歌舞伎のよこ道あるき♪ 第6回
「近松門左衛門」
上方歌舞伎に欠かせない近松門左衛門。
今年の顔見世にも2つ近松作品が上演されます。
教科書にも載っている人だけど
知っているようで、知らない近松門左衛門。
近松さんって、どんな人?
◆お墓が2つ?
近松さんの命日は、11月22日だそうです。
近松さんのお墓は、大阪(谷町法妙寺跡)にあるとばかり思っていたら、
尼崎(広済寺)にもあると知り、行ってきました。
※お参りしたのは、10月です。
お墓は、檀家さんでなくても誰でもお参りできるようになっていました!
国定史跡に指定されているんですね。
戒名は、阿耨院穆矣日一具足居士
奥様と一緒に眠っておられるそうです。
隣接する近松記念館も見学してきました!
近松さんの本名は、杉森信盛。
1653年 越前藩の武士のお家に次男として生まれました。
ですが、父 信義さん
職を失ったそうで、一家で都へ。
(その辺りの詳しいことは、わかっていないようです)
若き近松さんは、
一条恵観など公家へお仕えし、
俳句などの芸事もたっぷり吸収したようです。
よっぽど性に合ったのか、もともと才覚があったのか
なんと!
武士を捨て、古浄瑠璃作者 宇治加賀掾へ弟子入りしちゃいます!
しかも、
1673年(21歳)には、浄瑠璃作品を書いているようです!
早っ!!
近松さん、廃寺だった広済寺再興に協力されたお一人で、
その資料や、直筆の手紙、
お寺の敷地内にあった執筆部屋で使われていた
机なども展示されていました☆
手紙は、
高齢になって体調がすぐれず、お寺へ行けずに申し訳ない
という詫び状でしたが
近況に、息子(絵師)がようやく安定した収入を得られるようになって
最近では頼りにしている
のようなことが書かれていました。
いいお父さんだったようです。
他には来館された文楽、歌舞伎、宝塚などの俳優さんたちの
サインや公演のパンフレットなどもたくさん!
気になる2つある近松さんのお墓。
「どっちが本物?」論争の資料もありました。
えっ! お墓、掘り返しちゃったの~!!!
答えは、どっちも本物!
だそうです。
こちらが近松さんの像。
かわいい~☆
肖像画などは、もう少し神経質そうな感じに描かれているものが
多い気がします。
こんなやわらかいお顔をイメージしていなかったので
一気に親近感!
やっぱり、良いおじちゃんだ☆
◆浄瑠璃~歌舞伎~浄瑠璃
書いて、書いて書きまくった近松さん。
確認されているだけでも、160以上!
多い年は、1年に7~8本も新作を書いています!
恐ろしい人だ!
浄瑠璃作家としてデビューして実力を付けて
初代坂田藤十郎に抜擢されて、歌舞伎の作品も手掛け始めます。
藤十郎と言えば「傾城買い」と、言われるほど男前の超人気役者!
近松さんは、藤十郎とタッグを組んで
「和事」というジャンルを作り上げちゃいました。
けどこの間、歌舞伎に専念ではなく、浄瑠璃も同時に書いているんです!
化け物か?
藤十郎が現役を退いて後、53歳で大坂へ。
竹本座付きの作家になります。
浄瑠璃に専念ですね。
71歳の11月に亡くなりますが
その年1月の「関八州繋馬」が絶筆。
すごいなぁ~。
実は現在、歌舞伎で上演されているものは
ほとんどが浄瑠璃として書かれたもの。
「義太夫物」と言われているものです。
歌舞伎として書かれたものの上演は、少ないんですね…
へぇ~。そうなんだ。
12月の顔見世で上演される2つの演目とも
浄瑠璃から歌舞伎になった「義太夫物」。
ですが、まったく違う雰囲気のお話です。
「信州川中島合戦 輝虎配膳」は 1721年69歳の作品。
重厚な時代物です。
「堀川波の鼓」は1707年55歳の作品。
こちらは、主人公は武士ですが世話物。
どう異なるのかは、ぜひ顔見世興行でお確かめください!
2019(令和元)年 十一月 安積美香
ありがとうを世界中に
Arigato all over the World