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因果応報 よい行いをすればよい報いがあります

 

こんにちは。

 

今日から10月、お元気でいらっしゃいますか。

この週末は楽しく過ごされましたか。

「ありがとう」はいっぱいありましたか。

毎日の暮らしの中で、仕事の中で、いろいろな成果、結果がありますが、すべての成果は、人の協力、サポートの上に成り立ってます。

しかし、そのことを忘れがちになりませんか。

だからこそ、「ありがとう」探しをしてみてください。

いっぱいあるのに気付いていないかも。

今日も、昨日に引き続き、曹洞宗徳雄山建功寺住職の枡野俊明さまのご本「禅、比べない生活」より「因果応報」のお話し。

 

「因果応報」

 

仏教には「因果応報」という有名な言葉があります。

知っている人も多いかと思いますが、よい行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば、悪い報いがある、という意味ですね。

これは、仏教が説く「真理」であり、誰もそこから逃れることはできません。

独り占めの人、横取りの人にも報いにさらされるときがやってきます。

今回、「小さな勝ち」にこだわったために、次の時にはまわりから総スカンを食らい、協力、サポートを得られなくなって、まったく成果を出せない。

そんな結果となるのです。

そこでハッと気づいたとしても、すでにあとの祭りです。

多くに人に支えられて自分は生きているのだと、という「真理」をいつも心に留めておくことが大切です。

たとえ、自分が苦労を重ねてできたことも、そこにこぎ着けるまでに、まわりからいくつもの協力、サポートがあったはずです。

そこに思いを馳せれば、たくさんの人の支えがあって、「自分は今を過ごさせていただいている」という気持ちがわいてきませんか?

素直に「ありがとうございます」「おかげさま」といえないでしょうか。

感謝の気持ちを伝えられる人、「ありがとうございます」「おかげさま」といえる人には、周囲の協力やサポートが集まってきます。

成果を出した喜びをみんなで分かち合うことができるのです。

それでもまだ、一人だけ「寂しい勝利の美酒」に酔いたいですか。

 

「悟臭(ごしゅう)」

 

また、禅語に「悟臭」というものがあります。

修業を積んで高い心の境地に達すると、「私は人よりこんなに高みにいるのだ」という「臭気」が漂ってしまうことがあります。

それが「悟臭」で、けっして発してはならないものとされています。

庭でも、「見てください、ここまで計算し尽くしていますよ」ということを感じさせてしまったら、まさしく「悟臭」を放っていることになります。

眺めていると自然に穏やかな気持ちになる、ただただ心地よさを感じる。

そうでなくてはいけません。

そのときいちばん廃すべきは、「野心」なのです。

「勝ち」を意識すると、「悟臭」が噴き出します。

そうすると、見ている人が、「立派な庭ですけど、なんか居心地が悪いな」と感じてしまうのです。

これは、あらゆることに共通しています。

「ほら、ここまでやったのだ。誰にも負けていないだろう」ということを感じさせたら、受け取る側は辟易してしまいます。

ただ、すばらしい行いだな、気持ちのよい振る舞いだな、心からあたたかくなる言葉だな・・・ということを感じられるのが理想です。

野心にとらわれているあいだは、生臭い臭気を放ち続けるのです。

 

ありがとうございます。

 

生きているって怒られるかもしれませんが、「面白い」ですね。

何で生きているのでしょうね。

「妬み」「やっかみ」「ひがみ」がいつもいつも。

「敗けられない」と他人のことはお構いなしで一生懸命。

お釈迦さまは、そんな現世が嫌になって修行の旅に出たとか。

何千年たとうが一つも変わらない、この世。

宇宙時間で見ると、一秒にもならない人生を身体を酷使して、頭も使いまくって、突かれたとバタンキュー。

本当にお疲れさまですね。

神さまは、このように疲れる人生を送りなさいとおっしゃってるのでしょうか。

いやいや、楽しく過ごしたいですね。

そう、周りの人も喜び、その喜びが自分の喜びとできるように楽しく過ごしたいです。

立った一度の人生、楽しく楽しく、みんなと楽しく一緒にすごしたいですね。

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。

浄住寺にお越しいただきますと、現世と違う時間が流れているかもしれませんよ。

現世を忘れたい時は、いつでもお越しください。

 

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