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高千穂神社 後藤宮司のお話し2

2023年11月2日(木)高千穂神社にて

こんにちは。
先日、宮崎県の高千穂神社にお参りに行き後藤宮司にご挨拶ができお話を伺わせていただきました。
今日はその第二話。
第一話はこちらから
瓊瓊杵尊、天孫降臨、大和の地の平定などなど。
楽しみでしょ。
ありがたいことですね。
このお話を皆さまにも。

ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

 

医学と宗教は一緒

<葉室>
「にほんよいくに」は叔父になるのですが、晩年、子供達に読んで貰いたい、神道の事を知っても貰いたいという形で童話的に書いて、後にお母さんへという形を加えながら、今もお話して頂いたように、大切なことをどう残していくのかという思いで書かれた本です。
叔父が奈良の春日大社の宮司で、祖父が京都の下鴨神社の宮司です。
私は小学校の時、祖父が下鴨神社の宮司をされていた時に一番行くのが嬉しいのが、下鴨の宮司のお部屋だったんですよ。
畳のお部屋の畳机に座られて、筆で書き物、絵を描いたりされているのを横でじっと見ているのが大好きでした。

<後藤宮司>
叔父様は退職なさって行かれた訳ではなく、春日大社の方には、やはり神職としての家柄だったからですか?

<葉室>
はい、その前には大阪の平岡神社に。
神職になったのは晩年、遅い方です。
医者としてずっとやっておりましたので、50歳前くらいですかね。
叔父曰く、ある時、「神職になりなさい」というのが自分に降りたので、そこから大阪で神職の資格をとって、最初、平岡神社にお勤めさせて頂く事になって、その後に春日大社のご縁を戴きました。
色々とご縁でございますね。

<後藤宮司>
でも昔はやはり、医学というのも宗教と一緒だったんじゃないかなと思うんですよね。

 

 

筑紫の日向の高千穂

<葉室>
高千穂という場所は、天孫降臨という日本の古事記や、いわれの中に出て来る由緒ある、一番最初の大切な場所ではございませんか。

<後藤宮司>
そうですね。
古事記にも日本書紀にも筑紫の日向(ひむか)の高千穂のある場所に降りて来たとあります。
筑紫の国というのは、あの時代の九州で、日向(ひむか)というのは日向国(ひゅうがのくに)は宮崎県の事ですから。
高千穂の久士布流多気(くしふるだけ)とか、くしふる神社というのは町のはずれにあるのです。
古事記には、くしふる神社と書いてあるのですけれど、日本書紀には、一説によると、くしふる峰、一説によると二上山に降りたとか、また別の説としては、そぼりたけ(添山峯=祖母山)に降りたとか書いてあるのですね。
でも、全部そういう名前の所が昔からここにあるのです。
ちょっと注目していいのは、二上山というのは、日向国風土記にも同じ記述があるのです。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が二上山に降りてき来た時に、この地は真っ暗闇だったと。
暗闇状態で人が前に進む事も出来ない。
その時に、この地に元々住んでいた土蜘蛛の大鉗(おおくわ)、小鉗(おくわ)が現れ、「瓊瓊杵尊が神聖な手に持っていらっしゃる稲の穂を抜いて、お米の佅種を四方に撒き散らしたらきっと明るくなるでしょう。」と言うのですね。
それで、瓊瓊杵尊様が稲の穂を抜いて佅種を四方に撒いたら、日月の光が照り輝いて太陽も月も明るく輝くようになって、明るい世界が拓けたと。
その一粒一粒の佅種から千の穂、つまり沢山の穂がすくすくと生い育ったので、この場所を「臼杵の郡の千穂の里」と名付けました。
つまり、沢山のお米が実るようになったから「千穂」と名付けたという事なのですね。
これが日向国風土記に書かれています。
風土記というのは、大体、地方の土地の由来とか、珍しい産物なども書いてあります。

そして平安時代には、神様が位を貰っているのですね。
戦前は、別格官幣大社とか、官幣中社とか色々ありましたけど、平安時代も神様が位を貰っていたのです。
その時に、日向の国では5つの神社が特別な位を貰っているのですよ。
その中の、最初に出てくるのが、『高千代神社』なのです。
それから2番目に、『津農神社』、これは一之宮といいまして、ここから宮崎に行く途中にある神社です。
それから3番目に、『江田神社』といって、これは宮崎市内にあるんですね。
4番目に、『都萬神社』といって、ここは日本一大きな古墳群がある西都市という場所にあります。
そして最後に、霧島市にあります『霧島神社』ですね。
この5つの神社が、従四位の上とか、そういう位を貰っているのです。
やはり高千穂というのが平安時代に出てくるわけです。
鎌倉時代になりますと、土地争いとか色々なものがあって、鎌倉幕府が朝廷をするわけですが、そういう時にも、「高千穂荘(高知尾荘)」といって、この高千穂の名前が出てくるのですね。
だから、奈良時代以来ずっと高千穂は日本の歴史に出てくるのです。

