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二條さま 古事記のお話しの2 第三話の1

今日の最初は七夕のお話し  2023年7月8日(土) 長徳寺

実は今日は7月の8日、昨日は7日なんですね。
七夕だったんでございますよということで、七夕といえば梶の葉。
そして鳥はカササギという鳥なんです。
カササギという鳥、小さくて白と黒のストライプの鳥で、足がすごく細い子がいるんです。
カササギは、七夕には集まって織姫を天の川から渡してくれる、普段は手紙をついばんで牽牛に渡すという、ここで重要なのは、七夕というのは、牽牛、いわゆる彦星が織姫に会いに行くのではなくて、織姫が彦星に会いに行くんです。
織姫、「織女」と言いますけれど、織女の方が、天帝の娘であり、位が高いんです。
牽牛というのは、ただの牛飼いなんです。
なので、普段は動けないんだけど、織姫だけは、お姫様だから会いに行くことが出来るわけなのです。
日本のバレンタインみたいなものです。
織姫の方が勝手に牽牛に恋をしたんです。

ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

 

紫微大帝(しびたいてい)

これは中国の話なんですが、ある時、天帝がお旅行に出るんです。
「天帝」というのは、北極星のことです。
「紫微大帝」という名前がついてるのですが、北極星のことです。
「紫微大帝」で北極星のことを天皇と言うのです。
「天の皇帝」というので、「天帝」と言います。
天の帝です。
この「天帝」というのは、空にいるんだから常に浮かんでるわけです。
なぜ浮かんでいるかと言うと、織女が織る織物の着物を着ていると浮かんでられるんです。
だから、織女はすごく大切な役割を担っていたわけです。
ある時、天帝は自分の娘である織女と一緒に旅行に出るんです。
「柄杓星」という星座がありますが、日本では柄杓に見えるけれど、大陸だと、あれは車に見えるんです。
柄杓を伏せると牛車みたいに見えないですか?
荷車みたいに見えるでしょう?
だから、あれは大陸では牛車なんです。
天帝の周りを回っている牛車だと思って下さい。
その牛車に乗って旅行に出かける訳です。
そして天帝と織女がその牛車の中に乗っていたら、ふっと風が吹いた、というんです。
牛車だから牛に引かれているんですが、牛は勝手に動かないから牛飼いが引いて行かなくてはいけないのですが、ふっと風が吹いたその時に御簾がパッと開いて、織女はその牛飼いの顔を見てしまった。
織女は恋に落ちちゃうわけです。
そして猛烈にアタックするんです。
だからこれは、王様の娘と牛飼いの恋愛じゃないんですね。
結果的に言うと、織女の方が勝手に恋をしてバンバン攻勢をかけるわけで、攻勢をかけるとどうなるかというと、機を織らなくなるんです。
天人達は織女が折った機じゃないと飛んでらいれないのだから、織女が機を織らなくなると、天人達は新しい綺麗な着物が着れなくなってしまうわけです。
キラキラしていられなくなっちゃうわけで、天帝は困って自分のところにいた牽牛を天の川の向こうにある牛の牧場に追いやっってしまうんです。
だから哀想なのは、牽牛だったってことです。
織女のわがままで牽牛が天の川の向こうに行かされるのです。
そして織女が、「お父さんなんてことをしてくれたの。もう絶対に織物なんか織らない。」と言って泣くんです。
天帝は困って、「わかった。そんなに泣くのなら年に一回だけ会いに行っていいわ。」という話になり、7月7日に会いに行くというのが基本的な七夕のお話です。

 

 

