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二條さま 古事記のお話しの2 第三話の3

炭水化物、これが『ウマシアシカビヒコジノカミ』

「二條さま 古事記のお話しの2 第三話の2」からの続きです。

ここでまた問題が生じるんです。
現代はエアコンがありますが、今日のような真夏、日本はどこも暑くて湿気が多い。
湿気が毒だったんです。
小麦は、腐ると毒なんです。
すぐカビてしまいます。
折角育てたのに、すぐ毒になって死んでしまう。
本人達は毒なんて分からず食べてしまうので仕方がないんですが。
ある時、河原で、もっとズボラな人達が別の「のぎ(芒)」を育てていたんです。
それは、河原の中洲あたりでパラパラッと撒いておいたら自然に芽が出て、秋になると実って、小麦ほど量は採れないんだけど、小麦のようなものが採れる。それは、撒いておくだけなんだから、もっとズボラだったわけです。
水に囲ってパラパラッと撒いておいたら小麦みたいにザーッと出て来て、台風にやられちゃうけど、ちゃんと囲ったら小麦のようなものになる。そしてそれを食べたら、甘い。
「あれ、なんか良さそうだぞ」という。
寝てても作れるという、普段は狩猟をしなくてはいけないんだけれども、撒いて半年経ったら小麦のようなものが採れる。
これが、米だったんです。

ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

 

お米がとれました

もちろん、ここにお百姓をやったことがあられる方も沢山いるでしょうから、「いや米だとか小麦って沢山手がかかるよ。」と仰る方もいると思います。
その通りなんですけれども、最初はそんなものだったんです。
生産性を上げる為にどんどん手をかけていっただけ。
まず一番最初はただパラパラッと撒いておいただけなんです。
そうしたら、湿気にも強かった。
腐ったら別の食べ物になったんです。
炊いといてちょっと置いておいたら、なんかちょっとカビちゃったよという話になったんだけど、カビちゃったら今度、なんか知らないけどそれをちょっとペロッと舐めたら、痛みがとれる。
体も温かくなる。
というような物が出来ちゃう。
というようなものを作っちゃったんです。
これまた情報がバーッと広がります。
皆さんがよくご存知の米ということになるんですよね。
言わんや、小麦や米と呼ばれているような炭水化物、これが、『ウマシアシカビヒコジノカミ』ということになります。
そしてこれは、人間しか育てていないものなんです。

<余談>
今だ自然界で、猿とかミーアキャットとかアリが稲を育てたという話は聞いたことがないので、まだ人間だけだと思うんですけれども。
笑い事じゃないの。
やつらも勉強して、もしかしたら育てるかもしれないんですよ。
「猿の惑星」だって、あながちない話じゃないですよ。

 

 

ゴボウは日本人だけが食べる

そしてこれは、全然我々の生活から離れたところ、いわゆる炭水化物というのは、我々にパラサイトしたという風に考えてもいい。
と考えると、ミトコンドリアと同じような働きをしているということです。
では、どんな風に我々はそれを扱っているだろうか。
多分、ナイル川のほとりで芒(のぎ)を焼いた時に、周りにあった木の根っこも焼けて、木の根っこも食べてみたら、やはりちょっと元気が出る。
生ではちょっと食べられないんだけれど、木や草の根っこも焼いて戴くことによって、芒(のぎ)と同じ効果がある。
これはだから、お芋類とかごぼうみたいなものでしょう。
最も、ゴボウを食べるのは日本人だけらしいですが。

<余談>
外国の人に言わせると、根っこ食べている国民だという風に思われてるらしいです。
外国の方にごぼうを出すと、「これ何ですか?」と言われますし、問題になった事もあるんですよね。
確か、大東亜戦争の時に、収容所でゴボウを出してC級戦犯になったという人達がいるそうです。
日本人が、オランダの収容所で捕虜に木の根っこを出した事が、外国人には「虐待された。」となるのですね。
あんな美味しいものをね。

 

