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日本人の道徳を意識して。

 

世界の政治的経済的環境は激しく動いています。

そうしたなかで、これから日本の果たすべき役割はなんなのでしょうか。

最近よく言葉にすること、「もはや経済・お金の時代ではなく、心、目に見えないものまでにも感謝する思いの時代になる」と。

世界の中で日本の存在はじつに大きなものになってくるはずです。

そんな思いの中で改めて教えていただきました。

ジョージタウン大学教授のケビン・M・ドークさんの本「日本人が気付かない世界一素晴らしい国・日本」より。

 

 

西洋人は、日本の道徳に興味があります。

中国は儒教などの道徳がいろいろあるし、韓国は宗教に入信する人がたくさんいます。

ところが、日本だけは以前から、宗教という形式的な思想がなくても心を保つことができた。

それが不思議なのです。

「元寇は別にしても、他国から侵略を受けないで二千年間、この地で続いてきて、一つの社会としてまとまっている。ある意味では、最適な社会を長い年月かけて、みんながつくり上げてきた。だから、自然の道徳が世代を超えて伝わっていくのではないか。」

このような解説を聞いたことがありますが、たしかに二千年もの間、一つにまとまって続いたという国は、世界の中でほとんど例がないだろうと思います。

では、日本人の道徳は何をもとにしているのでしょうか。

十六世紀に来日した宣教師のフランシスコ・ザビエルは「世界中で日本人ほど正しい生活をしている人間はいなかった」と言っています。

日本人は侍から商人まで、「潔さ」「嘘をつかない」「人に恥じない行為」などの道徳を身につけていた。

親から教わったり、家庭で躾がなされるということがかかわっていると思いますが、その根源となるものは何か。

カトリック教徒の私は、この点に大きな関心を抱きました。

ある日本人に質問してみたところ、「日本人は自分を見ている目というものを意識している感じがする」とおっしゃった。

では、「自分を見ている目への意識」は自然に湧き上がるのか、教育されて生じるのか。

この再度の質問に、「儒教的な要素が多いのではないか、天知る、地知る、君知る、われ知る、という四知(しち)の教えというものがある。自分の行いを四つの目が見ている」とその方は答えました。

でも、日本が儒教を導入する以前から、その意識は日本人にあったのではないかと私は感じます。

また、儒教が強い国、たとえば韓国では、日本人ほどそういう感覚はない。

このことを尋ねると、「儒教という窮屈な教えを輸入するとき、日本人は自分流に当てはめた、それがうまくフィットしたのだろう」とその方は指摘しました。

別の言い方をすれば、「日本的に儒教を引き受けた」というわけです。

この説明に、私は納得しました。

明治維新以後、近代化の強いショックを乗り越え、昔からの道徳を何らかの形で持続した。

こえは奇跡と言ってもいい。

ただ、これまで日本は道徳を形式的に伝えていなかったとしても、それが今後も続けられるのかどうか。

教会という制度がなく、学校ではそういう修身的な教育ができない日本で、次の世代にそれをどう伝えるかが問題だと私は思います。

このような問題意識を持ったのは、日本の文化がアメリカの文化に強く影響され、最近は道徳性が薄くなっていて世俗主義な生き方が蔓延しているように感じるからです。

アメリカと同様に、若い父母があまり道徳的なことを意識して伝えないとしたら日本の将来はどうなるのか、と不安を覚えます。

(文:ジョージタウン大学教授・ケビン・M・ドーク著 「日本人が気付かない世界一素晴らしい国・日本」より)

 

日本人は古より大陸から渡ってくる文化を始め、あらゆるものを日本流、自分流に当てはめてきました。

しかし現代社会ては、日本流にすることなく憧れとしてとらえそのまま取り入れ、いつの間にか日本的道徳感が忘れ去られてきたのではないでしょうか。

そのような今だからこそ、古き良き日本人の道徳、心を思い出し、自信をもって大切にしていきたいです。

思いのある人が先ず一歩を、とっても大切な和の心を一歩。

そう、この一歩を踏み出す人が多くなってきました。

本当にありがたいことです。

素敵な日本に感謝!

 

 

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