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「喫茶去(きっさこ)」 一杯のお茶で心にゆとりを

 

一杯のお茶で心のゆとりを

こんにちは。

木枯らしが吹き、寒くなってきた朝は一番茶で一杯。
私的に美味しいお煎茶の入れ方。
1.沸騰したお湯を急須に入れて、急須を温めてそのお湯を湯飲みに入れます。
2.温まった急須にお茶葉を多めに入れて少し蒸して香りを楽しみます。
3.お茶葉を入れた急須に湯のみのお湯を入れて1分(お茶の葉によって時間はまちまち)ほど待ってから湯飲みに。
いかがでしょうか。

温かくなった湯飲みを両手で持って手も暖か。
ちょっと暑いから「ふっー」ってしながら、一番茶を一服。
是非ともペットボトルや缶のお茶ではなく急須でお茶をお楽しみください。

この一杯のお茶を楽しむことで、心にゆとりができますよ。
今日は、私が尊敬する大先輩の有馬頼底さんが書かれた「60歳からへたれない生き方」という本にお茶の楽しみが書かれてましたので、みなさまと一緒に。

 

「喫茶去」

目の前のことに心を込めて丁寧に向き合うといっても、一日中、朝から晩まで気を張っていることはできるものではありません。
やはり、一息入れる時間が必要です。
そんなときに口にする一杯のお茶は、何ともいえんものがありますな。
ホッとするというか、なごむというか・・・。

禅語に、「喫茶去(きっさこ)」ということばがあります。
「さ、お茶でも飲みましょう」という意味です。
唐の時代に名を成した趙州和尚は、教えを求めてやってくる修行僧に、「お前さんは、かつてここに来たことがおありかな?」と、よくたずねたそうです。
そして、「はい」と答えたものにも、「いいえ」と答えたものにも、同じように「喫茶去」といって、お茶に誘ったといいます。

いろいろな解釈があるようですが、「口先だけのくだらん議論はなしや。さあ、お茶でも飲もう」、それが趙州和尚のいいたかったことではないでしょうか。
「喫茶去」ということばには、真実や本質というものは問答や議論のなかにあるのではなく、お茶を飲むというような、ごくありふれた日常の行為にこそ潜んでいるのだと思います。

 

心の「ゆとり」

一杯のお茶を楽しむという、心の「ゆとり」がほしいものです。
現代人はゆとりを失っているように見えて仕方ありません。
このゆとりは、「遊び」といい換えてもいい。
遊びといっても、飲んで騒いだりすることではなく、車のハンドルやブレーキペダルの遊びのようなものです。

あるいはそれは、「間」といい換えることもできます。
日本人は昔から、人間関係にしろ、芸能や工芸にしろ、この「間」を大切にしてきました。
そんなゆとりや遊び、間を、暮らしのなかに取り戻したいものです。
そのほうが人間らしく生きられるような気がします。
そのためにも何はともあれ、「喫茶去」ですな。

 

ありがとうございます。

60歳になった私。
これからの余生をどのように過ごさなければならないのか。
考えがまとまる間もなくばたばたと余裕のない毎日。
こんな時ほど、一杯のお茶を楽しむ。
「喫茶去」ですね。
ゆとりのない毎日に「間」を持たなければ。
その「間」で真実を見つけられるかも、ですね。

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
もうじき師走、もっと忙しくバタバタとなるのでは、そんなときには一杯のお茶をぜひ。

 

写真:shihoさんのFBより

参考
お茶は本当に素敵 どうしてこんなに美味しいの
なぜ? お茶席で茶碗をまわすの?
今一度知りたい、日本人とお茶の歴史02『「葉室」とは?』

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