ルイヴィトンもジャポニスム

1878年 万国博覧会
1878年、フランス・パリで、ルイ・ヴィトンにとって運命の出会いともいえるイベントが行われました。
それは――万国博覧会。
世界中の国々、そして5万以上の企業が出展したこの博覧会の中で、最も注目を浴びたパピリオンが実は日本館。
ここでヨーロッパに初めて紹介された、日本庭園や盆栽、版画そして陶磁器の数々…。
初めて目にした日本文化の美しさに、フランス人はもとより、ヨーロッパの人々はすっかり虜になってしまったのです。
もちろんルイや息子のジョルジュ・ヴィトンもその例外ではありませんでした。
こうして始まったのが日本ブーム…いわゆる「ジャポニズム」です。
実はこのジャポニズム、フランス文化に与えた影響は大きく、芝居やバレエはもちろんのこと、当時活躍していた画家ゴッホ、セザンヌ、ルノワール、モネなどはみな浮世絵などの日本文化の影響を強く受けたのです。
一方、この頃日本といえば、近藤勇の死からちょうど10年が経った明治11年。
伊藤博文や大隈重信が新しい日本の確立を目指して活躍していた時代でした。
海の向こうの遠い国では、日本人の知らない間に日本文化が大ブームとなっていたのです。
モノグラムと家紋
フランスでジャポニズムがかなりの盛り上がりを見せていた当時、2代目を継いだ、ジョルジュ・ヴィトンは新作を発表します。 それが「モノグラム」。 ルイ・ヴィトンのデザインを代表するといっても過言ではない、このモノグラムは、様々な文化の中でも、特に日本のある文化の影響を強く受けていると言われています。 それは「家紋」です。

ありがとうございます。
『ダミエ』は日本の市松模様をヒントにデザインされたそうです。 『モノグラム』は、日本の家紋をモチーフに作られたそうです。 そのなかの丸の中に星がデザインされたマークは、薩摩藩、島津家の家紋にヒントを得たというのです。 そういわれれば、ルイ・ヴィトンのデザインにはどこか懐かしさを感じていたな~と思い出されます。 現在、ルイ・ヴィトンの総売上の約3割が日本国内での売上だそうですが、日本人の潜在意識がほのかに香る和風テイストを嗅ぎ付けているのかも知れませんね。 ]]>コメント ( 0 )
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