語ってはいけませんよ」と。
でも、鎌倉に幕府が出来るようになり、鎌倉の幕府が一番最初に、『合議制』といって、「みんなで語りましょう」と。
『鎌倉殿の13人』じゃないけれども、「トップがいたら、その下は合議制でやりましょう」と、また多様性を持とうとした。
でも、またそれが覆されていく。
「喋らない方がいい」という方になっていく。
それで、「それじゃ駄目じゃないか」と言って、関東の奥の方からまた一人出て来て京都に上がって来て幕府を作りました。
この時は、山の民や海の民も沢山幕府の中に入れたんです。
例えば能学師。
あれは元々は河原もんです。
要は、江戸時代では穢多とか非人と呼ばれるような、そういう、『阿弥(あみ)』という名前のつくような。
『阿弥(あみ)』というのは、ゴロツキなんですよ。
今で言うところの、オタクです。
お能しかしない、お茶しか飲まない、庭しか作らない、みたいな。
それはもう、凄いオーソリティーになっていく。
『阿弥(あみ)』というのは、大体河原ものなんだけど、そういうものを政府に入れて色んな意見を出そうとする。
そしてお金も使った。
「それじゃあ駄目だろう」と応仁の乱があって、やはり、また駄目になった。
「それじゃあ駄目だろう」と言って、今の名古屋辺りの方から乱暴な人が来て、これまた意見を聞こうとして、安土にお城まで建てて多様性を考えようとした。
「駄目だろう」と潰された。
それで、徳川幕府になったら「もうそれは要らない。」
正直言って、徳川幕府については、多様性を否定する事で、ガッチガチに固める事で平和を維持したんです。
これも悪くはなかったんです。
でも中は随分多様性があったようですよ。
江戸なんていう街は、多様性の宝庫だったらしいです。
まず、ゴミがなかったという。
ゴミやチリがなかったという。
全部お金になったらしいです。
大便ですら、お金になった。
小さい子供ですら、「手紙届けておくれよ」と言って、職になった。
すごくガッチガチの中でもちゃんと多様性を考えたんだけれど、「やっぱりそれじゃ駄目だろう」と言って、田舎侍達が、「ちょっと江戸の考えはダメだよ」と言う。
徳川慶喜は本当はもの凄く解明的な人だったんです。
だけど、「それじゃあ武士の一部が立たない」と言って、また明治に駄目になった。
という風に、日本は為政者は何回も多様性を目論もうとするんだけど、それをみんな国民が否定していったのです。
「やっぱり駄目じゃないか。」と。

最近の友人で、原発関係の仕事をなさっていらっしゃる方がいるのですが、その方が、ミサイルの話をしてくれたんです。
ミサイルとか原子力爆弾は、何回も実験しなくては駄目なんだそうです。
実験して実験して、あらゆるところをそぎ落としていって成功するようになるんだそうです。
今やっと世界中は多様性という方向に行って、始まったばかりだけど、日本は2000年近く多様性の実験をして来ている。
だから、もしかすると、我が国が世界で一番最初に多様性について目覚めてしまうかもしれないです。
というぐらい実験して来たのです。
今回は、もしかすると成功するかもしれないですね。
何故って、まず日本はヒエラルキーがなくなったから、いや、勿論ありますよ。
私は感じますけれど、やはり、ヒエラルキーは少しある。
でも、子供達にはあまりなくなりましたね。
勿論、いじめっ子といじめられっ子はいるのかもしれないけれど、総じて平らじゃないですか。
「あそこのうちはお殿様の息子だ」とか、私が子供の頃は、「あそこのうちはお大臣の息子だ」と言われてチヤホヤしたもんですもん。
私なんかも私立に入れられると、完全にヒエラルキーがある。
天皇様がいらっしゃる学校なんて、完全なヒエラルキーがあるんです。
最近、学習院ですらヒエラルキーがなくなり始めてますもんね。
だから、いよいよ日本は多様性が開くかもしれません。

(東さん)
「逆に、極端に貧しい子はいるかもしれないです。コロナであまり話題にならなくなっただけで。」

(二條さん)
そうらしいですね。
今、渋谷にストリートチルドレンが500人ぐらいいるんだそうですね。
家に帰らないで、あそこで育っちゃう子供がいるかもしれない。
でもそういうのだって、多様性の中には世界中で500人といったらちょっと少ない方ですよね。
パリなんかは、オペラ座の周りに毛布にくるまっている子供達が沢山いますよね。
地下鉄に乗ると、集団で私達を囲んで、こっちで話してる間にポケットから持っていくような事をする子供もいますよね。
あれだって、悪い事は悪い事だけど、生きていく為には仕方がないですよね。

掟が日本はありますからではございますが、そういう事で言うならば、我々は実験を積み重ねておりますので、いよいよ日本は多様性が開くかもしれません。これは世界で初めてです。
アメリカが多様性があるなんて、冗談じゃないですからね。
全然多様性がないですからね。
あれは無関心と言うんですよ。
私達は関心のある多様性を持っているますね。

 

二條さま、古事記のお話し「アメトコタチ」のお話しありがとうございました。
次回は2024年3月です。
皆さま、これからも宜しくお願いいたします。

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld

 

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