 

 

瓊瓊杵尊の天孫降臨

<葉室>
やはり続くという事がすごいです。
高千穂は、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天孫降臨で降りて来られたという「始まり」ですから。

<後藤宮司>
そうですね。
古事記とか日本書紀には、この国を治めるために、天照大神様の孫のニニギノミコトが最終的に選ばれて、降りる時に、当然ながら三種の神器を持たされます。
特にお鏡は、「私自身を見るように」と鏡を渡される。
その三種の神器を持って降りて来られるのですが、それとは別に、高天原の天照大神様がいらっしゃる所の、自ら作ったお米を持たせて、「これを持って行って人々を養いなさい」「豊かにしてあげなさい」という『斎場(ゆにわ)の稲穂の神勅』という神勅があるのですよ。
斎場というのは、神聖な田んぼということですね。
天照大神様のお庭で獲れた稲穂を持たせました。
そうすると、日向の国風土記と符号が合うのです。
だから、端的に言えば、ニニギノミコトは、お米を作るために降りて来られたのです。
そうすると皆が争わずに自らのものを栽培して仲良く暮らせるだろうと。
それから三代後に、神武天皇と後に言われる方がお生まれになって、古事記には、高千穂の宮で日本を作る計画を立てられたと書かれています。
「カムヤマトイワレヒコノスメラミコと高千穂の宮においてはかりたまわく」というね。
そのお兄さんの五瀬命と二人で「高千穂の宮に日本の国を作ろう」と。
日本書紀の方は、4人の兄弟がいる事になっているのですね。
四人の御子が一緒に日向の国を発って、大和の国を目指してご東征になったと書かれています。
戦後はそういう歴史を空想とか否定的に見る人とか、中には神武天皇はいなかったのだとか、そういった人が沢山現れたのです。
だけど、126代目の天皇様がいらっしゃって、その前のお父様が今の上皇陛下で、そのお父様は昭和天皇様だと分かっていることで、たどっていけば必ず天皇家には祖先がいらっしゃって、一等最初の祖先のことを、後に「神武」とお呼びするようになっているわけです。
日向の国にいらっしゃる時は、最初から神武天皇だなんて名乗っていらっしゃらないわけですよ。
ですから、いるもいないも、祖先がいらっしゃるから天皇様がいらっしゃるのではないですか。
そういう事ですよね。

 

神武天皇の四人のご兄弟

私は、この歴史が間違いがないと思うのは、この4人のご兄弟が、みなお米に関するお名前を持っているのですよ。
要するに穀物ですね。
穀物の「穀」に霊魂の「霊」と書いて「穀霊」と言います。
ちなみに神武天皇は一番末っ子なのです。
一番末っ子だけが大和の国に辿り着くのです。
宮崎にいらっしゃるときの名前は、「狭野尊(サノノミコト)」というのですね。
「さ」という言葉は、穀物にかかる接頭語なのですよ。
田植えをする時期を「五月(さつき)」、植える苗を「早苗(さなえ)」、植える女性を「早乙女(さおとめ)」と言うでしょう。
田植えに関する行事を、全国的に「さのぼり」と言うのです。
というように、「さ」というのは、穀物にかかる接頭語なのです。
だから、そういう言葉があるということは、4人の兄弟は、あの当時まだ縄文時代のような生き方をしている時に、稲を栽培して食べていけるという素晴らしい技術を持っていた一団だったと思うのでよ。
各地にそれを広めながら、教えながら大和の国を目指したわけですね。
だから、古事記や日本書紀を読んでも、近畿地方に着くくらいまでは戦争を一回もしてないのです。
各地のそれぞれの豪族みんなから、「これは良い」と。
美味しいし、栄養価値がありますしね。

縄文時代の当時の日本の人口は、日本列島の中に20万人~30万人くらいらしいですね。
縄文時代というのは、5~6千年とか、中には1万年続いているのだという人がいます。
それが弥生時代になって、稲を作るようになると、200万~300万人になるのですよ。
そして、室町から鎌倉時代になると、鉄の技術がだんだん発達してきて、農機具にまで鉄の鍬とか鉄の鎌が作られるようになって、開墾事業が飛躍的に発達するから、日本にはだいたい700万くらいの人口になります。
このように人口が増えたという事は、縄文的な生き方では、そんなにすぐ子供も増えないですが、弥生時代になって栄養価値のあるお米を栽培するようになって増えたという事ですよね。
だから、天皇陛下が今でも皇居でお田植えをなさるのは、そういう伝統を踏まえていらっしゃるのだと思うのです。

