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「ますらおぶり」と「たおやめぶり」とは

「ますらおぶり」と「たおやめぶり」

こんにちは。

昨日載せた司馬遼太郎とドナルド・キーン氏の対談の中に出てくる、「ますらおぶり」と「たおやめぶり」。
学ばしていただきます。
四宮政治文化研究所さまのブログより

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「萬葉集」とは「ますらをぶり」の歌集

『萬葉集』とは「ますらをぶり」の歌集であると近世(江戸中期)國學者の賀茂真淵が主張した。
「ますらをぶり」とは、「男らしく」「日本男児らしく」といふほどの意で、「男性的で大らかな歌風」のことをいふ。
さらに、『古今和歌集』は以後の歌風を「たをやめぶり」(女性的で優雅な歌風)といった。
『萬葉集』の「ますらをぶり」の歌とは、この舎人皇子の御歌や防人の歌である。
そして、真淵は「ますらをぶり」とは大和の國を都とした時代(白鳳・天平時代)即ち萬葉時代の歌風であり、「たをやめぶり」は京都の文化であるとした。しかし、『萬葉集』を「ますらをぶり」だけの歌集だとすることはできない。
大伴家持の歌などにはむしろ平安朝の歌風に近い歌も数多くある。
それはともかく、賀茂真淵は、和歌は「すめらみくにの上つ世の姿」、つまり萬葉時代に帰らなければならないと主張した。
「ますらをぶり」の精神風土を尊重しなければいけないとした。
それは平安時代以来続いた「たをやめぶり」への反発であった。

 

真淵は現在の静岡県出身、東國の人であった。

そして、徳川吉宗の子の田安宗武の和歌の師であったので、武家の美學を昂揚させようとして「ますらをぶり」「萬葉ぶり」の復活を唱へた。
しかし、賀茂真淵の弟子の本居宣長は、『源氏物語』を高く評価し、「たをやめぶり」も日本の文化の大切な流れであるとした。
儒教や仏教の影響からか、武士たるもの、戀愛(れんあい)を文學にしてはならないといふやうな風潮が生まれた。
語ってもいけないといはれた。
「男女の愛」を文や歌に表現することは武士のやることではないとされるやうになった。
しかし、神話時代や古代日本においては、武士の元祖のやうな方であられる須佐之男命や日本武尊は、戦ひの歌・「ますらをぶ
り」の歌と共に、戀愛の歌を大いに歌はれた。
天智天皇・天武天皇そして藤原鎌足も戀歌を歌った。

 


(絵:豊頬の美人「鳥毛立女屏風」」部分)

 

わが國の「ますらを」は大いに戀愛をし、戀(こい)を歌った

須佐之男命が妻を娶られた時の喜びの歌である「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」(多くの雲が湧く。出で立つ雲の幾重もの垣。妻ぐるみ中に籠めるやうに幾重もの垣を作る。ああその八重垣よ、といふほどの意)は、和歌の発祥とされている。
古事記・萬葉の世界では、「武」「歌」「戀」の三つは一体なのである。
わが國文學は戀愛が大きな位置を占める。
男女の愛情を尊んだ。
『萬葉集』の戀愛歌・相聞歌を見ればそれは明らかである。

 

ありがとうございます

「ますらおぶり」の「ますらお」を漢字で書くと「益荒男」と書くそうです。
「大丈夫」とも書くそうですね。
びっくり!
古文では「心身のすぐれた強い男子」のこと。
「たおやめぶり」の「たおやめ」は「手弱女」と書くそうで、細身の優美な姿を現すそうです。
「男ぶり」と「女らしさ」
いつの世も男と女。
すてきに生きていきたいですね。
そういえば「益荒男」という日本酒があったな。
今宵は「益荒男」で一献だな。

今日も最後までお読みいただきまして、ありございました。
これからも宜しくお願いしますね。
すてきな日本を一緒に楽しみましょう。

 

参考
春日大社 藤のお話し
「もののふ」とは
「二十六夜待ち」 江戸の人たちの粋な遊び

 

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