鵲(カササギ)と梶の葉

その時に、本来は会いに行く時は牛車で会いに行くんだけれど、日本では、鵲(カササギ)は橋になってそこを渡るという風にも言うし、カササギが毎日毎日手紙を織女から牽牛に運ぶんです。
牽牛は手紙を書かないんです。
そこでカササギが手紙を運ぶということで、七夕の時にカササギという鳥が珍重されるんです。
あと、梶の葉というのもあるんです。
東京では、梶は火事につながるということで、あまり植えないんだけれど、京都では、梶の葉はお庭などに植えてあります。
東京だと桑。
桑のことを梶と言います。
形がちょっと似てるからですが、京都ではちゃんと梶の木というのがあって、これは天の川を渡る船の「舵」という事です。
これで梶の葉というのが、七夕に舵を差しかけることによって、織女が揺れずに向こうに渡ることが出来るという事で、京都ではその梶の葉を吊るします。
私共の家では、梶の葉に歌を書いて笹に吊るす、これがだんだんと「短冊」という、そういう諸道具になってまいります。

 

 

下に引いて書くことを「模書」

今日はそこでカササギという言葉を皆さんに書いて貰おうと思っております。
書き方ですが、漢字だけ書いてあるもの、これは正しくは「まな」という風に言いますが、漢字で「加藤さん」の「加(か)」、散るという字の「散(さん)」、左、起きると書いて、これで「カササキ」(加散左起)という風に読みます。
その隣にクニャクニャっと書いてある字があります。
これがその漢字がかなになった形になります。
和紙はザラザラが表なので、ザラザラな方に書いて頂きたいというのが一点。
それからもう一つ、お手本は下に引いて上からなぞるので大丈夫です。
横に置かないで下さい。
横に置くことを「臨書」と言います。
下に引いて書くことを「模書」と言うんですが、模書で構いません。
筆ですが、まず真ん中を人差し指と親指で持って使います。
その時に、筆が直角になるように。
かなは漢字と違ってちょっとここが大変です。
直角になったら、後はお添え頂いてそのまま書きます。
ずっと直角であるように。
そうするとどうなるかというと、肘が上がります。
肘が上がると力が入らなくなるんです。
力が入らなくなると細く書けます。

 

節会と節句

お節句の時期なので、お節句の話もちょっとしておきましょうね。
日本にはお節句が5つあるんです。
5つ節会と節句は違うんです。
節会(せちえ)と節句(もしくは節供)というのがあります。
「節会」というと、1月1日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日。
「節句」というと、1月7日、3月3日、5月5日、7月7日、9月9日なんです。
1月だけがちょっと日付がずれるんです。
節会の方の1月1日のことを「元旦」といいます。
「元旦の節会」といい、宮中に集合することを言うんです。
節句は、基本集合しなくていい。
自動詞と他動詞だと思って下さい。
会の方が他動詞で、句の方が自動詞だと思って下さい。
自らやることと、集まることはちょっと違いますからね。
7月7日は、節会で節句。
七夕の節会で、「乞巧奠(きっこうでん)の節句」といいます。
我々の家では、七夕のことを「乞巧奠(きっこうでん)」といいます。
またの名を「七夕(しちせき)」といいます。
不思議じゃないですか?
七の夕方って書いて「たなばた」と読む。
これは強引につけた言葉だから、本来は訓読みで世界語ではありません。

 

 

棚機織(たなばたつ)乞巧奠(きっこうでん)

本当の「たなばた」というのは、棚で機を織るという字で「棚機織(たなばたつ)」と読むんです。
これに7月の夕暮れと書いて「七夕」という字を当てたということですが、本来は「たなばたつ」です。
「棚で機を織りつつ」という意味ですから、たなばたつです。日本は、お米を作ることもとても大切な農耕行事なんだけれど、もう一つ、機を織るという、蚕、もしくは麻を使って布を織るということが、とても大切な我々の職としての考えがあるんです。
その中にあって、うちの家では七夕のことを「乞巧奠(きっこうでん)」といいます。
7月は、機を織るということから、産業や、我々の習慣を天に供え物をして祈って、常でありますように、という風にお祈りをする、そういう節句の日です。うちの家では乞巧奠は隔年でやっており、今年は乞巧奠(きっこうでん)の年ですが、去年の11月にうちの母親が亡くなり「けの年」になったので、今年は公開する乞巧奠はやっていないですが、普段は2年に1回、公開してる乞巧奠をやっています。
今年は非公開なんです。
例えば琴とか琵琶とか、絹織物とか、色んな物を用意して供えて、字が上手になれ、お香が上手になれ、歌が上手になるように、という風に祈る。
乞巧奠の飾り物は見に来ますと面白いですよ。
私ももう隠居ですから、そう何回もやらないんですが公開する時があればぜひとも皆さんご案内いたします。