四六時中、食べることしか考えてない日本人

私も少し外国に留学していたことがありまして、東洋人の寮に入ったのですが、友達が、「お前ら日本人は食べることしか考えてないのか。」って言うんです。
「『今日何食べる?夜何食べる?』ってすぐ聞くよな。」って。
でも私達は夜は何をいただこうかって重要なことですよね。
だけど外国の方は、パンとスープがあれば別にいいそうですよ。
私たちにはないでしょ。
今日ご飯を食べたら明日はおそうめん、
その次の日もおそうめん、その次の日はお鍋、みたいなね。
何を戴くかという事はとても重要じゃないですか。
その中にあって、好奇心というものが日本人の食を掘り下げていくんですよ。
中華料理って、椅子の足と飛行機以外は全部食べるってよく言うでしょう。
日本の料理って、実は江戸時代にものすごく爆発的な発展を遂げるんです。
どのぐらい発展を遂げるかというと、卵料理を一例に挙げると、卵料理の本が江戸時代に出版されるんです。
出版と言っても木版ですが、一冊にどのぐらいのレシピが載っていたかというと、700だそうです。
卵だけで700種類のレシピが考えられたんです。
そして、日本人は何でも食べるでしょう?
食べられないものは、とりあえず天ぷらにしてみる、という。地方の料理で、天ぷらって出てくるでしょう?
これアシタバの天ぷらです、とか、なんとかの天ぷらです、と天ぷらにしてしまえば何でも食べられちゃうんです。
水分を蒸発させることによって、天ぷらにまでして食べちゃうという、日本人はとにかく食べることには長けてるんですね。
私は外国の友人に、「本当に四六時中、食べることしか考えてないんだね。」と言われて、はたと考えましたね。
本当にそうだな、と。
小さい頃から、家に帰ったら、「ママ、今日のご飯は何?」と聞いたというね。

 

 

お米一粒一粒の中に神さんがいる

「何?」というのは、「What」がもう必ず食になっているという、この好奇心というのが実は、『ウマシアシカビヒコジノカミ』なのです。
これは祭儀にも出ているわけです。
お祭り、ないしは自分の家にある神棚でお供えするものといえば、順番で言うと最初は水、その次はお塩、お皿が出来てお塩が出来て。
その次にあげるものと言ったら、お米ですよね。
うちは、神饌といって調理したものを神様に捧げるのですが、一番重要なのは、やっぱりお米です。
毎回あげます。
毎回あげると言っても、私は今あちこちに行っていまして、月の半分は家にいないこともあるんです。
そうすると、月の半分は家でご飯がいただけないんですが、それでも家でいただく時は毎回あげます。
私は人とご飯を食べるが本当は苦手なんです。
喋りながらものを戴くと言うのは、私の子供の頃はあり得なかったんです。
とにかくもう、「ご飯を戴いている時には黙って食べなさい。」
喋ったら父親から張り倒されたもんですよ。
ここにいる少年達の時代は、「ママ、美味しいね。」って言わないとお母さん達に怒られちゃってね、お母さん達も、「今日は学校で何やってたんだ。」と聞くんだろうけど、私たちの子供の頃は、食卓に座ったらもう絶対に話しちゃいけなかったんです。
とにかく食べることに集中しなさい、お米は20回噛みなさい、この一粒一粒の中に神さんがいると教わったんです。
茶碗の中にご飯粒でも残そうものなら大変だったんですよ。
最後にお茶が出てくるんです。
そのお茶を茶碗に流し込んで、沢庵でちゃんと綺麗に茶碗を洗って、お箸についているご飯も全部綺麗にして全部飲む。
私が生まれて少し経ってから、ガス炊飯器というのが出来たんです。
私が子供の頃はおひつもあったんですけど、ガス炊飯器で炊くと下におこげが出来るんです。
そのおこげに最後にお湯を入れてみんなで飲む。
それまで食べたんです。

 

 

私達はご飯を大切にしてきた

私はキャンプの時すごく嬉しかったんです。
飯盒炊飯でご飯を炊くと下が焦げるんですが、焦げた部分は川で洗って流しちゃっていいと言う話になって、下のおこげは食べなくて良かったので親がいないから全部流しちゃっていました。
私はガス釜についてる焦げを食べさせられるのが、実は本当に苦手だったんです。
でも、お年寄り達は、美味しい美味しいご飯は焦げたのが美味しいと言って、とにかく私の子供の頃はお米を大切にしたものなんですよ。
だから今でもその癖が残っています。
私は住んでいるのが横浜なもんですから、新幹線に乗せて頂くと必ず、どんな時間に乗っても崎陽軒の焼売弁当を買って食べるんです。
崎陽軒の焼売弁当って、経木(きょうぎ)という杉の板を薄くスライスした入れ物に入ってるんですよ。
崎陽軒の社長がこだわっていて絶対に杉なんです。
そうすると、ご飯が入っていると丁度水分が取られていい具合になるんです。
ただ、それで経木(きょうぎ)にご飯がビタっとくっついちゃうんです。
だけど貧乏臭く上についている蓋についてるご飯つぶまで食べちゃうから、本当に子供の頃についた癖というのは恥ずかしいけど、でもそれが恥ずかしいという話じゃない時代だったんですよ。
それほどまでにして、私達はご飯を大切にしてきたということなんです。

