本 ハーバード白熱日本史教室 著:北川智子さん
今日届いた(遅い!)衆議院選挙公報を読むと、各政党の主張には「日本を賢く強くする」とか「日本を、取り戻す。」などなど、「日本を〜」という文脈に溢れていまました。
日本国の選挙なので当たり前のことですけどね。
でも私は、当たり前のことである「日本」という言葉が気になってしかたないのです。
つまり、「日本」という言葉が示している空間的・時間的なイメージはけっこう曖昧なんだなぁと、「日本」と表現されているものを見るとそう思うのです。
つまり、理念の数だけ「日本」があるということでしょうね。
「日本」のこと、「日本」という言葉についてときどき思ったり考えたりしているのときには、いろんな本を読んだりします。
その一つが、数ヶ月前に読んだ「ハーバード白熱日本史教室」です。新書版だし、講義内容のエッセンスを書いてあるので時間的にも読みやすいというのも理由で購入しました。
「ハーバード大学白熱日本史」は、北川智子さんという日本中世史と中世数学史(読んでみたい気にさせますね)を専門とする学者さんが、ハーバード大学東アジア学部レクチャラーとして講義した内容をダイジェストにして書いた本です。
本の概要は「日本史を書き換える」というものです。
どう書き換えるかというと、「日本史は男性だけの<半分史>にとどまっている」ので、「どのように男性と女性が日本の歴史をつくってきたか」という視点から再構築するというものです。
その内容よりも不思議で驚いたのは、バーバード大学でおこなわれている人気の日本史が「サムライを中心とした講義」だったことです。
「ザ・サムライ」という講義名なんですって。「サムライ」は人気なんですね。
それを日本史の講義としておこなっているのは、正直、何だかなぁと思いますね。
彼女はそれに対して「Lady Samurai」という講義名にして、特に豊臣秀吉の妻の北政所ねい(ねね)を取り上げて講義を展開したようです。
こういう視点で歴史を語り直すのは今までもあったことで、特に珍しいことではないですが、私は、これをハーバード大学でおこなったということに興味をもったのです。講義はとても人気があったようで、毎回教室には溢れんばかりの学生が詰めかけたようです。
講義録を掲載してないので詳細はわかりませんが、「武士道」や「切腹」などについての記述を読むと、「武士道」は新渡戸稲造によって「創造された日本らしさの象徴」であるとしたり、日本史における「死」について「殺される性ー男性、殺されない性ー女性」と分析したり、構造主義的な解釈をやっているように感じました。
「日本の歴史は武士道がメインではない」をテーマにした講義が、未来のアメリカのエリート層を形成するハーバード大学で人気になっているということは、たいへん評価すべきだと思います。 興味のある方は読んでみてください。
著者の彼女が日本中世史の学者であることを知って、在野の歴史研究者だった網野善彦さんの著作を思い出しました。
網野さんは、天皇を頂点とする農耕民の均質な国家とされてきたそれまでの日本像に疑問を投げかけた日本中世史研究です。
思いだした本は「無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和」です。歌舞伎などの芸能に興味のある方には一読をお勧めする本です。 ここにも、正史にはない「日本」が描かれています。
それにしても「日本」というイメージは、何でこんなにつかみにくいのでしょうか。
まさに「不思議、ニッポン」ですね。 異なる「日本像」がいくつもあって、それぞれにはある種の正当性があり、納得するところもある。
それらに通底しているものに「ニッポン、イイね!」があると思っているので、私の「日本」への興味はつきないのでしょうね。
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
ありがとうを世界中に
Arigato all over the World