1. HOME
  2. 和のすてき
  3. ありがとう
  4. 二條さま古事記のお話し スサノオ質問

二條さま古事記のお話し スサノオ質問

<感想・質問コーナー>

⚫︎類は友を呼ぶじゃないですけど、本当に色々勉強になるし、新しく事務所を立てましたので、僕がこれからやっていく事も、これでいいんだなというのが自信がつきました。
古事記のこういう読み方もちょっと面白いなと思いまして大変勉強になりました。
神島の事など、よく分かってない所ももうちょっと聞きたかったです。
また、この数ヶ月で幅と多様性をすごく感じてやりやすくなったというか、この時代、この情報過多の中で、すごくスッとしました。
解決法がすごく見出せました。

実はアマテラスとスサノオが作った五柱の男の神様と、それから三柱の女の神様がいるんですよ。
三柱の女の神様は正直言って分かりやすい。
そして女の子が言うことをよく聞いた。
男の子が可愛いんですよ。
五柱の神様達を作っているんです。
スサノオの口から出てきた五柱の神様ですけどね。
これからのお話も楽しみにしていて下さい。

ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

 

⚫︎今年40歳になるのですが、ある人から、40歳になると経営者としても哲学を確立しろという話も頂いていて、柱ということですよね。
その為には、ルーツをしっかりと理解することが大事だというアドバイスを丁度頂いたところだったので、いつも以上に凄くスッと入りました。
そして今日の話は、これからの世の中を考える時に、もの凄く大事なテーマだという風に思いました。
ありがとうございました。

「フィロソフィー」と呼ばれるような哲学と「理念」と呼ばれるような哲学。
こういったものは、ベクトルを借りるのではなくて、自分から出るものということですから、よくよくそれを考えながらね。
40歳というのは、数えでいくと、いよいよ厄がつく年。
悪いことが起こるのではなくて、社会から大切になる年ということなのでね。

 

 

⚫︎和(わ)をもってではなくて、和(やわらぎ)をもって尊(たっと)うしとなす、という話が凄く良くて、日本の本来の、奈良時代であった時代である時の多様性の話とか、イメージが合って凄く良かったんですけど、そっちの方が日本の本来の姿なんでしょうか?
日本をどう捕まえたら良いのでしょうか?

「和(わ)をもって尊(とうと)しとなす」という風に読ませたのは、実は徳川家康なんです。
国を治める為にどうしたらいいかという事で、朱子いう学問を持って来ました。
海外から入れない。
自分の国から出さない。
そして、尊い人間を作るという、とても朱子学に合致していて、これを読み下す時に、「和(わ)をもって尊(とうとう)しとなす」と読めたから、丁度良かったんです。
だから、徳川時代は300年も偃武(えんぶ)の時代と言って、争いもなければ平和だったと言われる時代だったんですね。
今は、平和な時代ではない。
日本は、今までも含めて平和な時代は300年しかない。
本来は、ガタガタな国だったんですよ。
なので、「和(やわらぎ)」だと思います。
平和とは、戦わないで得られるものじゃないという事は覚えておいた方がいいです。
のほほんとしていれば平和というのではないんです。
キッツキツな人がいないと平和というのは保てないんですよ。
平らかで、和らいだ国というのはね。
日本は、本来は戦い好きな国ですから。
考えてみて下さい。
日本で戦争してない時代って、江戸時代と昭和時代、平成時代ぐらいしかないでしょう。
昭和だって最初の頃は戦いですからね。
もう令和は戦いの時代に入って来てしまったから、平成時代しかないですよ。
他はみんな戦っているんです。
だから、本来は和(やわらぎ)というのは正しい。
だって、凸凹だから戦いますよ。
本当は、戦わないのは和ですよ。
同じ考えを持っていればいいんですから。
手を繋いでいればいいんですから。
そのかわり、外からは入れない。
中から出さない。
多様性を考えない。
同じベクトルの方に向かしておけば平和なんです。
平成という時代は、経済というベクトルをドーンと打ち立てた為に、経済という宗教のベクトルが強くて、みんな同じ方向を向いたんです。
おかげで平和だったんです。
徳川時代は、海外という方向ではなくて、内側に向けるという方向で平和だったんです。
でも、そういう声の大きいマイノリティのベクトルですよ。
だから、本来は戦うべき。
ここまで話して来てお分かりになっているでしょうが、一番戦いが好きなのは女性です。
男性は最終的に暴力という方向しかないからです。
戦いとは暴力の事じゃないんです。
ここのことです。
女の人の戦いを見てると、背筋が寒くなる時があります。
そういう戦い方があるのか、と。
うちは小さいけど流派がありやっていますが、殆どが女の人です。
うちは内弟子は男が多いけど、いくらか女の人もいます。
少数なのに戦う。
笑顔で。
もちろん火をつけてるのは私なんですけどね。
何故なら、それが平和なんです。
女の人の戦いが一番平和です。
男子の戦いになったら武器を持っちゃうから。
相手を殺すまでやっちゃうから。
女の人は割り方、殺さないですね。
ヒエラルキーさえきっちりしてくれればいいというのでしょうか、頂上さえ乗り越えなければいいという、そういう戦い方じゃないですかね。