 

歴史を俯瞰(ふかん)する家業

私の家は、そもそも歴史を俯瞰することを家業にしています。
今は、「歴史を俯瞰することを家業にしている」と私がその日本語を言っても、誰も理解して貰えないと言いますか、難しい日本語になってしまっていますから、簡単に言いますと、『天皇様から「お前の家は、歴史を、どこかにつくのではなくて、違う立場のところで見ていなさい」という風に頼まれた一家』という風に思っております。
これは、「歴史を俯瞰するようにつなぎなさい」という風に言われていて、具体的に何をするかというと、まず歴史を刻むためにその歴史を書く。
自身が物に書くという意味ですから、「歴史を刻んでいる」というのと、「和歌を家の生業にしなさい」という風に言われて、だから、二條家というと和歌の家なんです。
ですから私も和歌を少しだけひねるわけです。
そんな家に伝わっている古典。
小学校から始まりますが、中学校、高等学校、皆さんが小中高とやってきた古典文学というのは、私たちにとっては、歴史を俯瞰するためにどうしても必要な教材として、また資料として伝わっているものがあります。
皆さんは古事記、日本書紀というのは夢物語や文学だと思っていらっしゃる方多いかもしれませんが、先の対戦、大東亜戦争の前までは歴史書だったんです。
その歴史書には読み方があるんです。
歴史というのは、読み方によっては色んな風に読み取れるんです。
例えば、皆さんがよくご存知の645年。大化の改新ですが、うちの家では「乙巳の変(おっきのへん)」と言います。
奈良の一部の方では、「乙巳の変(いっしのへん)」と言われています。
蘇我という一族と天皇家藤原同盟軍が戦って蘇我一族を滅ぼしたという事件があります。
これは日本史では、蘇我一族はすごく悪いやつらという風に教わるわけです。
でも、かたや蘇我の方から見たら、せっかく日本をこれだけ文明開化させて産業まで発達させてやっているのに、急になんでそんな手のひら返して殺されなくちゃいけないのという話になるということじゃないですか。
歴史というのは読み方によって全然変わるのです。
そのように、読み方にブレがないように、『天皇さまが「俯瞰してみろ」というのを家業にする』というのがうちの家の家業なわけです。

 

 

どうして?なんで?

古事記もうちの家の読み方があるんです。
その読み方があって、私は古事記を子供の頃、寝るときに背中や肩を叩きながら読み聞かせで昔話を聞かせるというような形で、寝物語で教わってきたんです。
ただ、こう見えて私は頭が理系なので、「〜のようなもの」だと許せないというか、「どうして?なんで?」と言っていました。
例えば、アマテラスオオミカミが天の岩戸に閉じこもったという話を聞いたときに、「女の人が?」という風に私は言ったと思います。
「どうやってそんな石を動かしたの?」みたいな風に。
だからツッコミが激しかったというのもあるんだと思いますが、その時にじいさんやばあさん、ひいじいさんやひいばあさんは、私が納得するような形でうちに伝わっている古事記を説明して話して下さったので、納得してスヤスヤ眠っていました。
納得しないとずっと「何故?何故?」という話になっていっちゃうものですから。
ということで、うちに伝わっている古事記があるんです。
最初は、私も子供がいないから物語をする相手がいないし、もうこの古事記はそのまま無くしちゃおうと思ったんですけど、10年くらい前に、葉室さんに、二條さんのお宅にある古事記をそのまま墓に持っていっちゃうのはもったいないからおしなさいよと言われて、ちょこちょこ古事記を話し始めたら、こういう会ができるようになったという、ありがたいことでございます。

この先は「ウマシアシカビヒコヂノカミ」のお話です。
ありがとうございます。

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld

 

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