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二條さま 古事記のお話しの2 第五話の3

日本人はお米を食べてなんぼのもん

最近、京都アニメーションに火をつけたおじさんがいるじゃないですか。
そして何人も亡くなったじゃないですか。
あの人の裁判の記録を見ていたら、あれは、もしかしたらちょっと悔悟がないですね。
びっくりしました。
あの人達には、そういう戒めというか、お天道様が見てるという感覚がないんです。
そういう人間が沢山出て来るんでしょうか。
しかし私は、それが悪いと言っているわけじゃないんです。
悪いですが、人と人との関係が希薄になっていったら、戒めなんか必要ないんです。
相手が生成AIだったなら、白が黒かにして貰った方が早いんですよ。
まあでも、AIの方が頭が良いかもしれませんね。
ファジーな事がわかっているというか、グレーな所がわかっているらしいですから。
AIで作った男の子の絵とかを見ると、私が大好きと思ような絵を書いてきますからね。
私の好み通りに書いてくるから。
むしろ日本人よりAIの方が偉くなっちゃうというか、お天道様のこと知ってるのかもしれないと思ってしまいます。
でも、人と人との関わり合いが少なくなるって、そういう事になっていくなとは思いますが、お米を戴いている限りは、まだまだですね。

ありがとうを世界中に
Arigato all over the World

 

 

 

米食をもっと推進しましょう

お米がきっと日本人を呼び覚ます。
だから、米食をもっと推進しましょうよ。
やっぱり日本人は米を食べてなんぼのもんですよ。
私の家は、新嘗祭が終わるまで新米を食べられないんです。
新嘗祭の時に初めて新米を戴くんだけれど、それは美味しいです。
米で米が食える。
お米をおかずにご飯が食べられるというくらい。
もう噛んでも噛んでも美味い。
今年は何処もちょっと粒が小さいですね。
コロナになった年なんかは、大きくまんまるでした。
今年は小さかったけど美味しかったですね。

ついぞ先一昨日ですが、私と神様でご飯を頂戴するんです。
新嘗祭というのは、嘗める。
本当は、神様と共に嘗める、要は相嘗めするのがお祭りなんです。
天皇家もそうだし、うちもそうなんだけど、神様と一緒にいただくんです。
炊きたての、本当に出来立てのご飯が私と神様のところに出てくるんです。
そして、真っ暗な中で暖房もつけてないから、深夜凄く静かな所で、うちの弟子達だけが炊き立てのご飯を一口だけあげてくれるわけです。
もう、部屋の祭場に入った段階で、涎が出るようなご飯の香り。
炊飯器で炊くのではなくて、鍋で炊くご飯の香り。
あれで、日本人で良かったと本当に思います。
米食をしていれば必ず思い出しますね。
だから、監獄でも不味い臭い米じゃなくて、新米の一番美味しいやつを囚人に食べさせてみたらいいんです。
思い出しますよ、DNAが。
掟がある。
これを作るのに八十八の手間がかかっているという事がわかりますよ。
米って八十八と書くでしょう。
八十八の手間がかかるから「米」と書くんです。
米というのは作るのがその位大変なんだそうです。
まあズボラで作れますけどね。

 

 

日本人の掟

日本らしいというのがそこにあるというのを世界に知らしめたかったのですよ。
だから、私達はグレーだという風に周りから言われて、躊躇するのではなくて、「はい。グレーが日本人なんです。」と言った方がいいと思います。
イエス・ノーを言わないのではなくて、イエス・ノーを心に秘めているんだという風にとらまえて頂きたいと私は外国の方に説明します。
「いやでも、どっちなんですか?」と言われるから、「どっちでもいいです。」と答えます。
なぜって?
生きてるうちで、「どっちがいいの?」と言われても、どっちでもいいからです。
「今日さ、私、この帯がいいと思う?それともこの帯がいいと思う?」
と散々聞かれるんですよ。
私ね、「どっちも素敵よ〜。」と言うんです。
もうね、本人は決めてるんですよ、「こっちがいい」って。
だから、最後の後押しが欲しいんです。
ドーンって。崖から落として欲しいわけです。
私ね、崖から落とす役目をしたくないんです。
ただでもね、ギリギリで言ってくるんですよ。
今日初席です。
朝6時です。
もうね、朝6時に「宗匠、この帯とこの帯どっちがいいと思います?」「もう右にして。」「やっぱり?」って決めてるんじゃないか。
もうそういう時には、小物も全部言ってやるんです。
「はい、この紫とこの紫。」
そういう風にして崖から突き落としてやるのもありだけど、普段は「まあ、両方とも素敵よ。どっちでも大丈夫だわ。」って、よっぽど間違ってない限りは言わないですね。

