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毘盧舎那仏の役割・由来・見られる寺院

奈良の大仏

こんにちは。
日本を代表する観光地、奈良県の東大寺にある「奈良の大仏」はいつも修学旅行生や観光客に囲まれています。
賑やかな人々をそっと見守っている奈良の大仏こそが「毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)」です。
多くの人が一度は見た事があるであろう、毘盧舎那仏についてお話しします。

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毘盧舎那仏の由来・役割

毘盧舎那仏のお話をする前に、仏教の宗派について触れておきます。
仏教の世界には色々な考え方があり、それによっていくつかのグループに分かれています。これが所謂「宗派」というもので、毘盧舎那仏は仏教の「華厳宗」という一宗派の中で崇められている仏様です。
その華厳宗が日本に伝わったのは8世紀。
日本は聖武天皇が世の中を治めている奈良時代でした。
当時、政変や天変地異があり、天然痘も流行っていました。
様々な災いを憂えた聖武天皇が、それらを取り払おうと華厳宗の教主である毘盧舎那仏の建造をすすめたのです。
東大寺の毘盧舎那仏は752年に完成し、造立には延べにして当時の人口の半分が関わったと言われています。
華厳宗の教えが鎮護国家的役割を担い、毘盧舎那仏が世の中の人々の混乱を鎮めていったのです。
毘盧舎那仏は、サンスクリット語の「ヴァイローチャナ」という言葉の音だけを文字にしたもので、「光明遍照(あまねく照らす光の仏様)」という意味をもっています。
宇宙の中心から、太陽のように世の中全てを照らし続けているのが毘盧舎那仏です。
宇宙全体を司る仏様で、宇宙仏とも言われています。
毘盧舎那仏がさらに発展したものが大日如来であるという考え方もありますが、その捉え方には諸説あります。
華厳宗の経典は仏教の中でも特に難しい考え方であり、毘盧舎那仏は悟りそのものだとも言われています。
悟りというもの自体には形が無く、言葉で教えを説くことが無いので、毘盧舎那仏は別名「沈黙の仏」とも呼ばれています。

 

 

毘盧舎那仏の御神徳・ご利益

奈良の大仏に代表される毘盧舎那仏は、右手に施無畏印(せむいいん)、左手に与願印(よがんいん)を結んでいます
この印相は「恐れることはない、願いを叶えてあげましょう」という意味で、私たちの迷いや悩みを救って下さいます。
また、華厳宗の教えは一人一人が心の繋がりを大切にし、生きとし生けるものの繁栄を願っています。毘盧舎那仏はそのような慈悲深い経典の仏様ですので、広く「現世安穏・所願成就」などのご利益を授かることができます。
東大寺の大仏殿にある柱の一つに、穴が開いている柱があります。
この穴をくぐることは「柱くぐり」と呼ばれ、観光客に人気です。
ここをくぐると、無病息災のご利益があると言われています。

 

毘盧舎那仏の像容

後にも詳しく述べますが、毘盧舎那仏が見られる寺院は多くありません。
毘盧舎那仏は毘盧舎那如来とも呼ばれますので如来のお姿をしています。
加えて、毘盧舎那仏だけの特徴というものがありませんので、姿形は釈迦如来と区別がつきません。
ですので、一見しただけでは毘盧舎那仏だと見分けることは困難だと言えます。
毘盧舎那仏と言えば奈良の大仏と言われていますので、今回は奈良の大仏の像容について詳しくお話しします。
奈良の大仏は、まずその大きさに圧倒されます。
モデルは中国洛陽の龍門奉先寺の大毘盧舎那仏と言われています。
中国の毘盧舎那仏も座高が約17メートルあります。
この大きさの仏像をモデルに造営されたのであれば、奈良の大仏の大きさにも納得がいきます。
奈良の大仏は、座高が約15メートル、顔の長さが約5メートルもあり、これだけでも圧巻のスケールです。
さらに、目の長さは約1メートル、手のひらの長さが約1.5メートルあります。
この数値より、手のひらの上は大人の一人が横になれるくらいに大きいということがイメージできます。
奈良の大仏の螺髪(らほつ)は1つの大きさが、直径約22センチ、高さ約21センチ、重さは約1.2キロあると言われています。
ニュースにも取り上げられていましたが、奈良の大仏の螺髪の数は最近になって訂正されました。
それまで螺髪の数は966個であるというのが定説になっており、これは平安時代からそのように伝えられていました。
しかし、拝観者からの質問が多いことを受け、最新技術を使って計測し直した結果、その数は492個であると判明しました。
なぜ「966」という数字が出てきたのかは、まだ詳らかになっていません。

 

毘盧舎那仏が見られる有名寺院

華厳宗は奈良時代に繁栄したものの、その後は衰退の一途を辿っていきます。
そのため、毘盧舎那仏が現存する寺院は多くありません。
代表的なものと言えば、先にもご紹介した奈良県東大寺の大仏殿に安置されている毘盧舎那仏です。
ただし、今見られる東大寺の毘盧舎那仏は江戸時代に再建されたものです。
創建当時は、東北で発見された金が使われ、全身に金箔が張り巡らされていたと言われています。
855年の地震により仏頭が落下、1180年の戦火で大仏殿が焼失、1567年に再び大仏殿が焼けてしまい長らく雨ざらしとなっていました。
その後、1692年に大仏が修理され開眼供養会が行われました。
幾度かの修復を経て今のお姿になっていますが、創建当時のまま残っているものもあります。
その中の1つが、大仏が鎮座する直径18メートルの蓮華座と呼ばれる台座です。
花びらのような28枚の蓮弁で囲まれ、一枚一枚に華厳経の世界が絵図で表現されています。
奈良時代の歴史を感じられる貴重なものです。

奈良の大仏が圧倒的に有名ですが、同じく奈良県にある唐招提寺金堂の本尊にも毘盧舎那仏があります。
唐招提寺の毘盧舎那仏は国宝になっており、当時の仏像作りの主流であった乾漆像という技法で作られたものです。
他に、761年に創建された福岡県太宰府にある戒壇院にも、本尊として木造の毘盧舎那仏が安置されています。
毘盧舎那仏を本尊とする東大寺・唐招提寺・戒壇院の3つは、全て鑑真和上に縁のあるお寺です。
毘盧舎那仏が作られていた時代と鑑真和上には、深い関わりがあると言われています。
さらには、京都府の欣浄寺や長崎県の晧台寺、山口県防府市の国分寺にも毘盧舎那仏象が安置されています。
山口県の毘盧舎那仏の特徴は、大日如来の特徴でもある智拳印という印相を結んでいることです。

 

ありがとうございます

奈良の大仏を見たことがある方もそうでない方も、毘盧舎那仏に少し親しみを感じて頂けたのではないでしょうか。
毘盧舎那仏の堂々としながらも優しい佇まいは、折に触れて拝見したいものです。
何度見ても新しい感動があると言われる奈良の大仏に会いに、東大寺を訪れてみるのもいいかもしれません。

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

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