 

炊けたご飯の真ん中は神様に

そして、それをまず神様にお供えする。
ご飯をお供えする時のやり方ですが、うちはかっちり決まりがあります。
ガス釜でご飯を炊いた時、天地返しといって、炊いたら上と下をひっくり返さなくちゃならない。
すぐさまひっくり返して上の水分を下に閉じ込めるので、一回ひっくり返すのですが、その前に神様の分を取りますよね。
うちは、まず縦線を入れます。
そして横線を入れて、交差した中央の部分のお米を取ることになっています。
このやり方もすごく古代的です。
まるで、西洋の人が肉を取り分ける時に、主が取り分けるかのようです。
西洋の人達は、牛肉や豚肉を丸焼きにすると、その家の当主が、「お前はここ」「お前はここ」と言って配って歩くんです。
文句は言わない。
これもそうなんです。
4つに分けたというのは、この部分はお前ん家のもの、この部分はお前ん家のもの、この部分はお前ん家のもの、この部分はお前ん家のもの。
なんだけど、「一番最初に全員で真ん中の部分を出そう。これは神さんにやろう。」っていう事です。
だから、神事でも何でもなく、弥生時代とかそういう時代の分配の方法が、ここでもちゃんと残されているというか、多分、お母さんやおばあちゃんやひいおばあちゃんの時代は、きっとこういう事をしてたんです。
例えば、おしゃもじの所作で井桁(いげた)に切り、真ん中の部分を取ったりするという家もあるし、仏様は角だけ戴く。
それはうちの家の人間だからここの角だけ取って、神様は真ん中。
そういう家もあったりするかもしれないけど、一番最初の部分を神様にあげる。
これは、「とにかくこの『ウマシアシカビヒコジノカミ』にまずは捧げる」という神事が、今やっている神事でも残っているという事なんです。
我が家でもお米食べたならやってみようと思われたら、やってみるにあたって、どこから取るかと考えたら参考にして下さい。

 

 

日本人のDNAはウマシアシカビヒコジノカミのお力

我々は食べることしか考えてない民族、それで結構です。
実は皆さんもご存知の通り、日本食は世界遺産に登録されています。
隣の韓国も食べ物で世界遺産があるんです。
キムチです。
例えばトルコに行ったら、シシカバブー。
スペインに行ったら、バスク。
イタリアに行ったら、トマト料理。
という風に、食べ物は沢山世界遺産に登録されていますが、北は北海道、南は沖縄まで、我々が普段食べているもの全てを登録されているのは、日本食だけです。
だから、お母さんが作ってくれたお味噌汁も、おばあちゃんが作ってくれたおはぎも、私が作るそうめんも、日本食はみんな世界遺産なわけです。
パン食だって悪くないし、ジャムパンやアンパン、クリームパンも、もうあれは日本食ですよね。
私たちは食べ物の話をすると尽きないのですよ。
これが、どこのお店とか、なんとかシェフが作ったという話じゃなく、パンの話だけでも盛り上がることが出来る民族なんです。
この民族の、そのDNAは、先ほど話した、パラサイトされたミトコンドリア、『ウマシアシカビヒコジノカミ』のお力なんです。
よく覚えておいて頂きたいと思います。
巴投げのようにお話しましたが、この『ウマシアシカビヒコジノカミ』の話をしようと思うと、2時間や3時間では済まないんです。
これはパラサイトの話ですから。
私は子供の時に思いました。
「じゃあ、どこから来たの?」と。
どこから来たかと言う話は、また次の回にさせて頂きたいと思います。

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
この続きをお楽しみに。

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld

 

 

 

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