「舞台機構」 歌舞伎のよこ道あるき♪第15回
「舞台機構」 歌舞伎のよこ道あるき♪第15回
関西でも少しずつ、生の舞台を観劇できるようになってきました!
いろいろな制約はありましたが、やっぱりよいですね~☆
枯れ枯れの心が潤います♪
◆裏方にも「カブキ者」
8月南座と9月松竹座で、
舞台体験ツアーが開催されました。
大変な人気だったようで、参加できなかったのですが、
廻り舞台やセリを体験できたそうです。
前回、「カブキ者」について書きましたが、
カブキ者は、役者さんだけじゃなかった!
舞台を支える裏側の人たちにも、カブキ者がいっぱい!
並木正三もそのひとり。
大坂で活躍した狂言作者さんです。
今、当たり前にある
大セリ、廻り舞台を作った(定着させた)のは、この人なんです。
そして、舞台の形を変えたのもこの人。
それまでの歌舞伎の舞台は、能舞台と同じ形でした。
1758(宝暦8)年12月、
「三十石艠始(さんじゅっこくよぶねのはじまり)」という
お芝居の大切(おおぎり=ラスト)で
どうしても2つの場面を同時進行で見せたかった正三は
舞台の表と裏を廻して見せる方法(廻り舞台)を思いつきます。
けどそのためには、大きな舞台が必要。
はっ!橋掛かりを取ってしまえば、舞台が広くなるやん!!
大坂角座の座元、座頭、棟梁などを説得して
これまで誰も見たこともない
廻り舞台のついた、芝居小屋の端から端まで本舞台という舞台が誕生したのです。
幕が開いた瞬間の「なんや、これっ!!」
それだけで、大興奮☆
お客さんのどよめきが聞こえてきます。
今回の芝居は、何かが起こる!ドキ、ワク!
最後には、舞台が廻った~!!!
いやぁ~~~。体験したかった(笑)
もちろん舞台は大ヒット。
4月まで興行延長したそうです。
そして、瞬く間に大坂、京、江戸の芝居小屋へ
歌舞伎専用舞台が、広がっていきました。
歌舞伎は、はじまって150年経って
ようやく、自分たちの専用の舞台を持ったんですね。
今、当たり前に見ている舞台は、
初代坂田藤十郎も初代市川團十郎も知らないのです。
菅原伝授手習鑑も、義経千本桜も仮名手本忠臣蔵も
初演は能舞台だったんです!!
へえ~~~。逆に観てみたい(笑)
◆令和ですが、260年前に逆戻り?
わたしの半年ぶりの生の舞台は、「晴の会」からスタート!
近鉄アート館で今年6回目を数える上方歌舞伎若手の会です。
この近鉄アート館は、歌舞伎専用劇場ではないのです。
しかも、舞台が能舞台のように客席に飛び出していて
セリも廻り舞台も花道もありません。
なんと! 並木正三の前の時代に逆戻りな舞台です。
歌舞伎専用舞台が当たり前の時代に、
どうやって歌舞伎を楽しんでもらうのか?
これは、彼らの大きなチャレンジだったと思います。
第一回の「衝立ひとつ」で場面を切り替えるという
斬新な演出は、感嘆しました。
大がかりな舞台装置は、テンションも上がります。
けど、舞台装置がなくてもアイデアで度肝を抜かれることもあります。
舞台を見せる人と見る人の心がつながったとき
大きな感動が生まれます。
特に今年は、舞台の幕が閉まるまで
本当に無事に最後まで観ることができるのか不安な状況。
見せる人も、見る人も心はひとつ。
半年間の魂のこもった舞台。
「密」が熱狂を生む生の舞台なのに
それを否定された状況での舞台。
制約がある中で、しっかりコミュニケーションが取れる演出になっていました。
ガッチリつながった感覚。
「発する → 受け取る → 返す」のループ。
一緒に、盛り上がりました。
生の舞台の醍醐味ですね。
これからの演劇界がどのようになるのか
まだまだ、手探りが続きます。
令和のカブキ者が度肝を抜かしてくれることを期待して。
2020(令和二)年 長月 安積美香
ありがとうを世界中に
Arigato all over the World