 

 

⚫︎あまり関係ない疑問なんですけど、なぜ陸地が祇園社で海辺が天皇社なのですか?

祇園というのは、お釈迦様が亡くなった地域のことを祇園というのです。
お釈迦様が亡くなった地域が陸地だったんですね。
天皇というのは、開けた空が見えないと駄目なんです。
星のことなんです。
日本の場合、開けている所というのは、海を見るしかないんです。
どちらを見ても山だから。
そうすると、開ける所といったら水平線ぐらいしかないんですよ。
なので、海側に天皇神社が多くて、釈迦が死んだ場所が陸地の方に近いという事で陸側に祇園社が多いのです。
京都の祇園社は、丁度インドの祇園精舎に似ている事から祇園という名前なんですよね。
木がいっぱい生えていて、菩提樹が咲き誇るような場所という事なんだそうです。
でも、大まかにそうだけど、例えば唐津は祇園社が海辺にあったりとかはしますけれどね。
天皇社では、山の中に天皇社があると聞いたら、もしかしたら200年とか300年ぐらい前は海だったの?と私は思いたくなっちゃいます。
そして埋め立てたのかなと。
多いんですよ。
例えば、岡山。
岡山は、今はずっと陸地で繋がっているけど、土地の名前は島、島ばかりなんです。
小島とか、なんとか島とか、荒島とか。
あれは、奈良時代とか平安時代ぐらいまで本当に島だったんですよね。
伊豆なんかもそうです。
伊豆はよく島流しと言いますが、昔は沼津の辺りで切れていたんですよ。
島だったんです。
それが陸が広くなったおかげで、今は陸地になっている。
江戸もそうですけど、うちのひい婆さんに言わせると、松坂屋の裏は波がジャブジャブ来てたと言いますからね。
銀座通りの一本裏側まで波が来てたんだそうです。
今は銀座から海まで行くとなると1時間ぐらい歩かなくてはいけないですからね。
だから、今は陸地の方に天皇社が入っているけど、私は、古くから天皇社と言われていると、昔もしかしたらここら辺まで河口があったのかもしれない、もしくは海があったのかもしれないなと思っちゃいます。
祇園社はそうではないみたいですが。
お釈迦様の死んだ場所に似た所という所が、みんな祇園という名前になっていった。
木が多い所という事だと思います。

 

 

⚫︎本当にこの和(わ)をもってという、この感覚で自分はずっと思っておりました。
こうして、和(やわらぎ)という言葉に変えただけで、何かもの凄く広がる感じがあって、ある意味、この音の持つ波動と言いますか、日本語の感覚というか、「あ、こういう風に捉えるんだ。」と、もの凄く、ちょっとドキッとするぐらいです。

実は葉室さんのところって、「和(わ)のすてき」という名前だったので、「和(わ)って実は手を繋いでどこからも入れないという事だから、和(やわらぎ)と読みなよ。」と一番最初の回から言っているんです。
これは、「和(やわらぎ)をもって尊(たっとう)しとなす」。
これを覚えておいて下さい。
「尊(とうとう)し」は手が上。
「尊(たっとう)し」は手が下に向いているんだという事。
みんな一緒。
みんな一緒というか、みんな同じフィールドというのが「尊(たっとう)し」です。
「尊(とうとう)し」は目の上にある。
歳をとると、目の上にあるものはいっぱい置きたくないの。
もう全部目の前にあって欲しい。
いえ、子供もそうです。
それは、そういうものがあると、確認するという事に他ならない。
是非ともこれを覚えて帰って頂きたいと思います。

 

