ときめき☆歌舞伎 第66回
香りと歌舞伎
3月25日、葉室山浄住寺で「日本の香り文化体験」のイベントがありました。
わたくしは、事務局として参加してきました。
日本での香りの歴史は古く、奈良時代から。
歌舞伎にも、ちらちらっと登場しています。
いつもより、マニアックですがよければどうぞ。
(画題:「浮世の流行おそのまゝに 伽羅先代萩 加賀ツ原薩摩座」、絵師:二代目広重)
◆お薬から戦争まで? 日本の香りの歴史
写真は、イベントで参加者さんにお見せした香りの材料。
多くが植物で、一部動物性のものがあります。
漢方薬みたい?
そうなんです! もともと「薬」として海を渡って入ってきたものです。
日本の香りの歴史は、
595年(推古天皇の時代)、淡路島にひとかかえもある木が流れ着いて、
住民が薪として燃やしたらよい香りがした。
びっくりして聖徳太子へ献上し、たずねたら「伽羅である」と答えた。
というのが、始まりとなっています。
真偽はいろいろ言われていますが、
1400年くらい昔から日本には、香りの文化がある
というのは、確かなようです。
たくさんある香りの中で、
「最もよい香り」と、されているのは「伽羅(きゃら)」という香木です。
「伽羅」は、「沈香(じんこう)」と言われる
東南アジアの樹で、樹液が多くある樹です。
樹が傷つけられると、菌などから身を守るため樹液を分泌します。
沈香は生を終えて、枯れ朽ちて何百年も地中に埋まったものが
掘り起こされたもの。
その長い年月をかけて樹液が固まり、独特の香りを持った枯れ木になるんですね。
東南アジアのどの辺りか?
何年(何百年?)埋まっていたのか?
どういう状態で埋まっていたのか?
条件によって、香りがすべて異なります。
神秘的ですね~☆
沈香を6つにランク別けし、最高級の香りが「伽羅」と呼ばれています。
舶来品であり、毎年生産できるものではないので
かなり高価です。
足利義政、織田信長など、その香りに魅了された武将は、たくさん!
戦国時代は、よりよい香木を求めて香木戦争まで起こっているのですよ。
◆歌舞伎の中にも、香りがいろいろ!
歌舞伎の演目でタイトルに香りが入っているのは
「十種香(じゅっしゅこう)」、「傾城反魂香(けいせいはんごんこう)」
そして、「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」などがあります。
「加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」、
「仮名手本忠臣蔵」では、「蘭者待(らんじゃたい)」という名香が出てきます。
加賀見山は、中老尾上と局岩藤というふたりの女性が登場します。
お殿様から「蘭者待」を預かった尾上。
その「蘭者待」を盗み、尾上を追い詰め、のし上がろうとする岩藤。
命を懸けた女の戦い。
怖~い!!
忠臣蔵は、大序(だいじょ 一幕目)で「兜改め」が行われます。
たくさんの兜の中から、新田義貞の兜を探すように命じられるのですが、
その手がかりになるのが「蘭者待」。
武士は、死に際まで美しく!
新田義貞は、首が飛んでもよい香りがするように、
兜に「蘭者待」を忍ばせていたという!
しかし、ここから塩屋判官(浅野匠守)と伯耆国の家臣(赤穂藩士)の
悲劇が始まっていきます。
舞台演出で香りをたくこともあります。
「寺子屋」では、お焼香を上げます。
松王丸の幼子が、管秀才(菅原道真の子)の身代わりとなって殺されてしまいます。
首は、藤原時平の元へ。
残った胴体が駕籠に乗せられ、松王丸夫婦と源蔵夫婦が悼み
最後の別れの儀式を行います。
劇場全体にお焼香の香りが広がり、
悲しみがいっそう深まるのです。
ほかには、
江戸随一の男前の助六は、
お金の力で揚巻(助六の恋人)を手に入れようとする意休に
「伽羅くせぇ、おやじだ」と嫌味を言い捨てます(笑)。
意休は、常に香炉を持ち歩いていて伽羅を焚いています!
(写真の右端にほんの、ちょこっと写っているのが意休の香炉)
お金持ち!!
のちのち、この香炉が物語の重要な役目を果たすのですが
今回は、やめときます。
香りは、いろいろな使われかたをしていますね。
◆浄住寺も香りに巻き込まれた?
今回の「日本の香り文化体験」で使わせてもらった
葉室山浄住寺の方丈は、「伽羅先代萩」の「御殿」なんです!
第44回 お芝居の地へ「伽羅先代萩」
https://wanosuteki.jp/post_15427
「伽羅先代萩」は伊達家のお家騒動を書いたお芝居ですが、
その発端は足利頼兼(伊達綱宗)の放蕩から。
昼間から高尾太夫に入り浸り。
けどねこのお殿様、お洒落でかっこいいんです☆
紫地に竹の刺繍のお召し物。(伊達家の紋が「竹に雀」なので)
履いている下駄が、
な、な、なんと 「伽羅」で作られたもの!
そうです!
ここからタイトルの「伽羅」があてられています。
「きゃら」と読ませず「めいぼく」と読ませるところが、ニクイですよね☆
伽羅→名香→名木 ですね。
ちなみに「先代」は、「仙台」。
「萩」は、仙台藩の花。
もし、現代で伽羅の下駄をつくったとしたら
1000万円は、超える?
そりゃ~、そんな贅沢していたら・・・ねぇ。
お家騒動も仕方がないかな。
2歳で藩主になった亀千代(四代藩主伊達綱村)は、
命を狙われながらも立派に成長しました。
政岡のような優秀な家来が育てたのかな?
そして、尊敬する学問の先生が浄住寺の鉄牛禅師!
幼少のころに過ごした江戸屋敷を浄住寺に寄進しました。
父綱宗が伽羅の下駄を履いていなければ、
浄住寺の方丈は違う建物だったかも?
って、何か無理やり?(笑)
おまけ。
葉室山浄住寺にて香を聞く、葉室さん。
ありがとうを世界中に
Arigato all over the World