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うるし⑥  うるし美術工芸の歴史Ⅰ 

うるし 美術工芸の歴史Ⅰ

こんにちは。

日本の漆器は、日本が世界に誇る独特の工芸品のひとつです。
この日本の工芸品の代表とも言える漆器は、どのような歴史をたどって発展してきたのでしょうか。
工芸美術的な観点と、うるしの技術という観点から、だいたい縄文時代~平安時代、鎌倉時代~江戸時代、明治時代~現代と三つの時代に分けることができます。

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第一期は、縄文時代から平安時代まで」

平安時代のものだといわれているうるし製品というのは、縄文時代にあったものとほとんど変わりません。
私たちは、平安時代というと雅なものを想像しますが、うるしの技術に関して言えばそれらのほとんどが縄文時代につくられたものと同じ技術です。
うるしの技術としては、まったく単純にうるしの液を使うというレベルでした。
社会的には、飛鳥時代に入るとようやくうるし職人がひとつの職業として成り立つようになります。
うるし職人が役人の官位になる時代です。
そして奈良・平安時代には、うるし職人が役人としての身分を保証されるようになっていきます。

身分の高い人の装身具や食器やそのほかの生活用具まで、さまざまなものをうるしの職人がつくるようになっていきました。
この時期に、うるしの基礎ができてきます。
私たちが知っている蒔絵や金蒔絵、さまざまなうるしの工芸品がうまれてくるのもこの時代です。

これも、うるし職人が役人として安定してめぐまれた生活を送るなかで、じっくり工芸品をつくっていくこたが可能になった、こうした条件がひとつの要因になっていると思われます。
やはり、国がこうした分野の文化にお金を使ったということが意味を持っていますね。
次回は第二期、鎌倉時代から江戸時代までをおってみます。

 

 

ありがとうございます

漆は中国やインドが原産とされるが、日本では古くから植栽されていました。
『以呂波字類抄』に、日本における漆塗りの起源として次のような話が載っています。
倭武皇子(やまとたけるのみこ)は、宇陀の阿貴山で猟をしていたとき大猪を射たが、仕留めることができなかった。
漆の木を折ってその汁を矢先に塗って再び射ると、とどめを刺すことができた。
そのとき、汁で皇子の手が黒く染まった。
部下に木の汁を集めさせ、持っていた物に塗ると美しく染まった。
そこでこの地を漆河原(現在の奈良県宇陀市大宇陀嬉河原)と名附け、漆の木が自生している曽爾郷に漆部造(ぬりべのみやつこ)を置いた。
倭武皇子が漆の原点?
それもいいでしょう。
とにもかくにも漆は古来から日本人にとって大切な一つでした。

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
日本酒好きの私、お猪口はもちろん漆器ですよ、みなさんも漆器の「マイ猪口」をお一ついかがですか。

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

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