⚫︎うちも「和(わ)のすてき」という名前ですが、結局多くの人達は、日本=和(わ)と思っていますよね。

私は凄く嫌ですね。
日本人が「和風」と言うじゃないですか。
あれは、和風って、「日本っぽい」というだけですからね。
「風」ですから。
「知らんけど」と言っているのと同じです。
「なんとか風」というのは、江戸時代の「知らんけど」ですから。
「和(わ)」というのは、大陸チックな言い方なんですよ。
すごく蔑まれた言葉ですからね。
「後漢書東夷伝」とか、「隋書?隋史?(ずいし)」と呼ばれる中に、『倭国』という、「禾をを持っている国」という、要するに、そんなものしかない国という言われ方だから、人偏に委せると書いて「倭」と読むんです。
「委」これは、稗とか粟とかいう意味です。
それを人が持っている。
そういう、痩せた国という風な意味で、「倭」っていうのは分別語なんです。
それを、日本人が、和(わ)、和(わ)と言うなよと。
もっと良く言いましょうよと。
本当は、和らいだもの、やわやわなもの、という意味ですから。
<葉室さん>
でも、みんな知らないで日本=和、和文化とか全部そういう風な言葉になってしまっていますよね。
それが変わらないと、ここの国は変わらないのでしょうか。

私は、一生懸命、「和(わ)をもって尊(とうと)しとなす」ではなくて、「和(やわらぎ)をもって尊(たっとう)しとなす」とあちこちで言っています。
最近、徐々に、「これって、和(わ)と言わないで和(やわらぎ)と言いましょうよ。」と言ってくれる若者たちが出て来ました。
でも、例えば、「ここにお集まり下さい。」と言うのと、「集合!」と言うのと、どちらが効くかというと、「お集まり下さい。」と言うとダラダラ来るけど、「集合!」と言ったら、バラバラからカチッとやりたくなるでしょう。
なにか、音程、音読みというのは、力強いんです。
「和(わ)」と言われると、イメージとして、これも声の大きいマイノリティが言い始めた事だと思って下さい。
皆さんは、これから、和(わ)と呼ばないで、和(やわらぎ)と言って下さい。
「やわらぎですね。」と、だから、どこかが空いていてもいい。
どこかがへっこんでいてもいい。
もちろん、切れていてもいい。
それも、我々が確認すべき事である。
和(わ)は嫌だなと私は思いますね。
ただ、説明するのに簡単なのは和(わ)ですよね。
何故って、学校の先生が言うんですもん。
和文化ってなんだよ、日本文化でしょう、というね。
それも、口をすっぱくして言いますけど、日本文化は、私の方にないですから。
あなた方の方にありますから。
これが面白いと思っている程、あなた方がそのレベルが高いという事ですよ。
文化とは、そちら側にあるんですよ。
私は、仕事だから文化でもなんでもないから。
これが、我々の宝だと思っている人が文化ですから。
そちら側に文化とはあるから、私達が和文化ではないです。
あなた方はこれから言うんですよ、「和(やわらぎ)って言って下さい。和(わ)じゃない、それはシナ語ですよ。」と。
でも、世界中でシナと言ってはいけないのは日本人だけですからね。
オリンピックだって、みんなチャイナと書いてあって、フランス語で読んだらシイナでしょう。
だから、世界中でシナと言っているのに、日本だけ「中国」と呼べという、不思議な差別じゃない?これは区別なの?
これからはチャイナって呼ぶでしょう。

 

 

長々となりましたが、今日はここまでで終わりたいと思います。
ありがとうございました。
次回の古事記は、『アマテラス』と『スサノオ』が作った小神たち。
ここも面白いですよ。
日本の大転換が来ますから。
『スサノオ』までが、日本人の原始人。
なんだけど、『アマテラス』と『スサノオ』が作った子供は間違いなく神の子ですからね。
特に『アマテラス』はその5人しか産んでないですからね。
だから、これも我々日本を考える上でとても大切な人心の一つだと思って来て頂きたいと思います。

<予告>
次からの古事記のシリーズは、古事記の神の祭祀にしましょうか。
神様って、一人一人祭り方を間違えると違うんですよ。
古事記の神って、『アメノミナカヌシ』から、最後は『推古』まで、実は祭り方があるのです。
この神様を召喚する為には、このアイテムが必要というのが出てくるわけです。
今のゲーム感覚でいうと、召喚させる為の遊びという風な。
でもそれは、人心の次に勉強していて、我が家で教わるのはここが最後です。
この上には、九条さんがいて、近衞さんがいて、天皇家があるから、古事記は実はもっと読み方が深いです。
まだ4つ以上あるんです。
だけど、私の家の最後は祭祀です。
という事で、10月からは、古事記の話だけれど、古事記の神の祭祀としたいと思います。

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld

 

関連記事

最近の記事

アーカイブ