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祓いということ  叔父の教え

祓いとは

こんにちは。
今日は叔父の教えです。

祓いとは、罪・穢を祓うということ。
罪・穢と言いますが、「つみ」というのは体を「包む身」という意味です。
「つみ」というのは泥棒したとか、そういうことではないのです。
このような当て字を書くからわからなくなるのです。
「つみ」という日本語は、すばらしい神さまからの体を包んで隠してしまうということです。
「けがれ」というのは、穢という字を書いていますが、汚いというのではなくて「気枯れ」です。
そういうもろもろが体についてしまったために、もともとのすばらしい姿が見えなくなった状態が、病気であると考えるわけです。
もとは変わっていません。
どんな泥水でも、水は変わっていません。
泥が混ざっただけだから、泥を取ったらまた澄んだ水になります。
人間の体も水と同じで、どんな病気が来ようと、もともとはすばらしい体であり、それに罪・穢という異物がくっついているだけなのだから、それを消せばもとの体が出てくると考えます。
これを行うのが祓いなのです。

罪・穢は全部「我」によっておこってきます。
我欲があるから、いわゆる病気になったり、いろいろ悩み、悲しみが出てくるのです。
だから、我欲を祓いなさいというのが「祓い」ということです。

 

ありがとうございます

「欲」って人類始まったときから持っていたのでしょうか。
他の生きものは欲を持っているのでしょうか。
多分、持っている欲は、家族のため、みんなのため、周りが幸せになりますようにっていう欲だったのではないでしょうか。
それがいつの間にか、私のという「我欲」が生まれてきたのでは。
話は変わるかもしれませんが、昔むかし、縄文時代の斧は田畑を耕し家族の大切な食糧を作る、獲物を獲るためだけの道具でした。
それが、弥生時代のころ大陸から人を傷つける、自分の欲を満たすために使われる道具となっていきました。
でも、大昔の古事記などに祓いという言葉が出てくるから、そのころから我欲があり自分自身が穢れていったのかもしれませんね。

どうしてこの地球上に人間はいるのでしょうか。
この星をよくするために神から知能を授かったのではないのかな。
それが今では、罪・穢れがたくさんの人間へと。
何かが違うのです。
そんなために私たちは生まれてくるのではないのです。
改めてこのような時に考えたいと思います。

もう年の瀬。
これからの毎日が、子供たち、孫たちにとってすてきな毎日となりますように。と。

いつも最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。

 

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