<葉室>
縄文から弥生というのは、日本人の一つの大きな変わり目。
それは渡来系が入って来てという言い方でもありますけれども、それと同じようにというか、神武天皇がそのように各地方に、稲作をみんなでするようになってお米が日本に広まり、日本が大きく変わっていったという形で、国力が出来てきたという事ですよね。

 

 

稲作が国を豊かに

<後藤宮司>
そうですね。
やはり、土地が痩せて寒いヨーロッパなんかは、なかなか作物が育たないから、じゃがいもとか、そういうものを植えていたと思うのですけど、日本の場合にはお米を栽培した。
大和の国を選んだ丁度その時に、周囲は山に囲まれて美しい所だと、しかも国の中心部にあるから、大和の国に行って都を作ろうと、ここで話し合いをなさるのですね。
ここはあまりにも西のほとりで、西日本の片田舎だから。
そういう事で行かれるのですが、奈良も京都もそうですが、山々に囲まれて良い水が山から流れて来ますから、お米を作るには非常に適地だったわけですね。
近畿地方に行くと今度は、抵抗する闘いなどが出て来ます。
実際にその地方が天孫の国に取られるわけですから、そうなったんだと思うのです。
戦いとか色々出て来るのは、大体近畿地方に入ってからですね。

<葉室>
神武天皇が近畿に入って住人たちは拒んだわけですよね?

<後藤宮司>
拒んだ者もいるし、受け入れた者もいます。
だから最終的には、武力を使って統括なさるのですけども、神武天皇は大和の国に着いて3年くらい経って、初めて、無事に大和の国に着いて都を作る事が出来たという感謝の祭りをして天津神に報告してらっしゃるのです。
それは鳥見山という場所で、自分が不利な戦いになった時に金色の鳶が現れて敵の目がくらみ戦いに勝利する事が出来たので、「こうして国を平定、天皇に即位出来たのは、皇祖天津神の助けがあってこそ」と感謝し、鳥見山で天津神を祀る行事をしたのです。
だから鳥見山というのは、その鳥から来てるのです。

そして、なぜ三年後かと。
敵を平らげて即位した時に「即位して宣言すればいいじゃないか」という事を問題視する学者はあまりいなかったし、答えている学者もいなかったのですが、安田四次郎(やすだよしろう)さんかな、その方が言われていたのは、大和の国に入って自らの手で作ったお米が出来るのに三年かかったんだという事です。
大和の国に入って、自らの手で作ったお米が出来るようにし、略奪した品とか、そういうものではなくて、自らお米を作って、そこでとれたものを天津神に捧げて感謝と報告のお祭りをされた。
これが後々、天皇様が即位する時に行われる大嘗祭の記念です。
新穀をお供えしなければ天皇にはなれない。
践祚(せんそ)大嘗祭といいますね。
今の天皇様も平成の天皇様もそうですが、先の天皇が亡くなられたり引かれた後は、どこで天皇様が即位の礼をするお米を作るかというのを、日本の国を悠紀の国、主基の国と東西に分かれて、亀の甲を焼いて占いで決めるのだそうです。
平成天皇様の時には、悠紀の国が秋田県、主基の国が大分県に選ばれたんのすね。
それは天皇様が直接お作りになるお米の代わりに現地の人達が作ってくれます。
それが悠紀膳と主基膳として両方、御即位の大嘗祭の時に使われているわけなのです。

<葉室>
やはりお米。
やっぱりそうなのですね。
高千穂の最初のお話の天照大神様から戴いたお米を瓊瓊杵尊が地にまく事によって稲穂が育ち、そこから日本が始まっていくという形なのですね。

 

 

ありがとうございます

<後藤宮司>
もし明日でもお時間がありましたら、国見ヶ丘という所がありましてね。
そこに登られると「雲海」というのが出る場合があるのです。
もうそれは、天孫降臨が偲ばれるような風景なんのす。
夜明け前でなくても7時半ぐらいで十分です。
私は大体朝は忙しいものですから、この前行ったのは8時ぐらいでしたが、それでも綺麗に見えました。

<葉室>
お名前が国見ヶ丘。
国が見える丘だという事ですね。

<後藤宮司>
そうです。
神武天皇のお孫さんがこの地方に来た時に国見をなさったという事から、国見ヶ丘となったと言われています。
だから、奈良の天皇様の天香久山みたいなものですね。
その地方を治める大君が、そこに登って自分の国をお褒めになるわけでしょう。
そして秋に沢山の作物が実るというのですよね。
そこは国見ヶ丘という所なのです。

<葉室>
いやー、その雲海一望って、それに巡り合えたら幸せでしょうし、大切な所ですよね。
でも日本って本当に素敵ですね。

<後藤>
高天原という所があるので案内してもいいですよ。
私も楽しみにしていましたから。

 

後藤宮司のお話は大変貴重なお話です。
来年は京都にお越しいただき、みなさまとお話を伺いたいですね。
今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld

 

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