 

 

それでいいんじゃない

例えば秋になり、9月になりました。
「秋の七草なんですけど」と言ったら、「それは間違いだ。」と私は言いますね。
秋の七草は7月ですからね。
あれは七夕の時ですからね。
9月になったら、もうススキは穂が上がっちゃっているし、萩は花が落ちちゃっているし、藤袴はその後なんだけれど、9月や10月に秋の七草を持って来て、「これでどうでしょうか?」と言ったら、ちょっとだけ季節を遅れちゃったかな、もうちょっと違う方がいいかなというのは言います。
反対に、7月ぐらいに全身菊とかだと、これは呉服屋さんに菊と桜は一年中いいって言われたから」と言うけど、「全身菊だったら菊人形みたいじゃないか、二本松にお行きよ。」というね、そういうのは言いますけど、大抵の場合は、「それでいいんじゃない。」って言います。
私は色んなことを知ってるから、方便を使う事が出来る。
方便を使って、「あ、あの時にはこういう色を使ってたよ、だからいいんじゃない。」という言い方をしてあげる。
ただ、自分で決めて下さい、それはファッションだから。
昔はこの掟で言うならば、江戸時代までは、女の人の着物を見れば何月何日かわかったのですよ。
これは柄ではなくて、色で。
色気で。

 

 

日本はだから掟が好きです

お着物とかウェアは、外敵から身を守るだけではなくて、人に呪をかけるためにあるんです。
呪ってわかりますか?
呪文をかけるために、奥さんがご亭主に朝「行ってらっしゃい」と言った時の、その着ているお着物が、旦那さんに呪をかけて無事に帰って来るという。
それのその時々の色が決まっているんです。
だから、「今日は何月何日だね」と色を見ればわかるって、もう掟ですね。
決まってるわけじゃないんだけれど、みんながそういう風に思えて戒めているという。
日本はだから掟が好きですね。
これは法律じゃないんです。
これは、憲法みたいなことでしょうか、それが合ってるかどうかというのは、最後までいかないと判断して貰えないというね。
大抵の場合、下の方だと判断がしにくいから、最高裁までいかないと判断が出来ない。
でも最高裁と言ったら、判事が一人じゃなくて沢山いるもんだから、これだけの判事は反対した、これだけの判事は賛成したという両方とも書いて下さい。
この掟の考え方って凄くないですか。
約1400年前に日本は憲法を持った国ですよ。
法律じゃなくて、憲法を持った国なんです。
「和らぎを以て尊うしとなす」という。
これって、法律として非常にあやふやですね。
だって、やわやわして、デコボコしているのが尊いって。
もっと平らな方が尊いと言っているんじゃなくて、デコボコしてるのが尊いって。
私達日本人は、掟の中で実は何回も多様性にトライしているんです。
日本だけです。
2000年も前から多様性にトライしているのは。
残念ながら、一回も成功してないんです。
今は違いますよ。
今は、声の小さいマイノリティの方がマジョリティだから。
だから、最近は多様性がちょっといってるのかもしんないけど。
ジャニーズだとか宝塚の問題も出て来ちゃうくらいですから。
でも、この2000数百年、皇紀でいうと2700年近く、我々は何回も多様性にトライした国なんですよ。
これは何故かと言ったら、掟があるからなんです。
掟があるからトライしたんです。
人間は、各々である。
まず集団をくくるのは、言葉じゃなくて掟。
条文じゃなくて掟だったんです。

 

今日も最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
この続きはまだありますよ。
次回もお楽しみにしてくださいね。

 

この星が笑顔あふれる毎日となりますように。
Hope there will be a smile everywhere, every day.
これからの子供たちに幸せな世の中となりますように
Wish the world will be full of happiness with children.

#ありがとうを世界中に
#ArigatoAllOverTheWorld

 

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